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[読書の記録] 柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』(2015.03.21読了)


 遅ればせながら、「初音ミクはなぜ世界を変えたのか」(柴那典 2014)を読んだ。去年、それなりに話題になっていた書籍だと思う。(※この感想文は2015年に書かれています

 著者はRockin’ On編集部出身、ナタリー等で書いている音楽ライターで、本書が初の単著となる。
 全体にRockin' On的な語り口で、日本語によるロック批評独特のジャーゴンとフレージングが散りばめられているのが苦手な人は苦手だろうが(私もあまり得意ではない)、いずれにせよ日本の音楽シーンに対する熱い期待と希望にあふれた良書だと感じた。

 業界有識者・初音ミク関係者へのインタビューを軸に構成されており、研究書というより、どちらかといえばジャーナリスティックな内容ではあるが、楽曲アナリーゼも豊富で、音楽評論としてしっかり読みごたえがあった。
 ニコ動や初音ミクを良く知らない人からすれば、単に「変わりダネ」としてとらえかねられないボーカロイドムーブメントを、従前のポピュラー音楽史との連続性の中で定位していることが、本書の最大の功績だと思う。
 秋葉原系オタクカルチャーの文脈で語られることも多かったボーカロイドのシーンだが、初音ミクは、あくまでもDTMソフトウェアであり、60年代から脈々と続いてきたポップミュージックとコンピュータの進化の末に、必然的に生まれたものだった。

 ゼロ年代は概ね、音楽がどんどん売れなくなる!という悲観論ばかりが繰り返された時代だった。1990年代末にピークを記録したCDの販売量は、その後右肩下がりの落ち込みが続き、2007年には全盛期の約半分の規模にまで縮小している。
 また、日本だけでなく、世界中で同じ現象が起こっていた。CD売り上げの退潮は単なる一時的な不況によるものではなく、構造的な問題であることは明らかで、この先、音楽ソフト市場はゆっくりと縮小していくだろうという見通しが、業界関係者や消費者によって語られた。2007年当時、レコード会社を中心にした音楽ビジネスに関わる人間でバラ色の未来図を思い描いている人は、ほとんどおらず、諦めにも近いムードが、業界には漂っていたのだという。
 津田大介氏による『だれが「音楽」を殺すのか?』というタイトルの本が2004年に刊行されたことに象徴されるように、混迷する音楽業界では、CDセールス減少の犯人探しが、様々な場所で行われていた。そして、多くの場合、PCとインターネットがその槍玉に挙げられた。
 違法ダウンロードやコピーによって、CDの売り上げが下がっているのではないかと音楽業界が考え、懐かしの(!)コピーコントロールCDが導入されたのが2002年である。しかしこれは、購入したCDをiPodなどの携帯型デジタルオーディオプレイヤーで聴くためには不便きわまりない仕様であり、ユーザーからの大きな反発を招いた。しかも、コピーコントロールCDをもってしても、売上の減少を食い止めることはできなかった。
 こうした状況下で、PCとインターネットを敵視していた音楽業界の守旧派たちに、新しい音楽の可能性を提示してみせたのが、初音ミクだった。

 ただし、この本によると、ボーカロイドは、最初からユーザーに大歓迎されていたわけではなく、むしろ、当初はほとんど売れず、2007年に発売された初音ミクは、メーカー的には「最後の賭け」だったようだ。
 この2007年というタイミングこそが、初音ミクを大きなムーブメントにしたと筆者は論じる。なぜなら、初音ミクが爆発的人気を獲得する最大の要因となったのが、ニコニコ動画の登場だったからである。

 ニコニコ動画は、2006年12月に「ニコニコ動画(仮)として実験サービスを開始し、2007年1月に「ニコニコ動画(β)」としてベータ版サービスを開始している。当初はYouTubeの投稿動画にコメントを載せる仕様だったが、2007年3月の「ニコニコ動画(γ)」からはID登録制で専用サーバに動画をアップロードする仕様にバージョンアップし、同年5月には登録者数100万人を突破し、あっという間に日本のネットユーザーに浸透した(私がアカウントを作成したのもこのころ)。
 コンテンツをきっかけにコミュニケーションを生成する場を提供するニコ動の考え方から最初期に生まれたのは、多数のユーザーが同じコメントを一斉に打つ「弾幕」と呼ばれる遊びだった。そのきっかけとなったレミオロメン「粉雪」のPVでは、サビの部分で元の映像が見えなくなるほど、画面が歌詞で埋め尽くされていた。
 弾幕のきっかけには「ネタ」が必要である。Jポップの人気曲なども投稿されてはいたが、ただカッコいいだけの曲は盛り上がらない。むしろゲーム『新豪血寺一族―煩悩解放―』のPV「レッツゴー!陰陽師」や東方Projectのアレンジ曲「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」など、突拍子もない展開やコミカルな曲調を持つ動画が人気を集めた。ユーザーがツッコミを入れることができるユーモラスな要素を持つ曲が受け入れられたのである。そこから、既存の音源や映像を組み合わせ、その絶妙なマッチングや、逆に笑えるミスマッチを楽しむ「MAD動画」がニコニコ動画上で流行していく。

