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無職になって1年5か月。ようやく仕事と住処を探すことにした。

「書きたい!」
と思ったときに書くnote。とても健全に思える。
誰かに読んでもらいたいといった自己顕示欲ではなく、私が記録に残したくて書きはじめた。とても気楽だ。
…と思いながら、気づいたら7000字に到達しており、さすがに長すぎるだろうと思いつつも公開することにした。

これまでの経緯。

5年間、病院で看護師として働き、晴れて無職となった私、はる。自由を謳歌すべく1年5か月ほど旅暮らしを漫喫する。無職に飽きはじめ、ようやく「仕事をしたい!」「定住するぞ!」と就活をはじめたようだ。

👇仕事を辞めて「ウキウキ旅暮らし!」に興奮していた時のnote。

無職になって1年5か月がたった。

無職になって1年5か月が経った。
はじめは半年~1年経ったら働こうと漠然と考えていた。いざとなったら、2年間は無職もできるとは思っていたが、まさか1年5か月も経つとは思っていなかった。
一体、何をしていたんだ?と言わんばかりの働かなさだが、毎日が色濃く充実していたと胸を張って言える。家にこもらず、外に出るようにしているからだと思う。1週間単位で違う場所に住み、毎日違う人と交流し、気づいたら目まぐるしく変化する非日常が日常となった。一方で、何も起きず刺激のない日もまた日常だった。緩急のついた日々に、チャールズ・ダーウィンの言葉を思い出す。

「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」

私の周囲には、長生きしそうな人であふれている。私自身も、きっと長生きしてしまうんだろうなあ…と根拠もなく思うようになったのは、この言葉を聞いてからだった。少なくとも国内であれば、どこに行っても生きていけると図太い精神でいられるのは、1年5か月という無職期間の賜物だった。

変化し続ける和紙。(まるで本物のステーキ!)

予定のない日々

無職であると、基本的に決まった予定がないため暇だ。
2022年3月、私は前々から計画していた47都道府県制覇に向けて旅暮らしを開始したものの、やはり暇な日も多かった。旅先で「ここは絶対に観に行く!」といった目的のある旅もしてきたが、空いている時間にやりたいことがない場合は、大抵は人の誘いや意見を聞くことにした。
というのも、「やったことのないことをやる」をモットーに他人の意見を取り入れると思いがけない出会いが降ってくるのだ。去年はご縁があってインドへ行ったり、海抜0mから富士山登頂をしたりと、大胆な挑戦もすることができた。過酷ではあったが、それ以上に楽しかった。
無職をはじめて3ヶ月の間は特に、心が浮足立つ楽しそうなお誘いはできる限り参加した。今しかできないことをしたかった。自分の欲求に素直でいた結果、いろんなご縁が舞い込んできた。そうした中で関係性を深めた仲間…もはや家族というべきか。互いを尊重することができる環境に身を置けたことは私にとって救いとなった。
一方で、お誘いを受けたイベントを中心に滞在場所を調整する必要があったので、疲弊することもあった。というのも、2~3日ほど滞在したら移動していたこともあり、環境の変化に体が疲弊し、続いて精神的にも疲弊し始めたのだ。

👇無職であることに多少の後ろめたさを覚えて「働かないんだから!」と意気込んでいたときのnote。

「定住したい」という欲求

しばらくすると、1週間単位で滞在するようになった。移動の頻度を減らしたり、交流の少ない拠点を選ぶことで、一人の時間を調整することができるようになった。そんな生活をしながら、あるとき「定住したいな」という感情が沸々と湧き上がってきた。
それは2022年9月頃、無職6か月目の頃だったと思う。

「定住したい」という思いが湧いてきたことに喜びを感じると同時に、不安も感じていた。まだ47都道府県を巡り終わっていなかったため、「あ~~~定住した~~~い」と言いながらも、保留することにした。
優先順位は、47都道府県制覇が上だった。

改めて考え直したのは、2022年11月、無職8か月目の頃だった。あと4県で全国を巡りきる!といったタイミングにも拘わらず「もう終わりたい」だの、出発してもいないのに「帰りたい」だのウジウジウジウジ。
それでもいざ転々としはじめたら楽しくてしょうがなかった。

神在月の出雲大社にて。

「定住したい」と思える場所がない

日本をぐるぐるしながら、「どこにでも住めるなあ…」という思いでいっぱいで、住む場所を決めかねた。

・どこに住もうか?
・1か所に根を張るか?他にも拠点を持つか?
・十分に生活をできるだけの仕事が見つかるだろうか?
・移住先で思ったような生活を過ごせるか?
・一人で暮らす?それともシェアハウスやADDress(多拠点生活サービス)を利用しようか?

