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母は毎日無理ゲーを戦っている

子どもの数が増えて行くにつれ、もう、ダメだ。これ、無理ゲー過ぎる。

と、今の日本の環境で子育てをしてゆく限界ギリギリを3日に1回は感じる。

なんてことをさらっと、ブログに書いた。

そうしたら、通りすがりの人たちに

「子どもが3人もいたら当然です。きちんと育てたかったら、2人にすべきです」

「解決策は親と同居することです。三世代同居が日本を崩壊させたことをご存知ですか」
なんて、クソバイスなコメントいただく。

そう、クソバイスだ。

だって、こんなクソバイスはリアルな友人にする人なんていないだろうから。

実親にも、こんなことを言われたことはない。

他人には他人の事情があり、ズカズカと土足でリプロプロダクティブ(生殖)な領域に入ることはタブーだ。

きちんと育てるって何?

わたくし、発達を専門としている専門職ですが、きちんと育てるなんて思ったことないですけど?

子どもの発達段階に沿って、目標と方針は変化して行きますが、基本は子どもの人格を尊重し、特性を伸ばすことが必要です。

その上で、食べさせ、寝かせ、排出させ、それらの自律をサポートし、経済的精神的な自立かできるように養護する、それが親の務めですが、何か?

それ以上のなにが必要なのでしょうか。

親と同居する?

親と同居が叶う状況にない人はどうすれば良いのでしょうか?

また、親からの自立、離家を自ら望む人もいます。

さらに、婚家に嫁の立場で泣いた母親世代のルサンチマンが結婚しても同居しない、そもそも結婚をよしと思わない世代間連鎖を生み出しているとも社会学的に言われます。

結婚や出産は、個人的事象であり、社会的なコントロールを受ける必要はないのです。

ですが、社会的な支援は必要なのです。

親だけが子育てをするのではありません。社会もまた子育てをするのです。

社会とは、国だけでなく、わたしたちの周り、半径1キロメートルの近所、会社、学校、全ての社会的環境をさします。

なんてことをわたしは大学で学び、大学院では研究者としてのトレーニングを受け、そして、今は地域支援の仕事をしている。

「あなたたちが心理学を学んだ、その学びを還元しなさい。」と、教授は18歳の小娘だったわたしたちにいつも言った。

大学院を出て就職をせずに結婚した同期に、
「実にもったいない」と、その教授は嘆いた。

その同期は「子どもを産めないかもしれない」と授業中にみんなの前で泣き出したこともあったが、結婚してすぐに仕事に就いて、仕事をしながら子どもを2人産んだ。

大学や大学院の同期たちは、子どもを育てながら何らかの形で仕事を必死に続けている。

母親になって一時的に職を離れても、子育てをしながら現場に戻っている。

そして、今日も無理ゲーを戦っている。

そんな母たちに戦友として、支援者として、研究者として、エールを送りたい。

また、エールだけじゃなくて、役に立つ研究と実践で子育てのしやすい環境作りに援護射撃をしたい。

それがわたしの希望だし、使命の1つだと勝手に思っている。





論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。