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夢は枯れ野に、願いは引き金に【むつぎ大賞2023】

紆余あって少年は廃墟となった目的地の港町に辿り着いた。
曲折あって命からがら宿に逃げ帰ったという同業者からの、距離も方角も不確かな情報を信じて歩き続けた結果としては幸運と言うしか無いだろう。
海に面した手頃な廃屋を確保して床に座り込むと、疲れ切った骨を温めるべく愛用品の一斗缶に火を点けた。
悪くない立地だと少年は一人で納得する。此処ならば海を見張りながらも、気紛れに旧街道を通るかもしれない〈隣人〉から身を隠すのも容易だ。

「これで仕事は半分が終わったか。いや、違うな……」

少年は床にケーキを描いた。
女主人からの頼まれごとを片付けるのが半分。
無事に行って帰ってくるのが半分。
だから進捗具合は半分の半分といったところであった。
床に座り込んだ少年は夜空を見上げると、下宿先に置いて来た人質にも等しい貴重な詩集に思いを馳せていた。
廃墟から連想されたのは「世界が一番きれいだったとき」の人々の暮らしついてであった。とんでもないところから夜空が見えるような廃屋とて、往時には立派な屋根と壁、それから窓があったのだろう。
強い潮風に吹かれて火の勢いを物足りなく感じた彼は懐から【追放譚】と呼ばれる書物を取り出した。読む為ではなく、火にくべる為である。
稀少度の低い、それも飽きるまで繰り返し読んだ本とはいえ蛮行には違いないが、彼とて平時であればこんなことはしたくなかった。ただ、貴重なマッチを消費して点けた火を絶やすような危険を冒したくはなかったのだ。

「一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた……」

少年は待っていた。下宿先の女主人に頼まれて、遺跡荒らしの一団が此処で確かに見たという救世十字軍の〈小さな白い船〉を待ち構えていたのだ。
断れば「追放」の憂き目に遭っていたであろう。それは馬も地図も持たぬ少年と、それから多くの同業者にとっては死の宣告も同然であった。

(私が欲しいのは連中の情報。頼りに出来るのは貴方だけ。無理にとは言わないわ。貴方の〈ネイサン〉を受け入れてくれる宿屋が他にあるならね)

救世十字軍。
それは〈九十〉とも〈苦渋〉とも呼ばれる当代きっての戦闘集団のことである。彼らの働きによって、文明に終焉をもたらした白、赤、青、黒の四騎士は撃退された(だから人類は滅びなかった)とも、今では船団を率いて人類に救済をもたらすべく旧世界の武器を振るって五大陸の〈隣人〉を駆除して廻るための旅を続けているとも言われている。
この時代の地方領主、つまり宿屋の経営者が揃って問題にしているのは彼らの活動費のことである。よもや武力を背景に各地で喜捨を迫っているのではないか、という噂が彼らにはついて回っているのだ。

「……いつまで?」

少年の隣に佇む怪生物が呟いた。まさしく怪生物としか言いようがない。
顔と胴体は人間の女性、四肢の代わりに猛禽類の翼と趾を持った〈隣人〉である。伝説のロック鳥と人間の混血にも見えるかもしれないが、違う。少年の姉が、人間として死した後に〈隣人〉として起き上がった個体であった。

「朝まで待って、誰も来なかったとしたら管理人さんにも言い訳が立つと思う。それ以上の長居は無理だな。食料も燃料も余裕が無い。僕も読みかけの『羅生門』までは燃やしたくないよ」

〈隣人〉とは昼日中に蠢く人間と隣り合わせの世界、即ち夜の世界を闊歩する新しい人類(※諸説ある。まだ世界が若かった時代の文献や絵巻物にも彼らのことが記されている)のことである。
〈隣人〉は自分の縄張りを徘徊する人間に対して容赦なく襲い掛かる。
なので「賞金稼ぎ」や「冒険者」を自称する、手に職を持たぬ遺跡荒らしどもは、命を惜しんで日が沈む前には宿屋に戻ることにしていた。
彼らが持ち歩く竹槍や棍棒は夜の種族と戦う為の武器ではない。「人間の武器は人間にしか通用しない」というのは、この時代における常識であった。

