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[読書の記録]さやわか『10年代文化論』(2015.06.30読了)

本書は「残念」をキーワードとして2010年代文化の本質を、(その半ばである2015年に)先んじて論じる試みである(であった)。
人気のサブカルチャー作品の中に観察される「残念」な要素を抽出し、若者文化や社会問題との関係性を考察している。

筆者によれば、「残念」という言葉の意味は、ここ10年ほどで明らかに変容してきている(第1章)。例えば、「残念な美人」という用法のように、 「もの足りなく感じること」「悔しく思うこと」など、明らかにネガティブな意味として説明されている辞書の定義とは異なり、昨今の「残念」は肯定的なニュアンスを持っているという。
美人なのに残念。イケメンなのに残念。といった具合に、一言でまとめてしまえば、いわゆる「ギャップ萌え」的な感覚に近いものだと考えられる。要は外面と内面が一致しておらず、どちらかが優れていても、もう一方の「残念」さによって、本来ならばその良さが打ち消されかねないところを、その「残念」さも含めて肯定的に受け入れ、認容するという感覚が広く共有されている。

以上のような基本認識に絡めて、ラノベ、ボカロといったポップカルチャーおよび黒子のバスケ事件等ポップカルチャー絡みの犯罪等を論じている。

切り口自体は面白いが、新書ということもあって割とさっくりした内容で、読みごたえとしてはイマイチだった。


思いつきベースだが、この本で解説されている「残念」もそうであるように、ギャップ萌え的な、外面と内面に落差があることを認容する空気って要は、”社会的な抑圧”と”本能”の乖離を許容する、フロイト主義の死みたいな話なのかなと。

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