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カウンセリング31回目(2023/3/20)-普通への憧れ-

前回以降の出来事として、心の蓋を外すと思うと無理がなかった事、他の目標は全然体が受け付けなかった事等を話した。
そこから、明確に目標として掲げてしまうと辛くなるので、なんとなく心の蓋を外す事を目指す方向でカウンセリングを進める事になった。

カウンセリングを始めて8か月で初めて目標が決まった。

どうして蓋をしているのか、いつから蓋があるのか、等聞かれたけれども自分でももう良く分からない。
蓋の開け閉めをコントロールも出来ないし。
でも、私は自分の何もかもが許せなくて嫌いだから、消したい、なかった事にしたいと思って蓋をしようとしているのかもしれない、とは思った。

そこから、何で心の蓋があるのか考える事になった。
私は多分親のせいだと思うと伝える。
先生「そうね、親のせいかもしれないね。」
私、この一言で壊れてしまう。
「かもしれない」じゃなくて「絶対に親が悪い」って言って欲しい。
自分でも「多分」っていったくせに、心の底では親が絶対的に悪いって思ってたみたいで、少しでも親の責任を軽くするような発言が一ミリたりとも許容できなくなってしまった。
同時に私の為に親を怒ってほしいという気持ちがむくむく湧いてきた。
例えば自分の大切な宝物を理不尽に壊されたら怒るように、私の事を大事だと思うのなら、私を壊した親を怒ってほしい。ぼろくそに非難して欲しい。
私の事を大事に思っている証明として、私の為に怒ってほしい。
そう伝えるも、先生は絶対に親の事を悪く言わない。
いくら怒ってほしいと言っても、頑として聞き入れてくれない。

絶対に私の要望を聞き入れてくれない先生は、私の事は結局大切じゃないし、どういう風に扱われてもかまわない存在なんだと思えて、悲しくて悲しくて感情の暴走が止まらなくなって、先生にかけていた眼鏡を投げつけてしまった。(人にものを投げるのは最低)

そんな感じで、過去にないくらい感情的になり、足を踏み鳴らし、怒鳴り散らしてしまったが、先生は親の事を絶対に非難せず、その日は終わった。

帰り道

絶望的な気持ちだった。
私はずっと「普通」にあこがれていた。
清潔な家で育ち、親に愛され、人と自然に話せ、ゆがんだコンプレックスなく、屈託なく笑える。。。
だからほぼ無意識にそんな人間のふりをして生きてきていた。
といかそういう人を見つけては真似をして生きてきていた。
そういう人間でいたかったから、娘をサンドバッグにするような親だったとしても、自分が育ったのは普通の家庭だと思い込もうとしていた。
自分に深刻な問題なんて何もない、普通に笑っている女子の一人だと思い込もうとしていた。
だから、親のせいで私が生きづらかったなんて認めたくなかった。

でも、なんで親は私をあんな風に扱っていたのかな、と考えたら「私の何もかもが気に入らなかったからだ」という答えにたどり着いた。
それって私が考えた自分の心に蓋をする理由じゃん。。。やっぱり親が原因だったんだ。

今回のカウンセリングではっきりしてしまった。
私はずっとこんなに、我を忘れて先生にものを投げて怒り狂う位親を憎んでいた事。
自分を否定するのも親が原因な事。
こんなに激しく憎む位親にひどく扱われたせいで、私は自分の事をゴミと思うようになったし、本当はずっと生きづらかった事、でも普通でいたかったから親は悪くないと思い込もうとしていた事。

普通でいたかったから、ずっと生きづらさなんてない、普通の健全な家庭で育った人間のふりをしていた。

でも、どこまでいってもそれは「ふり」でしかなく、結局こうして鬱になったし、普通の片りんも手に入らなかった。

もっと、早く親がおかしくて私もおかしい事を認めていたら、もしかしたら結婚できたかもしれないし、子供が産めたかもしれないし、まともな仕事に就けたかもしれない。
私のずっと欲しかった普通に少しは近づけたかもしれない。

でも、ずっと問題に蓋をして時間をドブに捨ててきていたので、今更気が付いてももう遅い。

私が苦しみながら普通になれない劣等感を感じながら、必死に演じてきた普通は何の意味もなかったどころか、私の人生を手遅れにし、可能性を全て閉ざしてしまった。

私はずっと必死に何をやっていたんだろう。
そう思って泣いた。




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