輝けない青春を過ごした人へ

僕は部活動に打ち込んだことがない。

正確には、打ち込まなかった。


高校時代、パソコンに関する部活に入っていた。

ホームページを作ったり、当時流行っていた3Dモデルを作る人もいた。

でもそれは学園祭などのイベント前だけ。

普段は適当に集まってネットをしてダラダラ話しているだけの部活だった。


一番仲が良かったのは、派遣できていたSEのお兄さん。

元々パソコンは好きだったし、自分より圧倒的知識のある“プロの大人”と話すのがとても楽しかった。

でもSEのお兄さんは契約が終わり学校を辞めることになった。

あわせて先輩も卒業していく

元々先輩と関係が深かった僕は部活に行かなくなった。


途中でギターを弾くことに興味が出たという理由もあるが僕は部活をフェードアウトした。


そこからの僕は部活もやらない、洋楽好きの厨二病の高校生になった。

クラスに友達はいない。

授業が終わるとまっすぐ自宅に帰り音楽を聴くか、ヘッドホンをつけて爆音でギターを弾いて世界中が僕を見ている気持ちになっていた。

そんな毎日を高校卒業まで繰り返していた。

途中バンドや音楽好きの仲間もできたが、今でも付き合いのある仲間はいない。



僕の高校時代は「行動しない」時代だった。

自分の中だけで、自分を肯定し続け、前をむかずにただ下を向いて自分を慰めていた。




社会人になってから年始に高校サッカーを見るようになった。

特に、試合後のロッカールームの映像が好きだった。

そこには生徒も学生もなくて、

“ただサッカーが好きな仲間”

として全員が喜び、時に涙していた。


なぜ高校サッカーのロッカールームが好きなのか考えたことがある。

社会人になったばかりのころは彼らの関係性や環境がうらやましかった。



しかし、31歳の今は少し考えが違う。

それは「人が打ち込む姿を生々しく見れる」からなのである。


人が何かに打ち込む姿。

それを僕はとても美しく思う。

でも自分は“それ”をできずに長い時間を過ごした。


最近は自分がやりたいと思える仕事のために試行錯誤を繰り返している。

大きな結果は出てないが、自分なりに今の自分を楽しんでいる。





一人ぼっちの下校は楽しくなかった。

学校帰りはよく楽器屋に行き、買えもしない値段のギターを見て

「いつか買えるのかな」

とぼやいていた。

いつか買おうとすら思っていない。買えるのかなという疑問。

どこまでも他力本願だった。



今の僕は人生で一番友達が多い時期だと思う。

大切な人はみんな忙しいので中々会えなかったりする。

それでも、合間を縫って、会って話をすることがこの上なく幸せだ。


会いたい人に自分から会う。

やりたいことを考える。

やりたいことを選んで行動する。

これらは僕にとって長く望んでいたことだった。



ロッカールームの彼らもサッカーが好きで、自分でプレイしたいと思って、練習して、いっしょに目標に向かう仲間ができたんだと思う。



いっしょにするのはおこがましいが、僕も少しだけ彼らに近づけたのかなって最近思う。



僕の青春はテレビで放送されるような美しいものじゃない。



でもそんな青春を送った人でも、いつか自分らしく輝いて自分が納得の行く人生を選ぶことができると思っている。



あの頃の自分に一言だけ、掛けたい言葉がある。



「大丈夫。そのままでいい。」



輝けない青春を生き抜いてくれた自分への感謝の手紙。

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