検討事項は他にもあった。
特に頭を悩ませたのは、定住したいと思いつつも「どうして定住したいと思ったのか?」「どういった生活をしていきたいのか?」という点を言語化できないことだった。
これまでも考えてから行動に移す性格であり、言い換えるならば腰が重く、慎重な性格だった。旅暮らしを通して変化する日常に慣れたと思っていたが、「定住する」という変化に恐れをなす自分がいた。
やりたいことはやる!と、主張が強めな私のことだから、即決できないということは、この旅暮らしを続ける意味がまだあるということだった。
これまでも、

「屋久島に住みたい」
「伊豆大島に住みたい」

そういった思いに駆られることはあった。しかし、それは今ではなかった。
自然豊かな地域に心ひかれて恋焦がれるような想いになりつつも「住もう!」と決断できなかったのは、少女漫画のヒロインが憧れの先輩を遠くから見つめる的な、手の届かない距離に「屋久島」「伊豆大島」がいて欲しいという私の願望かもしれない。観光するのと住むのとでは、全然違うのだ。大好きな場所で、これからも何度だって行きたい。けれど定住するには違うと思ってしまっていた。

じゃあ、どうすれば住みたいと思える土地が見つかるのだろうか。
一つ思い当たることがあった。私の中で「定住したい」と思った一番の理由は、「人」に由来しているということだった。

👇出会いに感謝~~という気持ちでいっぱいだったときのnote。

神奈川県清川村で2週間過ごしてみた

2022年12月。47都道府県を巡り終えて、清川村にて2週間ほどADDress(多拠点生活サービス)の家守代行をしていた。清川A邸と呼ばれる拠点の管理人こと家守さんが京都へ出張していることもあり、臨時で管理人業務をしていた。
神奈川県唯一の村である清川村は、本厚木駅からバスで30分程度のところにある。全域が丹沢大山国定公園と県立丹沢大山国定公園に指定されている。谷間に走る渓流の水は清らかで、流れに沿うように家々が立ち並ぶ。神奈川県と言われてイメージする地域とはかけ離れた場所に、その拠点はあった。

そこで過ごした日々の中で、私が一番やりたかったことは大掃除だった。とにかく掃除がしたかった。年末だからということもあるが、毎日午前中に2時間ほど庭の手入れをしてすごした。午後はゆったりとした時間が流れた。それも、ただ一人で暮らすわけではなく、関係性の深い人から、まだ出会ったことのない人まで、幅広く関わるような暮らしをした。
ADDressで知り合った友人達が泊まりに来てくれたり、夜な夜な対話をしては居心地の良さを感じていた。当たり前のようにごはんを一緒に作って、一緒に食べた。
これまでも共同生活を通して、自分と他者が一つ屋根の下で共存しているという事実に癒されていた。それが、自分が転々と移動するのではなく、私がいる場所に来てもらえることが何より嬉しかった。
その経験は、1週間ごとに場を移り変わるこれまでの生活以上に幸福感をもたらしてくれた。1か所に根を張って、旅人だけではなく、地域の人たちとより深い関係を築いてみたい。改めて定住してみたいと思えた。

それを体現している【同年代の家守さんに憧れた】ことが、定住したいと思ったきっかけだった。

家守代行を終えたあとは実家で年越しをし、2023年1月から新しいADDressの使い方をはじめた。遠くへ行かず、関東圏を巡ることにしたのだ。それも特に気に入った拠点を中心に巡った。

定住して家守の存在に憧れたものの、会いに行く旅の楽しさも忘れられず、しばらくの間は気に入った拠点を1~2週間ほど長期滞在するという選択をしたのだ。

清川村の谷太郎川でコーヒーを淹れてもらった!

ADDressで3拠点生活をはじめてみた

1月と2月は、富士吉田B邸・鶴巻温泉A邸・横須賀衣笠A邸がその中心地となった。
家守さんの場づくりがとても上手で、居心地の良さ抜群の拠点だ。長期の滞在をお勧めしたい。

そして3月の前半は東伊豆B・C邸の家守代行。
後半は友人の実家に居候をして、一か所にとどまる生活をした。

この頃、定住に焦がれると同時に、気に入った場所にいつでもどこでも行けるような働き方にも憧れていた。これまでもリモートワークといった言葉に惹かれていたが、実際に自分もできやしないか?と挑戦した。
中でも、以前から挑戦しようと思っていたイラストのご依頼をくださった皆さま。実績もない私にご依頼してくださいまして感謝が絶えませんでした。

