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学年代表だったのに叱られた

 中学1年から級長みたいなポジション(当時は総務係と呼ばれていた)をやっていた。級長といっても、クラスで行う行事やイベントの進行係兼雑用みたいな役割で、自ら立候補してやっていた。

 それをやっていたこともあり、帰宅部だったにも関わらず、クラスでは、なんとなく一目置かれている存在だった。成績はクラスのトップではないが5番手ぐらい。上の中みたいな位置づけだった。

 そんなポジションを続けていき、2年生でも引き続き立候補すると、いつの間にか学年代表となっていた。学年代表とは級長のまとめ役みたいなポジションである。中学2年なので級長界の中ボス。

 面倒な役を引き受けさせられたというのもあるけど、自分なんかがやってもいいのかなと思いながらも、その役割を果たしていた。

 学年代表といっても、みんなの前で話すなどはなく、各クラス委員が集まり連絡事項やイベントごとを推進する役割なので、それほど苦ではなかった。

 そんな折に校外学習が行われることとなった。行き先は同じ県内の古都鎌倉。  
 
 クラス内でグループ分けして、学生たちだけで鎌倉を散策するイベント。明らかに、3年生の修学旅行で京都、奈良を班行動するためのトライアウト的に設けられた行事だった。

 この行事は面倒なことに、実施する1ヶ月前ぐらいから事前学習という名前で散策するルート、名所を調べてクラス内で発表しないといけない。当時はインターネットなんてなかったので、学校の図書館で本を借りて調べないと分からないので、すごく労力がかかる。 

 歴史に興味があったり、買い物を楽しめる大人ならば下調べは楽しいが、中学生にとっては、鎌倉は歴史的建造物だらけで面白くなく、苦行。

 グループの大半の生徒は下調べを放棄する中、学年代表という足かせをつけた自分が何とか調べたことをまとめて発表を行い体裁を整えた。

 そして校外学習の当日。

 各グループで地元の駅に集合して出席を取っている先生に点呼してもらい、電車に乗って「いざ鎌倉へ」。

 北鎌倉駅で降りるとここにも先生がいて、チェックポイントを越えればグループでの自主行動が開始される。

 午前中は円覚寺から源氏山公園を抜けて銭洗弁天へ行ってお金を洗い、建長寺に寄ってから鶴岡八幡宮へ行くルート。いま考えると結構過酷な道のり。

 途中、グループのメンバーからもらった飴でエネルギー補給して、お腹をすかし、足もフラフラになりながら、なんとか鶴岡八幡宮に到着できた。

 鶴岡八幡宮では昼休憩をとっている他のグループや他校の生徒で一杯だった。我々も場所を確保して昼食を済ますと、ご多分に漏れず、他グループの友だちを見つけては「どうだった?」などの談笑したり、くだらない会話をし始めた。

 昼食後も散策ルートが組まれていたが、そもそも、中学生が作ってることもあり、時間配分もなければ、疲れも考慮されていない。午前中がかなりの強行軍で疲れてきているので、グループメンバーと話してここで終了することとした。先生によるとチェックもないので、怒られることもない。

 こんな感じで楽しく終了した校外学習。だが、翌日に思わぬ展開が待っていた。

 散策中に「お菓子を食べていた」という通報があったということで、午後の授業を中止して中学2年生全員が屋上に集められた。

 集まった全員に対してお菓子の件など生徒指導の先生がひと通り怒ったあと、該当者はその場に立って自己申告しろみたいな流れになった。

 昨日のことを振り返ってみると、自分も友達に飴をもらって食べていたことを思い出した。うぁー、俺も該当してる。

 中学生は素直なので次々と該当者が起立していく。そして、同じグループのメンバーも正直に起立し始めた。

 現場を見られたわけでもなく、証拠があるわけでもない。黙ってれば逃れられたかもしれないのに、当時の自分にはそんなズルい考えはなく、グループメンバーと一緒に起立した。

 先生たちからは「学年代表のお前もか!?」と名指しされて死ぬほど恥ずかしかったけと、生徒の三分の二ぐらいが起立したこともあり、その後はひと通りの注意を言ってその場は終了した。

 学年代表なのに違反した。この事実があとになって重くのしかかった。中学2年の下期もクラスメイトや先生から級長に推されたが、頑なに就任を固辞した。級長にはならない。これが自分なりの責任の取り方だと思っていた。

 こんなこともあり、帰宅部で級長だった自分は、たんなる帰宅部となった。

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