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ハントマン・ヴァーサス・マンハント/第2章/第1節/「月の砂漠と呪いの血統」/中編

(承前)

妹に化けた怪物、あるいは怪物としての本性を現した妹が……便宜的に「妹」で統一するとして……俺の前に立ちはだかっている。まるで殺気は感じられない。俺の視線に気付いて、はにかんで小さく手を振っている。やはり俺の妹は可愛い。あれが偽物だなんて思えない。いや、偽物であってくれれば一番いいのか?しかし今の俺には考える時間があるはず。なのだが。

「はぁ、ニンゲンの道具に何やら仕込んで格上の私を出し抜いた気になっているところを気の毒ですけどね。……私の居場所を突き止めた、そこまでは善御座(よござんす)。それで?どうやって私を倒す気でいるんですか?」

何だ?妹も相棒も今夜、この場で雌雄を決するつもりでいるらしい。ちょっと待って欲しい。溜まった「休暇」を消化していると相棒が言っていた。その、今すぐ戦うというのは……何かのルールに抵触するのではないのか?

「ああ、我々が言う休暇と言うのはニンゲンのソレとは違いますよ。❝一晩につき一殺❞のノルマが免除されるというだけであって、他のプレイヤーは生き残りをかけて対戦相手を探して、そして戦って勝たねばならないというのは変わらないのですから。何より、この私が挑まれた戦いに背を向けて逃げるなど出来ぬ相談です。私にも矜持というものがありますので」

「そう、まさにその矜持とかいう哲学のせいで、とてもお腹が空いているのではなくて?弱っているところを見せた上で頭を下げれば……きっと兄さんは幾らでも貴女に血を飲ませてあげていたと思う。兄さんは、強い者に従うのを嫌う反面、弱ってる誰かを見捨てることが出来ないお馬鹿さんだもの」

相棒が不覚をとって衰弱している姿ならば見たことがある。しかし俺に頭を下げて何か頼み事をしているところなど、想像することすら難しい。なるほど、武士は食わねど高楊枝……ということなのか。

「はン。いずれダンナはあらゆる意味で私にヘコヘコするでしょう。ここで死ぬ貴女がそれを目にすることは無いでしょうが。そろそろ始めません?」

「そう、その兄さんに訊きたいことがあるのだけど。兄さん?……まだ彼女と❝契約❞は済ませていないのよね?」

やおら矛先が俺に向けられる。契約とやらが如何なる儀式のことを指すのかは見当もつかないが、ゲームマスターに指摘されたことなら覚えている。パートナーたる吸血鬼の貴族の容姿、声、服装などを自由にカスタム出来る❝初回サービス❞の行使と、それからゲーム内の通貨を使ってパートナーに何か贈り物をすることが推奨されたのだったか。しかし前者は俺が、後者は相棒が気に入らなかったので結局は何もしないまま、今日この時を迎えるに至ったのであるが……。

「やっぱり!……ね、兄さん。そこの横柄で尊大なムカつく伯爵のことなんか文字通り忘れさせてあげるから、今からでも私に乗り換えない?」

風にたなびく相棒のマントがぴたりと静止する。伯爵というのは相棒のような❝三ツ星❞ハントマンを指して言うらしいのだが、而して我が伯爵の表情に変化は見られない。……きっと怒っている。それぐらいは俺にも判る。

「悔しいけど、そこの伯爵閣下が私なんかの何倍も強いこと、私だってわかってるよ。だけど、知っているでしょ?兄さんの血には特別な力がある。相性抜群な私と兄さんが組めば百人力なのよ。兄さんの心さえ決まれば、後のことは何も心配いらないわ。そこの傲慢な伯爵はそのまま失格、今すぐ即座に直ちにこの場で❝あの方❞のエサになって後腐れナシ。どう?突拍子もない提案に思えるかもしれないけれど、一考の余地があると思わない?」

晴天の霹靂だった。怪物同士の戦いに巻き込まれるだけだった俺に訪れた、初めての主体的な判断を迫られる場面が訪れたからだ。ここは慎重に考えるべきだろう。俺は今、運命の分岐点に立っている。そして相棒の表情は変わらない。こちらには一瞥もくれないまま、俺の妹を凝視し続けている。

「ほらほら、伯爵閣下?今からでも兄さんに泣いて謝って縋りつくべきでないかしら?貴女が私の何倍も、何十倍も強かったところで❝ゲーム❞の参加資格を失えば問答無用で敗北だわ。そのまま食べられて死んじゃうのよ?」

ぎりぎり、と。錆びた鉄の軋むが如き音を立てながら相棒の首がこちらに向き直る。確かに俺の相棒は極めて横暴、極めて自己中心的だ。だけど他のハントマンが目の前に居る時と、そうでない時の態度の違いは歴然だった。これは伯爵としての「矜持」というより「体面」の問題なのかもしれない。相棒の中には……ひいては吸血鬼の貴族どもの中には「貴族かくあるべし」という共通の厳粛な規範があって……もしかしたら普段の気安い(優しくはない)振る舞いは、その規範に悖るものであるということなのかもしれない。

「私は目の前の敵と戦うだけです。今から一分が経過したなら問答無用で、あの子爵を始末させていただきますので。もし妹君を助けたいのなら今すぐ彼女の傍に駆け寄ってあげてください。私から言えるのは、それだけです」

それだけ言って相棒は対戦相手に向き直る。子爵とは❝二ツ星❞ハントマンの称号に相当するらしい。弱くとも気心の知れた妹と共に苦難を乗り越えて戦うか。強いが横暴で、正体不明の怪物に傅いて戦いを切り抜けるか。考えられる時間は残り僅かだったが、それでも俺の心は既に決まっていた。

(後編に続く)


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