「……待つ」

その言葉を聞いて少年は安堵した。以前は「いつまで、いつまで」としか喋らなかった〈隣人〉が、今では「い」「つ」「ま」「で」の四文字を組み合わせて会話を試みるようになったのだ。
少ない食糧を分け合い、長い髪に櫛を通し、特注のブラウス(翼を通す為に袖は無く、脇は大きく開いている。針子は良い仕事をした)を揃えた苦労は報われたと少年は思った。〈隣人〉を手懐けて連れ歩く少年は、いつしか「魔物使いのダンナ」と呼ばれて多くの無遠慮な同業者からの尊敬と距離を勝ち得ていた。連れ歩く「魔物」のお陰で復路の危険が幾らか減じるので、少年は木賃を稼ぐのにも四苦八苦する同業者よりも遠くの町へ、より多くの遺物を宿屋に持ち帰ることが出来るようになっていた。

「ママ」

突如として〈隣人〉が一斗缶を蹴飛ばした。周囲は闇と冷気に満たされる。
退屈に耐えかねての暴挙ではない。それを知っている少年が咄嗟に体を丸めると、ニワトリが卵を暖めるようにして〈隣人〉が素早く彼に跨った。周囲を確認するのも危険な状態だと少年は知っていた。音がする。気配がする。
〈隣人〉の民族大移動が近くを通りがかったのだ。百鬼夜行と呼ばれる現象である。何の備えもなく目にすれば命は無い。その姿を確かめようとした母親が、家で寝かせていたはずの幼子を連れ去られた事例もあったらしい。

(姉さんは起き上がってから最初に見た僕を母親だと思っているのかな?)

そう仮定すれば〈隣人〉として起き上がった姉には人間だった頃の記憶など残っていないということになる。だとすれば、姉ではなくなった姉を自分の隣に引き留めるのは正しい行いではないのかもしれない。
少年が手持ち無沙汰を嫌う理由。それは彼が読書を好む理由でもあった。

(……考えたくない。早く帰って『羅生門』の続きを読みたい)

自問自答の堂々巡りを打ち破ったのは夜の冷気と新鮮な空気であった。やはり唐突に〈隣人〉が無言で立ち上がった。
自由に動けるようになった少年は過ぎ去った大行列の後ろ姿を無自覚に見ようとして、羽毛で視界を塞がれた。
それから〈隣人〉は倒れた一斗缶と少年を交互に見ると、早く火を点け直して頂戴と言わんばかりに身体をぐいぐい押し付けて来た。まだ長い夜を一人と一匹で過ごす為に少年は貴重なマッチを躊躇わずに消費して、再び一斗缶に火を点けた。次第に夜の空気は遠くなっていた。
それから燃えさしの【追放譚】が灰になる頃、水平線から太陽が昇るのを、少なくとも少年は生まれて初めて目の当たりにしたのだった。

「……見ろよ、姉さん。太陽が昇ったぜ」

少年は隣に立つ〈隣人〉を見上げた。夜明けと共に姿を消すことのない特別な、そして人間を襲わない(襲うこともある)不可思議な〈隣人〉を。
そして息巻いて〈隣人〉は言い放った。

「ママでいい」

少年は何かを言おうとして、やはり何も言えなくて笑い出した。
それから人間だった頃の姉が、ここまで自分に対して親身になってくれたことが無かったのを思い出して泣き始めた。
生まれ育った家のこと、週替わりで違う男を連れ込む姉のこと、その彼女が無言の帰宅を果たした夜のこと、そして起き上がった魔物に、二度目の死を与えようと魔笛を構えた祖父の姿が次々に思い出された。
その間、何も言わずに〈隣人〉は少年の隣に寄り添った。

……結局、待てど暮らせど〈小さな白い船〉は来なかった。
一度は見捨てた極東の島国に、今になって救世十字軍が訪れるというのも不可解な話ではあったのだ。同業者が見たというのも何かの見間違いだったに違いないと少年が結論を出した瞬間のことであった。
それは水中から現れた。既に太陽が出ている時間なのだから、つまり海に潜む〈隣人〉ではない。彼は狼狽した。白い巨体。だが舳先も甲板も、そして櫂も帆も無い船などあるのだろうか。ましてや、海を潜る船など!

「ヘイボーイ、メイアイヘルプユー!?」

(ここでワンシーン終わり)

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