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【教室の一コマ】気づきをくれた一言

昨日のクラスでひしひしと感じたこと、そして私が深く反省したことがあるのでシェアします。

ぼうけんクラスでのあるシーン。子どもたちが前々からやってみたい!!と言っていたブロックと歯車を用いた学習をやっていました。私はいつものように子どもたちへ「なんでだと思う?」「こうしたらどうなる?」と問いかけていると、とある子から一言。

「先生、うるさいよ!」

その子は黙々とブロックを組み立て、歯車をぐるぐる回しては、違う形に組み換え、また歯車を回すを繰り返していました。そこへ私が話しかけ、歯車の構造をどこまで理解しているか確認しようとしたところでした。「うるさい」と言われ、どう対応しようかと逡巡しましたが、その場ではうまく対応できず、そうしているうちに他の子へから話しかけられ、その子はまたブロックに没頭するという場面に移り変わりました。

授業が終わった後、「うるさい」と言った子どもがなぜその言葉を発したのかに思いを馳せてみました。

状況:その子は黙々と教材に取り組み、絶えず手を動かしていた。そこに私が突然話しかけた。
起こったこと:生徒が「うるさい」という言葉をかける。
予想できる真意:集中したかったのに集中が切れた。もっとじっくり自分で考えたかった。まだ手を動かし続けたかった。

その子はもう少しブロックと自分だけの世界で考えていたかったのかもしれません。「うるさい」と言った後また没頭し、その世界を満足に味わってからは話を聞いたり、会話ができるようになりました。

私は急いでいたのだと思います。子どもが答えにたどり着き、それを私に伝えてくれることを。私は急いでいて待てなかった。そしてその子のペースを尊重できなかった。

当然ですがクラスの子にはそれぞれのペースがあります。テンポよく会話のキャッチボールをしながら自分の考えを話す子、じっくりじっくり考えて一言ぽつりと言う子。それを無視して、授業中の私は自分のペースに子どもを巻き込もうとしていたことに気づきました。

子育てをしていても、生徒さんと接していても感じることですが、大人の中に流れている時間より子どもの中の時間はゆっくりです。そして大人は往々にして待てません。「早くして!」と言いたくなります。
しかしそのゆっくりの間にも子どもたちは何かを感じ取っているのです。

こども主体の学びを提供したいと思いつつも、ついつい自分のペースで授業を進めていたなと「うるさい」の一言で気づくことができました。

次回からは「待つこと」をしっかりと頭に置いて授業を進めていきます。
気づけて良かった。昨日の反省でした。


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