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甘くて苦きもの

今日は、昨日起きた、わたしの超個人的な内的体験をつづりたい。

と、思って書き始めたところ、しばらくこの甘露の個人的体験を一人で、何度も何度も反芻して味わい尽くしたくなった。

なので、それはまた別の機会にするとして、今日は、心理学からみた個人的体験について書く。

心理学では、個人的体験は臨床心理学のテリトリーで、質的研究という。

心理学の学術研究は、大きく分けて2つある。1つは質的研究で、他方は量的研究だ。

量的研究とは、仮説検証型研究とも言え、ある仮説を立てて、仮説が立証されるか否かをひたすら数字で追いかける。

わたしは、「数字で証明されないものは心理学ではない」と言い切る教授の薫陶を受けて教育訓練された。

だから、もちろん、量的研究をしている。

だって、個人的体験を「いつでも、誰でも、どこでも、同じ体験を再現できる」ことを数字で立証なんて、できっこないから。

無理だ。

でも、心理学者は違う。

何らかの心理的な内的事象を個人の行動の結果として、心拍数やホルモン値のような目に見える数値に置き換えて、捉えようと試みる。

死にものぐるいで試みる。研究は楽ではない。

研究は常に苦しい。限界にまで挑んで、掴んだ結果。

ノーベル賞だってそう。

ノーベル賞をもらう研究者は、間違いなくこの産みの苦しみ、研究の苦しみを経験していることは、凡人のわたしでさえ、わかる。

だから、研究はつらくて、甘い。

昨日、琉球料理のレストランに連れて行ってもらったのだけど、そこで、ハーブティーの甘みに出して頂いたのが、「にが蜜糖」だった。

花の蜜を集めた蜜蜂の分泌物は、蜂蜜。薬草の蜜を集めたものが「苦蜂蜜」というわけ。

ハーブティーは、ホーリーバジルというもので、甘みが必要なほどな薬草感はなかった。

なので、「にが蜜」だけをなめてみた。

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甘くて苦い、何層にもわたる深い含み。

甘みといえば、オーナーさん作の「琥珀糖」(お抹茶のお茶菓子になっている、ジャリっとした細胞膜っぽい外皮の中に寒天が入っている)とは、違う味わい。

甘くて苦い、一見矛盾したものが並存する世界。

この世には、二項対立、二元論なんて、もともとなく、分断した方が容易く操れるからに過ぎない。

どこまでも、空(くう)であり、満(みつ)なのだ。

蜜って、密で、満ちるに通じるわけだ。

日本語って、いく層にも意味が立体感重なる、多層な霊性を秘めた表意文字だと、思う。

このような日本語を使って、綴る、あるいは語る、個人体験は、「私見」あるいは、「日記」だ。

それをもう1段階も2段階も高みに昇華させたものが、文学で言えば「私小説」、研究で言えば「質的研究」であろう。

一個人の体験が万人に普遍な真実として、応用できること。

うーん。わたしには、そんな文才もなく無理だ。

作家ってすごいなぁと、思う。

そうして、すごすごと、量的研究に舞い戻る。

適材適所。そんな、言葉がふっと浮かんだ。

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