【8日目】サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼ポルトガルの道 Vila Nova de Cerveira → Tui 巡礼怪談
2023/05/25(木)
あるイギリス人がリタイア後にアルベルゲを始める話
7:30
冷蔵庫のタマゴとトマトを使ってオムレツにして食べる。宿の冷蔵庫にあった食材を使わせてもらった。この辺には商店がないので、そういう心遣いも感じられる。これも使った分だけ払ってくれというスタイルだ。
昨晩はもう一泊もありだなと思っていたが、目が覚めてみると、歩いて前進したくなっていた。
ただその前に、聞いておきたい事もあった。宿の主人ローレンスの人生についてだ。折よく、彼が現れたので、ミニインタビューをお願いしたら快諾してくれた。
イギリス人がどうして、ポルトガルの北の端でゲストハウスのオーナーをやっているのか知りたくなった。好奇心というよりも憧れに近い気持ちで話を聞いた。
ローレンスはイングランド南部、コーンウォール出身の73才だ。
本人が言うにはアラスカの商業漁師を30年やってリタイアしたそうだ。アラスカの遠洋漁業の漁師といえば、荒れ狂う波のなか、命がけで甲板にしがみついているようなイメージがある。そういうドキュメンタリーシリーズも見たことがある。深く掘りさげて聞かなかったが、そういう船の中には、漁獲から加工まで船内で行ってしまう工場みたいなのもあるらいしから、あるいはそういう産業に関わっていたのかと思う。想像するに危険料こみの高級が支払われていたことだろう。
ローレンスはまだ仕事をしていた2007年からガリシア地方とサンティアゴ巡礼に興味を持ち、年に2回はスペイン各地のカミーノを見てまわった。そのためにバンを買って、スペインに置いておいたほどだ。
映画『星の旅人たち』(2010 アメリカ・スペイン合作128分原題:The Way)を見たのも大きなきっかけであったと振り返る。
彼はアルベルゲを開くつもりで家を探して回った。特にスペイン北部、ガリシア地方のカミーノ(巡礼路)をくまなく探し回った。巡礼路沿いと言ってもたいていは辺境の田舎町である。人口流出、過疎化の問題もあり、空き家はあった。
カーサ・グウェンドリンCasa Gwendolineの共同経営にドイツ人のヴァニーVanieさんも名を連ねる。グラフィックアーチストの彼女は、2000年にポルトガル北部である、この地域に引っ越していた。
彼女と知り合ったこともきっかけとなり、ローレンスはこの地を気に入り、2014年にこの家を購入、自身のアラスカでの仕事をリタイヤした2016年にアルベルゲの運営を始めたという。
この地を選んだ理由について尋ねると偶然だけでもない理由があった。
「さっきも言ったように、最初はスペインを見て回っていたんだ。けど、不動産物件も5%から10%は割高だし、スペインはなんというか、お役所的(ビューロクラティック)でこっちのほうが気に入ったんだ」
また「ガリシアの北は天気が悪くて、それなのに乾燥もしていて、コーンウォールのようだ」とも。
足で稼ぎ時間をかけたフィールドワークで彼は理想の土地に出会ったようだ。
「ここに来るまでにも廃屋をいくつも見ただろう? だいたい100,000€で家を買える。リフォームには80,000€かかる。家屋とガーデンのある物件では200,000€だ」。
相場感まで教えてくれた。
宿の経営については当然ここが初めてだが、センスの良さと設備が整っている様には彼の審美眼がすみずみまで行き渡っていることを感じた。
「日本人ゲストはたまに来るよ。ドイツ人は春に多くて、夏にイタリア人とフランス人のウェーブがくる」
2020年にはカミーニャCaminhaにもアルベルゲを出したそうでビジネスとしてもうまくやって行けているとのことだった。
