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実家のメンバーから脱退した話

脱退の意志を告げたのは、最初は母からの電話だった。

元々は急に脱退をする気は無くて、徐々にフェードアウトしていこうかなと思っていた。しかし、第二子を妊娠中、「里帰りはしない。手伝いもいらない」と告げていた私に、「1週間そっちに行くから」と宣った母に、堪忍袋の緒がきれてしまった。

この人にはもう、話が通じないのだーーーと思った。何度も何度も理由を述べて説明していたにも関わらず、それまでの話がまるで無かったかのように返答を覆すのだ。

私が手伝いに来てもらいたく無かった理由は明確である。産後直後の娘より、父を優先される事実を目の当たりにしたくなかったのだ。

幼少期から、実家ではまず父を第一に考えて行動せねばならなかった。かねてより楽しみにしていた遊園地でも、父が機嫌を損ねれば諦めねばならなかった。裏を返せば、楽しい日常を保つ為に、常に父の機嫌を取らねばならなかったのだ。結局、我慢して得た日常も楽しくはなかったのだが…。 





一度だけ、母と二人で一泊旅行に行ったことがある。私は、幼心に「父を忘れて楽しめる!」とワクワクしていたのだが、母は、いつ父から(戻ってこいと)連絡があるか分からないと、顔面蒼白になりながら、結局体調を崩してしまった。父の前ではそうそう体調を崩せない彼女は、小学生の子どもの前でようやく気が抜けたのだろうか。

私は、目の前に娘しかいない時でも、父には勝てないのだと悟った。産まれてから今まで、父より優先してもらったことが一度でもあっただろうか。

それでも、一縷の望みを持って一度だけ里帰り出産をした。妊娠・出産というのは人によってはかなり神聖な気持ちにさせられるもので、今なら母の気持ちも理解できるかもしれないと思ったのだ。

蓋を開けてみると、やはり、初産の私より優先されたのは父であった。母にしてみれば、父の機嫌を取ることが家族のためになると思っていたのかもしれない。でも、それは私にとっては、ずっと“蔑ろにされた”という孤独感を植え付けた経験でしかなかった。

私も、父の自己愛性パーソナリティ障害の気質を受け継いでいる可能性があるので、人よりも多く愛情を必要としたのかもしれない。けれども、それを差し引いてもやはり、少なくとも幼少期には自分を最優先にしてもらったという記憶が欲しかった。

どんなに幼くても、風邪をひいていても、怪我をしても、泣いても、父が呼べば跳んでいく母。その後ろ姿に、何度「寂しい」と思ったことだろう。

そんな気持ちを、もう産後の不安定な時期に味わいたくなかったのだ。だからこそ、色々と理由をつけて「来るな」と警告したのに……彼女はそれを踏み躙った。

今まで溜めに溜めた文句を一気に捲し立て、昼下がりのドラッグストアで突っ立ったまま絶縁を宣言した。そんなに大きな声を出した訳ではないけれど、ただならぬ空気感は出ていたであろう。あの時の店員さん、ごめんなさい。

まだ小さかった上の子は「何のことやら?」という感じで機嫌良くいてくれていたから助かったものの、私はわなわなと震える身体を支えるので精一杯だった。ハラワタが煮えくりかえるとはこういう状態なのだと思った。私はもう、どんな状況でさえ、「父に勝てない」という惨めな思いをしたくなかったのだーーー。



今回はこの辺で。
前回の記事に「スキ」してくれた方ありがとう。
なるべくフラットに書くのを目標にしているが、私はできているだろうか?

おやすみなさい。また、あした。

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