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異世界Git その2 〜瀕死の少年〜

異世界Git 第2話です。1話を読んでいない方は↓のリンクからどうぞ。
時間がない方は、下にあるあらすじを御覧ください。

前回までのあらすじ

主人公は、ある人への恋心を綴った(とても恥ずかしい)文章を間違ってGitHub上に上げてしまう。
あわててgit resetやforce pushを試みるも、GitHubが落ちていたり、Git自体がエラーを吐いたりし、もとに戻すことができない。
絶望した主人公の視界の端で、エラーを吐いたターミナルは不気味に輝くのだった。

git reset --hard HEAD^
> You cannot go back.

本編

あの後、「もう終業も近いし、Gitが使えないなら帰るか」と言ってみんなは帰っていった。

幸いなことに、僕のPRは見られなかった。
僕はというと、結局終電までGitをいじくり回していた。

どうにもならなかった。
頭がどうにかなりそうだった。
疲れ切った体と沸き立った頭を抱えた僕は、会社を後にした。

外に出ると、水の匂いがして、やはり雨が降っていたことを知った。
自分の体を引きずってに会社の最寄り駅までいき、電車に乗った。

戻せなくなったcommit履歴。

Githubに挙げられた、僕の「先輩日記」。

一体、どうしたらいいんだろう。
明日Gitが直っている保証なんて、どこにもないのに。

車内放送が流れる。

「次は、渋谷。渋谷」
「お出口は右側です」

帰路につくには、渋谷で乗り換えないといけない。

「東急東横線、東急田園都市線、京王井の頭線、地下鉄銀座線、地下鉄半蔵門線、地下鉄都心線はお乗り換えです」

電車がスピードを緩める。

「電車とホームの間が空いているところがありますので、足元にご注意く」

突然音声が乱れた。ざわつく車内。

その瞬間、車体が大きく揺れた。
僕は立っていられなくなって足を折り曲げた。

車両全体が急な坂道に感じるほど傾く。
左側の出口に全身を押し付けられてうめき声を上げる。
すぐに、今度は右側の出口に体を押し付けられる。

あまりにも、大きい揺れだった。

人間がただの肉塊のように揺れに翻弄され、車内全体がかき混ぜられる。
僕の体はさらに車内の天井付近へと持ち上がり、天井付近にあった手すりに頭を強く打ち付け、あまりの痛みに息ができなくなった。

景色が歪み、そのまま薄れていく。

僕が最後に目にしたのは、黒くて細長いものがうごめいている姿だった。




さっきまで、渋谷行きの地下鉄に乗っていたはずだった。

気がつくと目の前が真っ暗になっていた。
それは尋常じゃない暗さだった。

光なんてほとんどなくて、まるで黒い布が自分の顔にベッタリと張り付いているようだった。


頭を動かそうとして、身動きが取れないことに気づく。
体中を長くて硬いモノで締め付けられている。

締め付けているモノを掴む。ゴツゴツした感触。
ちょっとやそっとじゃびくともしないほど硬い。

ぐっと掴んで、渾身の力で体から引き剥がそうとする。
ミシミシ、ギシギシと音を立て、ゆっくり、ゆっくりとそれは体から離れた。

締め付けているモノは何本もあった。
一つ引き剥がす。もう一つ引き剥がす。
何度か同じことをやって、ようやく体が自由になった。


とにかく、車両を出よう。

一歩一歩、確かめるように足を踏みしめる。

じゃぶじゃぶと音がする。
車内は、なぜか僕の足首くらいまで、サラサラとした液体が溜まっているようだった。

ようやく、ようやく僕は車両から外に出ることができた。

車両を見る。

今まで自分が乗っていた車両の、窓という窓が破壊されていた。
自分の車両だけじゃなかった。
隣の車両の窓も、すべて破壊されていた。

窓からは、なにか太くて長いものが何本も何本も飛び出ていた。

気づいた。

さっきまで、たくさんの人が乗っていたのに、車両から降りたのは僕だけであることに。


急に恐ろしくなって、僕は駆け出した。
周りは暗くてほとんど見えない、
何かに毛躓いて転びそうになる、
一寸先が闇すぎて泣きそうになる、
それでも怖くて、駆け出さずには居られなくて、
足を大きく振り上げた時、つま先をコンクリートに強く打ち付けた。

悶絶。

悶絶の先に、薄っすらと明かりが漏れていることに気づいた。

階段。

一目散に階段を駆け上がる。

階段からは、液体が流れ続けていて、小さな川のようになっていた。
うすぐらい階段は、水の流れる音が反響してザワザワと音を立てている。
階段を一段上がるたびに、何かに足を引っ掛けてしまう。
僕は擦り傷だらけになりながら、階段の最後の一段を蹴り上げる。

そして、目の前が一気に明るくなった。


そこは渋谷のスクランブル交差点の前だった。

多くの人が行き交う交差点。

人が多すぎて、渡るたびに「もう二度と渡らねえぞ」といつも思っていた、その交差点。


そこには、ただの一人も人がいなかった。

信号待ちをしている人すらいなかった。


周りを見渡すと、
渋谷駅付近にも、
駅前のTSTAUYAビルにも、
道玄坂にも、
誰一人として人が居なかった。

その代わり、太くて長いものが伸びていた。

渋谷駅から、
駅前のTSTAUYAビルの中から、
道玄坂の坂の上から、
そして自分がでてきた地下から地上へと続く階段からも、

その長いものがスクランブル交差点の中央に集まり、
絡み合い、
混ざり合って、
背の高い不気味なモニュメントを作っていた。

それらはーーゴツゴツとした、木の根だった。


僕はその場に立ち尽くしていた。
みたことない光景に、足がこわばっているようだった。
気力を振り絞って、足を振り上げる。

ーーじゃぶ。

水を蹴り上げる音がする。地上にも、無色透明の液体が溜まっていた。
そこに太陽光が降り注ぐ。
揺れる水面は太陽光を乱反射させて眩しくきらめいた。

目を凝らすと、液体の中には木の根が這っていた。

ーー渋谷という街が、マングローブに覆われてしまったかのようだった。


どうなってしまったのだろう。


「ーーー」

ーーふと、近くで声が聞こえた。

10代半ばくらいの、少年の声だった。

先程まで誰も居なかったはずの、スクランブル交差点の端っこ。
彼は、まるで信号待ちをしているように、その場に佇んでいた。

その少年の顔は、苦痛で歪んでいた。

そして、体からは無数の枝が伸びていた。

彼が身じろぎするたびに、
その枝はうねうねとのたうち、
伸び、
スクランブル交差点中央に吸い込まれていく。


「ーーあいつさえ」

少年は声を上げる。

「あいつさえ、いなければ...!」

彼は、振り絞るように、ある人の名前を叫ぶ。

「リーナス・トーバルズ...!」


私は、少年のことは知らなかった。

けれど、彼のことは知っていた。

リーナス・トーバルズ。

ーーこの世界で、Gitを創りそして広めた、その人だった。

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