人生のリタイヤ期にひと事業を成し遂げる強靭さには学びたいものがたくさん詰まっていた。それなのに飄々となんでも無いことのように語るのは、イギリス人らしい謙遜が含まれているからだろうか。大変感銘を受けることになった。
単調な道を複雑に、難解な道を単純に
8:50 出発
宿(Casa Gwendline)を出て坂道を下る。
背後に山を背負い、川を望む斜面にはけっこう立派な家が多いが、空き家もまた多い。よそ者の目には魅力的な建造物。さらには朽ち落ちた屋根や割れた窓も、失礼ながら時の深みを感じて趣深い。
10:00 レボレダReboreda教区教会。ゴロンと置かれた石を覗き込むとそれは柩だった。吸い込まれそうである。
国道を渡るときに、タクシーが横断歩道の一時停止をしてくれる。ヨーローッパはこの辺徹底しているなと思う。笑顔で送ってくれる。
日本で見たことのない規格のミニ自働車におじさんが乗っている。僕が巡礼者だとわかると、スピードを落とし、ゆくべき道をジェスチャーで示してくれた。
11:00
カルヴァーリャCarvalha駅近く。
この辺は平地だ。農地と住宅で歩くのには退屈する。そうすると被写体探しの目が鍛えられる。
道を単調に感じたら、カメラを構えて楽しみを生み出す余裕が欲しい。また、迷いそうな道は、地図で大まかな方角を知り、矢印に身を任せた。感覚的に「こっちじゃないか?」と思っていたのと、ナビゲーションが異なる時がある。そんなときは注意が必要だ。そういう勘は合っているときも間違っているときもあるからだ。迷いが生まれたときは、両方の可能性に注意を向けた。
軒先で売ってます
11:25
シャモジーニョスChamosinhosで休憩。汗ばむくらいの気候。服と靴下を乾かす。
11:55
シャモジーニョスChamosinhosの巡礼路沿いに暮らすクリスティーナさん。鶏を飼っていて、看板を出して売っている。玉子もあるよとのこと。この辺が国境の町だからというわけでもないが、僕は明らかに外国人だとわかるのでなんとなくスペイン語で話しかけてくれた。思い起こしても英語もしくはスペイン語で話しかけられることがよくあった。
巡礼者は多いですか? との質問に「たくさん通っていきますよ」との返事。
国境に近いので、たまにスペイン側に行って買い物したりすることもあるとのことだった。
話を切り上げようと思ったらおかしな出来事に巻き込まれた。
ちょうど乳児を乳母車に乗せた近所のお母さんがクリスティーナさんと二言三言声をかけたところで、犬を連れた男が現れ、何やらイチャモンを付けてきたのだ。彼にとっては過去になんかあったようで、犬が吠えた吠えないで因縁をつけたような話だそうだ。クリスティーナおばさんと、子連れお母さんとが男にあっちいけと言っている。
立ち去るタイミングを逃した僕は一連のやりとりが過ぎ去るのを待った。お話の礼を言って分かれた。
終わりについてなんて考えてなかった
12:15
サン・ペドロ・ダ・トッリSâo Pedro da Torre
ちょっと急ごうかと思う。
魚の移動販売が来ていた。クラクションを鳴らすもんだからびっくりしたが、近隣に到着を知らせていたのだ。お母さんがカレイを買っていった。
ここまで、天気には恵まれてきた。ポルトガルとはもうじきお別れとなる。距離的には全行程の半分を超えたあたりだ。
このカミーノ(巡礼旅)にも終りがあるんだろうなとふと感じる。
場所の唯一性
13:30
道は小高い丘へと導かれ、やがて下からは気づかなかった城壁を見ることになる。
ヴァレンサValençaは中世の城塞都市。実際に城壁の中に旧市街地を持つ。戴冠の門(Portas da Coroada)から城の中に入る。ポルトガルでも大変保存状態の良い城塞として知られる。
旅においては事前に調べることも多いわけだが、活字の情報でも写真でも分からないことの一つにスケール感があると僕は思っている。
