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学校は自分を否定する場所だった

「今日さぁ、

5+8=りんごの絵🍎
りんごの絵🍎+2=柿の絵

それぞれ、何個でしょう?
っていう問題があったの。

息子はさ、それが
全然わからないんだよね。

どうしたらわかるようになるのかな?」


ちえのわ・ちーちゃん先生
そうたずねると

「ん?何それ?算数?なぞなぞ?」

と返ってきて、
問題についてさらに説明し

「よく見て、ちょっと考えればさ
わかると思うんやけど。
問題見ただけでフリーズしちゃうんだよ」

と、
わたしが言うとちーちゃん先生は
怪訝な顔をしながら

「それ、できなあかんの?」

と、言った。

「だって、それ1年生の問題なんやよ」

と、ちょっとムッとしながら答えると
ちーちゃん先生は

「いや、そういうことじゃなくてさ
それってある意味
なぞなぞみたいなもんでさ
別に、りんごじゃなくて5+8=□でも
よくない?5+8はできるんだよね?

その推察って、今できないと
いけないことなのかな?」

と。

その時に思い出したのが
このこと↓

わたしは、算数が苦手で
本当に苦しくて

大人になって
社会保険労務士試験に
チャレンジしてようやく

勉強ってこうすればいいんだ!

ということを知り、
それがすごく嬉しかったから

息子にもそれを
身につけさせなければならない!

という気持ちが強くて
どうにかして解けるように
させなければ、と思ってしまう。

ちーちゃん先生と
いろんな話をしてたときに
ちーちゃん先生が

「とある子がさ、

学校は自分を否定する場所だった

って言ったんだって。
でもさ、先生達は別にその子を
否定してたわけじゃないんだけど

できる子とできない子がいるやん?
そうすると、できる子を見て
わたしはできない、できない子=ダメ=否定

ってなるから、学校が否定する場所に
なっちゃうんだよねー」

と言った瞬間、
わたしの目から涙が溢れた。

そうなんですよ、先生・・・!!

わたしはずっと

父から

「なんでわからんのかなぁ」

と言われ、
自分でも

なんでわからないんだろう
○○ちゃんはできるのに。

と、自己否定を強くしてきて
その悲しい思いをずーっと
癒やせてないんだなぁ、
そして息子にもそれを
押し付けてるんだなぁと

↑ここでも気づいてるくせに
まだやっているのであった(恥)

問題は、

算数が解けない息子じゃなくて
子供の頃の自己否定を
いつまでも大事に抱えているわたしだ。

しつこいよねwww


ちーちゃん先生に
息子が算数できないという話を
していた時、わたしは

「特別支援学校はさかき氷作ったり
誕生日会したり遊んでばっかり。
勉強させる気なんて全然ないよ」

と愚痴ってもいたんだけど
ちーちゃん先生は

「あきちゃんからするとさ、
かき氷作ったり誕生会したりって
あんまり意味なく感じるかもしれんけど笑

体験ってさ、すごく
いろんなことを教えてくれるんだよね。


例えば、以前の脱走事件もさ(笑)
あれは危険が伴うけども、

あ、脱走したらこんなに怒られるんだ
困った時に助けを求めたら助けてくれる人がいるんだ
助けてもらう時のために
家の電話番号を覚えておかなきゃいけないんだ、

みたいな感じで、
学ぶことがたくさんあるやん?」

以前の脱走事件↓

重ねて

「一説やけど最新の教育って
体験教育こそが学校での教育で
記憶の教育はもういっさい必要ない、
って言われてるんだよ。

なぜならこれ(スマホ)があるから」

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その瞬間、わたしは思わず叫んだ。

「え!じゃあ、特別支援学校って
最先端やん!!」

ちーちゃん先生は笑いながら

「確かにね」

と言った。


#勉強は座ってやれ

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特別支援学校は、本当に
いろんな状態の子がいて

比較したくてもできない。

しゃべれる子もいれば
しゃべれない子もいて。

歩ける子もいれば
歩けない子もいる。

わたしが体験してきた
比較されることで自分を否定してしまう場所とは
全く違う場所で息子は生きている。

なのに、自分ができなかった
”推察する”能力を今、身につけさせようとすることに
どれほどの意味があるんだろう。

こうやって幾度となく気づきを得ても

それでもわたしはやっぱり
息子に算数させちゃうんだろうけど

明日からはできたら
できないことよりもできたことに
拍手を送れるママになれるように。

がんばります。

#1週間くらい前にも
#似たようなこと誓ったけど
#ドンマイわたし


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