 ボーカロイドの登場以前にも、自作曲を紹介してくれるラジオ番組があったり、「同人音楽」を好事家たちが楽しむ、という文化は日本に存在していた。とはいえ、ネットが普及する以前は、彼らの曲が不特定多数に向けて発表される機会は、なかなかなかった。
 それが「ニコニコ動画」をはじめとする動画投稿サイトのおかげで、簡単に、多くの人に聴いてもらえる可能性のある場所にアップロードすることができるようになったのである。

 一方、2007年頃から、ネット上での「著作権に対する意識」が厳しく問われるようになってきていた。
 「MAD」の場合は、どうしても、「元ネタの著作権を侵害している可能性がある」ということで、削除対象になったり、他のユーザーからの批判も出てきたりといったことは不可避だった。このような、「ネタ」を作るのために既存の曲を使うのが難しくなりつつある状況下で、ちょうど『初音ミク』があらわれた。

 ボーカロイドを使ったオリジナル曲の流行は、「著作権問題を考えると、オリジナルでやるのがいちばん『無難』だろうという、消極的な選択であった面」もあったのである。
 ところが、実際にそれでオリジナル曲をつくって、それが多くの人に賞賛されたり、ツッコまれたりしながら共有されるようになっていくと、「自分たちで、自由に曲をいじって遊んだほうが、面白いんじゃないか?」と思う人たちが増えていった。

 このニーズにばっちり合致していたのが初音ミクというソフトウェアだった。
 ボーカロイドブームは緻密なマーケティングに基づいて生まれたものではないし、核となる仕掛け人がいたわけでもない。あえて言えば、初音ミクというキャラクターそのものが核ではあるが、開発当事者も、ニコ動の普及とのシナジーによって普及していくとは予想していなかったようだ。
 ニコ動で人気のボカロP(ボーカロイドの楽曲をつくる人)たちが、一時的な金儲けよりも、ボーカロイドによる作品の共有と、その可塑性を活用した二次創作を通じたコミュニケーションの連環を望み、楽しんだことが、大きな流れを生み出した。
 こうしたボカロPたちの理想に対して、制度面でのバックアップもあった。ボカロPたちを取り巻く音楽ビジネス関係者は、ネット上での楽曲改変をフリーにしつつも、カラオケなどでの利用から印税をもらえるような契約により、自由な創作と、創作による対価の獲得の両立を実現した。

 著者はこの熱気にあふれた時代を「サード・サマー・オブ・ラブ」と呼び、ポピュラー音楽史上のメルクマールとしている。

 しかし同時に、この熱狂が永続するものではないことも予測している。
 2011年、初音ミクを巡る現象は1つの到達点を見た。初音ミクを用いた人気ボカロPたちの曲がポップチャートに登場し、それまであくまで「インターネット発」としてイロモノ視されていたボーカロイドシーンの動きが、一般の音楽シーンに顕在化した。
 そして2012年以降、ムーブメントの変質が徐々に明らかになっていく。やはり商業化されれば、勃興期の熱気が失われることは回避できない。新しい熱が生まれると、それはブームになる。そうしてブーム自体は去っていく。それは避けられない宿命のようなものだ。

 しかし、ロック勃興期の「サマー・オブ・ラブ」は終わっても、ロックという音楽が死に絶えることはなかったし、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」後も、クラブカルチャー自体が廃れることもなかった。むしろその後の10年にそれぞれの「黄金期」とも言うべき時代を迎えている。ロックにとっての70年代、テクノ、ハウスにとっての90年代は、それぞれ名作と呼ばれる作品が続々と登場する充実した時代になっている。
 ブームは去っても、カルチャーは死なない。ということで、ボーカロイドが、これから、「より多くの人や世代に広がっていく」可能性はある。

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