自分の身体を置いてみて、そこがどういう性格の場所なのかが初めて分かる。そうしていると、太陽の位置や、遠くに見える川、山、自然が発する音、匂いなど、大昔から変わらずあっただろう"その場性"が感じられる。
歴史の一幕を想像するのもその地へ出向いてみるのがいい。在りし日の姿を幻視するのも楽しい試みだ
特に城は良い。城を訪ねる時は攻める気持ちで行くのが良い。アプローチも遠くから迫るのがなお良い。返り討ちに合わないように城を攻めるのである。
そういう旅の楽しみ方が、実地へと駆り立てる。歩いてみるとどれだけ時間がかかるか? 昔の人々の感覚を直接知る良い方法だ。
そういう点でもカミーノには旅の良いものがたくさん詰まっている。
13:45
ヴァレンサValençaはミーニョ川を見下ろす川の上に立っていた。
芝生に腰掛けて休憩する。巡礼以外の観光客でレストランなどは賑わっていた。よし、このまま、歩こう。スペインに渡った対岸の街、トゥイTuiでの宿泊を決心する。
時に架かる橋
城壁を抜け出るとすぐに、国境に架かる橋が見えてきた。
15:30
渡ってから、時計を見てなぜだか変な胸騒ぎが。いま何時だっけ? いや、さっきって何時だったっけ? 城壁を出たのが14時半くらい。もう15時半になっている。まったく気が付かずにいたが、ポルトガル―スペイン間は1時間の時差があったのだ。スマホがGPSを捉えて時計を補正してくれていた。なんだ1時間予定オーバーしてるじゃないか。
スペイン最初の宿
16:00
アルベルゲの入口がわからず何度か行き過ごした。坂の途中に入口があった。
Albergue de peregrinos de Tui
22時まで暗くならない。ヨーロッパ中央時間の西のハズレともなると、朝は遅れてやってきて、夜がなかなか過ぎ去ってくれない。そう後になって理解するがこのときは知識も感覚もついて行けてなかった。体を横たえて、眠りにつこうとするも眠れなかった。ところが、それには別の理由があったのかもしれない・・・。
巡礼怪談
「ええ、その日はポルトガルからスペインに入った日で、Tuiの巡礼宿には夕方についたんです。
スペインの初宿で緊張もあったんでしょうかねぇ、時差もあった上に、また明日、早くでるつもりでいたのでね、早々に横になってみたんですが、これが眠れなかった。
22時になっても寝られないんです。なんかおかしいなぁ、やだなぁと思いながら、夜の間に何度かトイレにも行きました。そのうちにです、深夜に自分の背中の衝立て越しに咳をする声が聞こえたんです。コホンと小さい咳が。胸にそのまま留め置くようなこじんまりとした咳なんです。コホンと。
あれぇ?
あれ?
そういえば壁向こうのとなりは空きベッドだったと思ったけど、そうか、私が出ている間にだれか入っていたのか。きっと遅く着いて、急いで寝たんだろうな。気の毒だなあ。なんて思ってたんです。
ところでね、気の滅入る感染症騒ぎが下火になった後とはいえ、咳の音を聞くっていうのは良い気はしないもんですよ。
その音のせいというわけでもないんですが、一睡もできないまま、午前4時を迎える。眠れないんですよ。不思議と。
それで、わたし、この際、出発しようと決意しました。今から寝たって中途半端ですしね。それで、出ることに。
いえね、いくら朝の早い巡礼宿とは言え、さすがにこの時間に出る者はいないですよ。わたし近くの人たちお起こさないようにと、音を立てないように、そろそろと荷物をまとめました。
それで体を起こしてびっくりしました。
衝立ての向こうに人なんていないんです。
背中で感じたあの衣擦れの音と人の気配、あれ何だったんでしょう。だっておかしいじゃないですか、咳の音が控えめだなぁなんて感じているくらいですよ? 誰かいたはずなんですよ。
それで私こう思ったんです。ああ、あの咳は聞こえるようにしていたんだって。
巡礼を全うできずに亡くなった人が霊となって、ここにいるんじゃないかって。」