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解像度を下げていくと見えるもの

初めてレコードプレーヤーを買った。

ずっとずっと欲しかった。レコードの音を聴いてみたかった。

思えば、小学生の頃ビートルズにハマって以来ずっと、古い音楽を聴いてきた。クイーン、ディープパープル…私の思春期のほとんどはレコード時代の音楽とともにある。

CDで聴く彼らの音楽はどこかニセモノのような気持ちでいた。

とあるテレビで、アナログとデジタルの音を比較するコーナーがあったが、全然違った。低音の響き、音の重なり、少しざらついた雰囲気、アナログのどれもが新鮮でレコードへの憧れはますます募る。

手元には大好きだった伯母が遺した沢山のレコードがあり、あとはプレイヤーを買うのみ……!!!

ネットで吟味して初心者向けのプレイヤーを購入した。本当は実店舗で音を聞いて比較検討したかったが、いかんせん地方都市のためプレイヤーを置いている店がない。ネットの口コミを参考に、Bluetoothに接続できるタイプのものにした。

届くまで約1ヶ月。かなり妄想した。初めては何を聞こうか。レコード盤はどんなスピードで回るんだろうか。針はどのタイミングで降りていくのか。そして、なにより、どんな音が流れてくるのか。

ソワソワ妄想する私の元についに届いたプレイヤー。初めて聴く曲はもちろんビートルズ。アルバムAbbey Roadの2枚目を聴くことにした。本当はGolden Slumbersを聴きたかったんだけど、レコードを途中から聴く技は分からないのでアルバムのはじめHere comes the sunから。

円盤をのせ、回転数を調整して、いよいよスタートのスイッチを入れる。くるくる回り始めるレコードの上に針がやってきて、ゆっくりと針がおりる。ジーっというノイズの後にかすかな音が流れてきた。




…なにこれ。




え、なにこれ。

思ってたのと全然違う。

ぜんぜんよくない…


なんでだろう。あのテレビから流れてきた、アナログレコードの音は画面越しでも分かるくらい美しい音だった。いまわたしの目の前で回っているレコードの音は掠れててくぐもっている。ボーカルの音とバンドの音のバランスも悪い。なにが違うの?


よくよく調べてみると、レコードは普通はアンプというものに繋いで音を増幅させてからスピーカーで流すらしい。

だからか。レコードを買おうと思っていると父にポロッとこぼしたら、やれ昔持ってたアンプだのスピーカーだのを延々と語っていたのは。そのときは、イマドキはBluetoothでスマートスピーカーに飛ばせば聴けるんだよ、どデカい機材揃えるとか、なんて時代遅れなとか思ってたけど。

お父さんごめんなさい。今さらながら話を真剣に聞けばよかったと後悔してます。

レコードというものはどうやらそのままではいい音ではなってくれないらしい。でも、アンプとやらに繋ぎ、調整をすれば好みの音にして聴くこともできるらしい。さらにスピーカーにこだわったり、溝の埃だったり、盤のエディションだったり、流れる音にかなりの変数が関わってくるという。


なんと大変なことだ!いい音を鳴らすために沢山の労力が必要とは!めんどうくさい!


思えば最近CDを聴いたのはいつだっただろうか。Amazon musicやYou Tubeで手軽に音楽を聴くようになって、ディスクを入れる手間さえ惜しむようになっていた。アレクサに話しかけ、今日の気分で音楽を流してもらう。

ああ、なんて簡単。時は2021年!わたしの好きな音楽やいい音は簡単に手が入る時代よ!

プロが調整した最適なバランスの音で、アレクサが流す音楽は私に最適化され、“私らしい”プレイリストが完成していく。



本当に?

本当にそれは”私らしい”

何か大切なこと見失ってない?



私はクラシック音楽も好んで聴いているのだが、歌詞やタイトルがない曲も多いし、長いし退屈だというイメージを持つ人も多いと思う。しかし、歌詞やタイトルがないぶん、曲の細かな解釈など演奏者や聞き手に委ねられている。ある人が聴くと自然の風景の音楽で、また別の人が聴くと恋の音楽、というように。(違うという人もいると思うが、あくまで一ファンの意見。)わたしはわたしだけの解釈を持った、わたしに委ねられた音楽としてクラシックを楽しんでいる。


これこそが私らしさなんじゃない?

クラシックの抽象的な不自由さが、私というフィルターを通して私だけの音楽になる。


レコードも同じことかも。機械の接続や調整、盤の選び方、保存方法など煩雑で一見とても不便だけど、不便だからこそ一つ一つのチューニングに個性が現れて、その人だけの音楽になるんだ。



より分かりやすく、より簡単に、より便利に、より素早く、より鮮明に


時代が進むにつれ、たくさんのことが手に届き、耳に入り、見える世の中になってきたと思う。見えすぎて、手に届きすぎて、考える機会が減り、自分を見失いがちになっている気がする。”あなたへのオススメ”で日常が成り立ってしまう。


でも、オススメされた日常は本当に私のものなのだろうか。


世の中の色んなことを敢えて解像度を低くしてみる。そして自分というフィルターを通して解像度を上げていくと、”自分”だけの何かがたしかにそこにあるんじゃなかろうか。

例えば、オススメされてなんとなく買った商品も、レビューや流行や誰かの意見は置いといて、なぜその商品が欲しかったかを機能や色、形、それを置く場所、使うシチュエーションなどなど、いろんな軸を通して考えることでそれはもう”自分だけの”モノとなっていると思う。


レコードプレーヤーを買ってみて、解像度が低いからこそ、できることがあるんだと実感した。

私らしい、私の好みの音を見つけるために、まずはアンプとスピーカーを揃えよう。








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