見出し画像

挑戦したものにしか得られない喜び

ごきげんよう,今日の一歩が明日のプログレス!サイコロ人のロイヤー夫人です!

サイコロ人です!

え?わかんないずら?

サイコロジスト(psychologist 心理学者)をもじってみた。

でも,サイコロジーすら認知されていなそうな気配濃厚。

ああ,アカデミックな世界でだけ生きて居たいって,ダメ?ダメ?情報と知識中毒の世界って楽しくて,スキップしちゃうんだけど?

psychotherapy(心理療法)をするpsychotherapsit サイコセラピスト

でもあるわけで。

臨床心理学で学位(博士号)をとるのってすんごい大変で,実験心理学の学位の方が楽なんで,臨床系では研究は一切しておりませんが,臨床家って結構研究論文書いているなぁ。ってこと。

こんな負け犬の遠吠えもしてみたり。

でも,質的なデータはよくわかんなくて(研究方法として,実験心理学に多い,量的データを分析する数で勝負の量的研究が王道で,質的研究はマイナー),果たしてこの技法は,臨床家としてすぐに使えるのだろうか?と,自分の能力にかんがみて思うことも多々。

特に,重鎮たちの臨床心理学や精神医学の心理治療の過程の本は,己の技術の違いとの差に絶望するけれども。ま,大家になろうなんて,1ミクロンも思っていなくて,目の前のクライエントさんの自己成長をフォロー出来たら,それでいいのだけど。

臨床心理士の専門4理念

検査がとれること

面接(カウンセリング)ができること

地域のコーディネートやコンサルテーション

調査研究ができること

(ロイヤー夫人のまとめ)

にあるように,臨床心理士は,研究者としての視点で日々鍛錬せよ!って訓練されている「心の専門家」。

でも,2年前にできた心理の国家資格の公認心理師に押されて,臨床心理士資格は風前の灯火であることも確か。

臨床心理士資格は,利権争いにあけくれた末の資格であったことを大学院時代に教授たちから聞いているから,いろんな思いを抱いている資格であり,別にどうでもいいのだけど。

でも,やっぱり,大学院の修士課程までみっちりと心理学を修めて,しっかりと臨床経験も積ませてもらって,資格を取ってからも,仕事帰りに研修会行ったり,スーパービジョン(上位の心理士に自分のケースをみてもらう)に行ったり,大学の教授のゼミに出たり,まぢ,努力は当たり前。

院生は安くしてもらえるが,社会人になると結構な金額の研修会に出たり,テストの技術を磨くわけで,子育てしながら,これをやっていると,本当にしんどい。

独身の頃は,仕事帰りに研修会に出るのは(もちろん自費),気分転換になって楽しかったけれど,主婦が夜に家をあけるのはかなりしんどい。

さらに,資格の維持のためには研修にでないといけないし,更新費もかかる。

だから,臨床心理士の資格を捨てて,公認心理師だけに絞る人も出ている。

そもそも,高学歴低収入の心理士になろうなんて(ほとんどが非常勤)思って,大学院に入学した時点で,道を誤っているので,そこまで,深刻にこの問題に付き合う人もいないだろう。

というわけで,心理学を修める,そして,仕事にすることは,日本ではかなりマイナーであることは確かだ。

大学院の博士課程は,すでに臨床心理士として在職しながら,大学院に通う同僚も多く,わたしもそうだった。

社会心理学の教授に,「お金にもならない仕事をするなんて,あなたたちは大変ね。社会心理学だとアメリカではコンサルティングとしてかなりな年俸もらっているから,私ゼミの子たちは,帰国しないわよ」と,言われた時は,みんなで苦笑いした。

本当過ぎて笑えない話

それでも,臨床心理士として,非常勤を掛け持ちすれば,そこそこ,稼げる。でも,社会保障はない。保険もない。

だから,スクールカウンセラー時代,臨床心理士の先生に,「わたしたちが医師と同じ単価で雇用されていることを誇りなさい。わたしたちは,その単価の中に,これまでの大学院の費用,そして,研修費,保険料全てが入っているの。それぐらいでちょうどいいの」と,きっぱりと教えてもらった。

ひところ,大学院重点化政策がとられ,大学院進学が国を挙げて賞賛されたのだけど,それはさっさと撤回されてしまった。

文系大学院の修士課程を出ただけで就職はなくなる。高学歴であることは評価されない国なので,博士課程なんて出たら,さらに自分の首を絞める。

アカポス(大学の教職 アカデミックポスト)は,パイの奪い合いで,非常勤講師で食いつなぐ人たちも多いし,場を去る人も多い。

学問の世界は厳しい

それは,修士課程に入学する前に何度も言われた。

「過程中に結婚しておきなさい。そうでなければ,結婚相手がみつからなくなる」

「大学院で結婚することはいい。でも,子どもを産んで博士号をとるなんて,まず,無理です。」

教授たちは,口々にわたしたちに言った。

それでも,わたしたちは,結婚したし,子どもも生んだ。わたしの所属しているゼミは,そんな人たちが多かったし,,女子教育をうたっている学校だったから,支援もかなりあった。

不可能と言われることこそ,挑戦したい。それは研究者として大事な資質だと思う。

先生たちのアドバイスは,とても厳しいけれど,それでも受けて立つのかという踏み絵だ。

挑戦するものこそ,得られる喜びをわたしは経験している最中だ。そう思うと,なんだか,楽しくなってくる!マゾだなぁ。






論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。