たおやかになりたい話
ここ数日の書く書く詐欺をお詫びします。
書きます。
今朝こんなツイートをした。
原因は明確。
新居のこととか仕事関連でイライラしてた。
いろんな人がいて、いい加減な人も多いことを心から知ったこの1年。
付き合う人の幅とか行動量とかいろんな要因があるんだと思う。
今年、尊敬する方から頂いた言葉を引用すると、
「こんちゃんが学ぶべきことは、ロクでもない奴がいるという現実です。考えるべきは次の行動です。」
端的でとてもわかりやすい一言。
感謝の気持ちでいっぱいだった。
そして折に触れてこの言葉をよく思い出す1年だった。
世の中にはどうしようもない奴がいるし、
僕はやっぱりそれに腹が立つ。
それはしょうがないこと。
でも僕はやっぱりそんな自分を少し直したいと思っている。
おおらかになりたい。
自由になりたい。
なんとかなるって言いたい。
そんなふうに思う。
ではそれはなぜそう思うようになったのか。
答えは比較である。
結局僕は比べることをやめれないでいる。
いろんな「枠」を自分に設けがちだ。
あんな風になりたい。こんな風に成長する。
そんなことを逐一考えてしまう。
今年出会った本でこういうものがある。
これも尊敬する方から勧めていただいた。
自分をありのままで愛する。
もっと言えば愛するのではなく受け入れる。
そんな普通のことがこの本には書いてある。
そう。僕が心から求めているのはそういうことなのである。
エルトンジョンの自伝映画「ロケットマン」を今年見た。
久しぶりに1人で映画館に行き、夜の回で観客も少なくゆっくり見ることができた。
その中でエルトンジョンが過去の自分を抱きしめるシーンがある。
そこで僕は涙を流していた。
先日行った整体でも同じような言葉を聞いた。
「リンパとか血流って流すんじゃないんです。流れるんです。」
僕らは大きな脳味噌をもっていろんなことを考える。
そして多くのテクノロジーや知識を駆使して難しいことを考える。
すると僕らは何かに働きかけることばかりに目がいく。
そして僕らはありのままの自分を捨て置いていく。
ずっと僕は自分を変えなければと思って生きてきた。
それは強迫観念に近いものなのかもしれない。
誰かみたいになりたい。
ずっとそう思っていた。
でもさっきの言葉や、さっきの本を読んで、ロケットマンを見て感じたのは全然違う感情だった。
「そのままでいい」
ただそんな一言なんだ。
そんなことを書いていて、この記事を思い出した。
20歳の僕へ宛てた手紙。
ここでも僕は自分を抱きしめると書いている。
ここからわかるのは根本的にこの1年変わっていないのことである。
僕は変わりたい人は変われると今でも信じている。
でも人は変わらないも事実だと思う。
そんな矛盾だらけなことがこの世の中なんだと思う。
今の僕はありのままの自分を受け入れられていないと思う。
まだ変化したい!変わりたい!とずっと思っている。
でも来年はもっとゆるめて行きたいと思う。
ありのままの自分でいい。
自分らしいとかですらない。
「これが自分だから」
そうやって言えるということはとても素晴らしいことだから。
昔はこの言葉がとても嫌いだった。
たしかに言い訳のように、この言葉を使う人も多い。
でも僕はそういう風には使わないから。
当たり前の言葉を使えば、自分を信じる1年にしようと思う。
もっとたおやかに。
自分に対しても、
人に対しても、
誰かと比べるのではなく。
絶対的に自分を無条件でただ信じる。
周りに感謝できるようになったのだから。
今度は自分にもありがとうを伝えようと思う。
そんなことを年末の最中に思いました。
読んでいただきありがとうございます。もし気に入っていただけたらサポートをおねがいします。今後の感性を磨くための読書費や学びへの費用とさせていただきます。