そしてもう一つ手を出したものがある。コンテンツ作成(電子書籍やSNSマーケティング、資料作成や動画作成なども…)に挑戦したものの、「あ~一生無職でいい~~」などと口にする始末。人とのつながりを深めたがっていた私にとって、顔も知らない相手とパソコンの画面越しにつながって関係性を深めることにあまり意味を見出せなかった。というか、インターネットマーケティングってこうやるんだなあ~と、キラキラSNSマーケターの裏側を知り、泥臭い地道な努力に尊敬したりもした。やる気があるのかないのか分からないが、新しいことに挑戦するのは好きだったので、なんやかんやでZOOMなどでいろんな方とお話する機会もあり、そのたびに「私って、人の成長に関わると幸福を感じるらしい。教育や指導といったものが好きなんだな」と思わぬ気づきもあった。何よりも一番の変化は、3か月間ほど続けたある日、体重を計ったら10kg増えていたことだった。向いている、いない、という話ではない。体に悪い生活を続けていた自覚があったのでこの試みはやめることにした。

横須賀衣笠Aで過ごしたとある一日。

神奈川県鶴巻温泉に1か月間定住してみた

旅暮らしの終わりは不意に訪れた。

2022年5月、無職となって1年2か月たった頃。文学フリマに出店した。
その文学フリマ出店を決めるのと同時に、1か月間ほど鶴巻温泉へ定住することにした。それは、郵送物の管理やZINE(旅暮らしの絵日記を本にしました)の作成といった予定が積もっていたからだ。それと同時に、1か月間定住してみてどう感じるのか?と、自分の心境を知りたかった。ちょうどいいタイミングだった。

定住してみて、一番気を配るのは住民との関係性であった。なかでも、清掃や片付けといったものに私は煩い。1日1箇所と、まるで姑のように少しずつ拠点を清掃していた。1週間程度の滞在であれば目を瞑っていた点も、定住となると物の配置や汚れなどが気になってしょうがない。あれやこれやと素直に伝えて、台風の目となってしまったときは反省した。物事には伝え方があるのだと、【Yes and】の精神を教わったりもした。(【Yes but】肯定しているようで否定するような物言いを自然としていた。これに関してはまだまだ改善の余地あり…。)

なんやかんやあったが、私はその拠点で濃く関わったメンバーが大好きで大好きでしょうがない。理解しようと、対話しようと向き合ってくれる人達に囲まれたときの居心地の良さは変えがたい。人と関わることは学びも多く、なにより楽しいものだと思えた1か月だった。(あまりにも恋しくて、6月と8月に繰り返し遊びに行ってしまうくらい好きな場所になった)

そして文学フリマにおいては、自然とこれまでの生活を振り返ることになった。タイトルはぎりぎりまで悩んだが、「おかげさまで旅暮らし」とした。作る過程で、アウトプットしなければ無職のまま無色に終わっていた日々を形にすることができたことが嬉しかった。そして完成後に、これまでお世話になった会員さんや家守さんに感謝の気持ちも伝えることができた。旅暮らしでやりたかったことは、終えた。そう思えた。

鶴巻温泉駅からみた景色

香川県高松市で2か月弱定住してみた

その後、香川県の【寄道アパート】にて宿泊施設とADDressの管理人をやることにした。1か月間、鶴巻温泉での生活があまりに楽しかったので、約1か月半の期間を別のところで過ごしてみようと思えたのだ。
管理人業をするにあたって、「無職」というものにピリオドを打った私は孤立無援の高松という地において、廃人と化した。6月下旬から8月上旬の期間、香川県はとても暑かったのだ。
暑さと孤独に打ちひしがれながらも、神奈川県や小豆島から友人が会いに来てくれたり、宿泊者の方と花火をしたり、救われることが多かった。「地域交流」にかけるエネルギーは枯渇していた。暑くて外なんて出れたもんじゃない。
唯一、住む場所から徒歩10分圏内にあるたいやき&たこ焼き屋のおばあちゃんと頻繁に交流した。買いに行くたびに構ってもらっては、何度もたい焼きやたこ焼きをオマケしてもらった。お人柄に惹かれた私は、親しみやすさ全開にして図々しいくらいに懐いた。親しみやすい方言を聞いては、話すたびに好きが増した。
美味しいうどんや、素敵なカフェ、水田と開けた空を愛おしく思っても、やはり一番初めに浮かぶのは汗をかきながらたいやきを焼いていたおばあちゃんの顔と、寄道アパートに滞在してくれたゲストの顔なのだ。

いくら土地の文化や自然、家を好きになったとしても、「ここに住みたい」と思わせてくれるのは人だった。関係性を深めた、居心地の良い人々の傍にいるのが幸福に直結していた。
人が好きだ。

話は戻るが、旅をしながら私が憧れた人たちがいる。
その方々は、一つの土地に根を張っていた。身軽さ、自由、そういったものとはかけ離れてしまうが、地域とそこに住む人々に長期的に関わってみたいと思えた。とはいえ、飽き性でもある。長く住むためには、一つの拠点を持ちつつも、心落ち着ける居場所を複数持つ必要があった。

その土地を選ぶとしたら、神奈川県がいい。

高松の寄道アパート周辺の景色。6月末の写真。いまごろは稲穂になっている頃かな?

