『音楽が本になるとき 聴くこと・読むこと・語らうこと』 木村元(木立の文庫、2020年)

本の蜜にあつまる本の虫たちにとって、全員が共通して好む蜜というのがある。それは本について書かれた本だ。本の虫たちは自らの好物(つまり本)について、その手触り、匂い、装丁をもっと知りたいと思う。そして同時に好物を食べるときにどんな化学反応が起こっているのか、はたまた、本の生息地、他の個体との関係性、つまりは本の生態系を知りたがる。

本書は、そんな本虫(ほんちゅう)の一人であり、本虫でありながら、音虫(おんちゅう)でもある木村元(読むまで知らなかったが、なんと精神科医木村敏のご子息!)による自らの生息地の音楽畑に生える本の紹介であり、小さい頃から本と音楽に囲まれて育った自らの成長記でもある。

音楽畑に主な生息地を置いているであろう木村であるが、興味が多岐に渡っているのだろう。文章の端々から、様々な生息地の香りが漂っている。そしてその経験は、彼なりの変奏を奏でる。たとえば、こんな一節。

 「歩く」という行為をとおして、人は古の人々の生を追体験する。(中略)そしてそれは、道が、「土地=町」という資産価値、政治的価値を有し、所有権の生ずるもののあいだに存在するアジール(聖域、自由領域)だということとも関連する。(中略)土地の持ち主は移ろいゆくが、道は時代を超えて、「われわれの場所」であり続けるのだ。(9-10)

道が時代を超えて「われわれの場所」であること、そんな当たり前のことをわざわざ言うまでもないと考える向きもあるだろう。しかし、道というありきたりなコモンさえもが危うい状態になっている昨今。道でキャッチボールをしていた子どもたちは、高級車に当たるとまずいという理由で、家でスマホゲーム。ダンスの練習をしていたb-boyたちが、騒音で通報され厳重注意。もちろん、「われわれの場所」だからこそ、全ての人にとって気持ちのいい空間でなければならない。だから、なんでもいいというわけにはいかない。なんらかのルールは必要だ。しかし、そのルールがあまりにも厳しすぎるようにも思う。公園に乱立する規則の看板。社会全体が変わらなければならない。このままいけば、ストリートカルチャーは滅びる。

さて、本の紹介である。木村は本や音楽をプライベートとパブリックを往還させる媒体と考える(出版:publish 公:public)。

 作品に対峙するとき、わたしたちの内部から「公としての自己」が立ち上がる。これを「自己をpublishすること」と言い換えてもいいだろう。いままで自分の中にひっそりと隠れていた「自己」——笑いたいときに笑い、泣きたいときに泣いていた無邪気な自己を、外の世界、公の世界にしっかりと確率し存在させること。そのためになされるのが、作品と対峙しつつ、自己の内面でおこなわれるこの対話なのである。(21)

木村は読書に没頭することはけっしてprivateな行為ではないという。もちろん、現実的な行為自体は一人でおこなわれることが多いだろうし、その点ではprivateなのだが、行為に伴う僕らの心的反応は確かにpublicなものだ。かつてこの本を読んだ無数の他者たち、そして、これを書いた著者。彼ら彼女らとの対話によって、僕らの作品への態度が決定される。そういう意味では、読書(まぁなんでもいいが)というのは、圧倒的に不自由で、束縛的な行為であると言える。しかし、その逆説によって僕らはpublicな存在として社会で生きていることが実感でき、その不自由さに惹かれていく。

著者の父親が精神科医であることは(別にそのことを重視する必要はないけれど)、考慮すべき自体だろう。たとえばこんな一節。

 いや、<自己>と名ざせるものなど、どこにもない。自己とはある種の作用のようなもので、複数の<わたし>を一つのものとして感じさせるようななんらかのはたらきなのではないか。(55)

ここで木村が精神分析関連の著書を紐解きたどり着いた認識は、フランス現代思想の「主体の解体」と等しい。読書する<わたし>も音楽をきく<わたし>も個(private)としてではなく公(public)として、歴史性と同時代性のなかに<わたしたち>としてある(Glissannt「関係の詩学」、Deleuze「多様体」)。

読書と音楽にまつわる行為を端緒に、すべての行為が「開かれ」つつ、<個>として閉じようとするその緊張関係を見つめること。本書の最初に掲げられたプレイリストをききながら本書を読むとき、僕たちはバッハとビートルズとモーツァルトに影響されつつ、思考の海を漂っているのかもしれない。

 音楽は作曲家にとっても、演奏家や聴き手にとっても、ひとつの<謎>なのである。その謎の前に、作曲家も演奏家も批評家も聴衆も<読み手>として平等である。一曲一曲の作品を<場>として、そのつどad hoc立ち上がるヴァーチャル(仮想的)なコミュニティ、そして<謎を解く>というモチベーションをもつかぎり誰もが同等の参加資格を有するきわめてリベラルなコミュニティ。(66)

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