年頭の所感と美しい人生について

今年は言語化を鍛える年にしたいと、筆を執ってみる。noteもずいぶん書かなくなったし、書く必要がなくなったのかもしれない。「書く」という行為は自分へのセラピーのようで、澱んだ心が「書く」ことでろ過されていくような。私にとってはそんなものだろう。
正直、澱む暇もないくらいに日々忙しくて、いろんなことを感じないようにしていたし、それで強くなったような気がしていた。

人の悪意を真に受けたり、誰かの機嫌の悪さをわが身に引き受けたり、なかなか厄介な気質と幼少期から付き合ってきた。大人になって、そのいなし方を処世術として覚える反面、自分の心の機微に鈍感になっている。
それでもいっぱいいっぱいになるときは、どうしようもなく涙があふれてしまうこともある。

そんなとき、心を支えてくれるのがクラシック音楽である。最近特にブラームスの交響曲1番をヘビーに聞いている。自分の理想を追い求めたブラームス。この曲を書き上げるまでに20年かかったという。ベートーベンの正統な後継者を目指した彼。この交響曲第1番はベートーベンの交響曲第10であると評された。絶望と歓喜入り乱れるこの曲に、私はいつも人生を見出す。いつの時代も変わらない人間の感情が音となって表れている気がしている。不偏で永遠に美しい何かをそこに感じる。

私は、うつくしいものが好きだ。
美しいものに囲まれて、美しい人になりたいと常々願っている。

生きている中でたまに出会う、美しい人。容姿などではなく生きる姿勢が美しい人。そういう人は決まって明るい。荒波に例えられる人生を上手に乗りこなしている(ようにみえる)。 音楽で心震るたびに、美しい人に出会うたびに、わたしも美しい人生を歩みたいとそう思う。

美しい音楽と美しい人、2つに通ずるのは清濁合わせ呑んだ先の美しさ。あらゆる感情を味わい尽くし、昇華して前向きなエネルギーに変えていること。そういう人間になりたいと心から思う。 美しい人になりたい。

仄暗い感情を「いなす」よりも、飲み込む。自分が何を感じているかしっかり向き合う。モヤモヤも味わい尽くした先に美しい人生があると思えば、モヤモヤも悪くないかな。

2023年、感情を味わい尽くすことから始めようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?