「定住したい」の行く末

今、神奈川県~東京で仕事を探している。住む場所は神奈川県にする予定だ。無職でいた1年と5か月(実際は2か月弱ほど業務委託を受けているが)の間につながったご縁は、関東圏に集中していた。好きな場所も人も、全国にたくさんあるけれど、ひとまず2~3年暮らすとしたら神奈川県がいい。

仕事を探している理由は、単に無職でいる理由がなくなったからだ。
旅をしながら感じていた「地域とつながりたい」「人と関わりたい」といった思いは、「地域医療」「予防医療」といった形に落とし込むのがしっくりときた。やりたいことが働くことで叶うならば、無職にこだわる必要はない。
自然と働きたいと思えた。

余談になるが、2022年5月頃。小豆島A邸の家守さんに「イラストで生計を立てたいと思っている」などと話して応援してもらい、初めての報酬と言って小豆島ヘルシーランドさんの試供品をもらったことがある。
2023年8月、1年ぶりにお会いしたときに「お久しぶりです~」と挨拶しては暑さも相まってゆる~い時間を過ごした。ふと「肩の力、抜けたね」と言われたときに、自然体でいられるようになった無職期間を思って感謝したのであった。
きっと「こうなりたい」「ああなりたい」といった憧れていたもの達を、1年5ヶ月の期間をかけて現実に落とし込んだ結果、憧れを捨てることができたからだと思う。欲望をそぎ落として、あとはやりたいことがハッキリしたような、身軽になったような感覚でいる。

いい写真がみあたらなかったので、西丹沢の写真をのせてみる!6月上旬にキャンプしたときの写真。

最後に「夢」について

就活にむけて履歴書や職務経歴書を書きながら、気づいたことがある。
2022年の6月頃、用宗A邸の家守さんやエベレストに登頂した固定住人の方を前に「夢ってなんだ…私は何をすればいいんだ…」と迷える子羊と化していた私。
そういえば…看護師を目指したきっかけって「身近な人の不調(病気)に気づけて、いざという時に声をかけられる人になりたいから」だったと思い至った。

5年間、看護師として病院に勤めたことで、私は夢の一部を叶えていた。身近な人の不調に気づけて、いざという時に助けられる知識技術を最低限身に着けることができた。とはいえ、ずっと傍にいられるわけではない。また自分らしく生きるために健康でいることが重要なのであって、生活習慣の改善が目的ではないよなぁ…。お酒も食事摂取量も、適量さえ守れればいい。そうすると「心身の健康をコントロールでき、不調に気づける人を増やしたい」というのが新たな夢になるのだろうか。他人はコントロールできないので、個人の目標として何になるだろう?これについては、もっとしっくりくる言葉がありそうだ…。

もう一つ、「死を通して生き方を考える(終活/エンディングノート/デスカフェなど)」という試みにも興味がある。病院で8割の人が死ぬ中で、「老い」と「病」を同列に捉えている患者・家族が多く存在していることが気にかかっていた。
病院で死ぬことが幸せなのだろうか?自分らしく死ぬとはどういうことなのか?…などなど、沸々と疑問が湧いてくる。
病院で多くの患者さんを看取る中で、どう生きるかと同じくらい、どう死ぬか考えるようになった。病院での看護では行き届かない、叶わない、そんなもどかしさに対して、地域医療や予防医療といった観点で関わっていけたら生きがいが増す。

旅を通して地域で暮らして、病院の中では出会えなかった人々と交流するなかで、興味関心が自分から他人に向きはじめた。地域で長く健康に暮らしていけるように、予防的な関わりについて学びたいと思っている。

入社前の面接練習かな?

というくらい、まじめな終わり方になってしまった…。

そういえば、小豆島B邸の家守さんとの話もさせてほしい。彼女と出会ってから読書会を定期開催したりと、本を読む時間が増えた。読むだけではなく、アウトプットすることで対話する時間が増えた。特に恋愛といったキーワードを深堀していく姿に、飽くなき探究心をみては尊敬の念を送っている。
他に出会った方々にしても同様だ。これまで訪れたたくさんの拠点の中で、食事をしながら、共有スペースでまったりする時間の中から、好きなことを語るときの熱量にエネルギーをもらっていた。同時に、自分の思いを引き出してくださる人の存在に救われていた。おかげさまです。

この1年5か月、無職でいて本当に良かった。
ADDressというサービスを使って、旅暮らしをして本当によかった。

無職は辞めても、旅暮らしは今後もゆるく続ける予定です。
ADDressを使って通勤しながら、家も探すことになりそうだ。ADDressを「移住先を決めるため」という目的で使うことになるとは思わなかったなぁ〜。

これからもよろしくお願いします!

おしまい。


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