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一列に並ぶ取締役たち。私は思わずカメラを構えた。

先日会社で取引先の偉い人たちを招待するパーティーがありました。

150人程度が参加するパーティーで私の会社からは取締役と私を含む部門社員は全員参加、取引先からは社長や役員などが参加しました。

最初に私の会社の取締役紹介がありました。

一列に並ぶ会社の取締役たち。

私は会場の一番後ろにいたのですが、思わず写真を撮ってしまいました。

記念に撮影したいとかそんな気持ちは全くありません。

私の中の言葉にできない違和感、それを写真に残さなければと感じたからです。

違和感の正体

パーティーが終了し自宅に帰った後、お酒を飲みながら取締役たちが並んでいる写真を眺めていました。

会社の取締役の写真を酒の肴にしている光景は少し気持ち悪いですね(笑)

①そこは私の目指したい場所ではなかった

取締役はサラリーマンであれば多くの人が目指しているポジションです。

私も入社したときは「いつかは社長に!」なんてことを思っていました。

写真を見ながらまず感じたこと

「ここに立ちたいとは思わないな…。」

私が取締役として将来そこに立ちたいとは全く思えなかったのです。

そもそも能力もないので立てませんが(笑)

そこは抜きにして考えても、何も魅力を感じない。

私の中で取締役という終着地点は全く魅力的ではありませんでした。

②序列意識がすごく嫌

一列に並んでいる取締役たちは当然のことながら、偉い人順に並んでいます。

向かって左から会長、社長…取締役の序列最下位の人、といった順番です。

この序列は取引先に弊社取締役を紹介するときの分かりやすさ、といった意味で当然のことです。

それを分かりつつも、なんとも言えないイヤーな感じがありました。

私は年齢や役職が絶対の縦社会が嫌いなんだと思います。

・上司の言ったことに対して違うと思いながらも肯定する私

・人としては平等なのに上司部下というパワーバランスに馴染めず休職する若手たち

・役職が無ければただのおっさん、おばさんなのに会社での立場が上というだけで横柄にする人たち

こんな縦社会が連想されたので嫌な気持ちになりました。

③取締役たちはここに立つまでに何を捨てたのか?

私はトレードオフという考え方が好きです。

トレードオフとは、何かを選んだということは、それ以外の事は選ばなかったということです。

何かひとつを選択したときに、その背後には無限の選択されなかった事柄が存在する。

言われてみれば当然なのですが、私はこの当然の考え方が好きです。

そんな視点で取締役たちを眺めてみました。

サラリーマンで取締役まで出世するということは、膨大な労力が必要です。

・もともと備わっている能力
・会社への忠誠
・上司への忠誠
・仕事への多大なる努力
・出世競争を勝ち抜くための社内政治
・過去に費やした膨大な仕事に対する時間
・業務時間外に行う取引先への接待

あげ始めたらキリがありません。

取締役たちは今のポジションを獲得するために、膨大なものごとを費やしてきたと思います。

それはトレードオフの考え方に立つと、膨大なものごとを捨ててきたということになります。

その捨ててきたものは一体何があるのか。

・家族との時間
・部下たちからの信頼
・自分の大切にしていた価値観
・謙虚さ
・自分の心の声

などこれもあげ始めたらキリがありません。

取締役の皆さん、悪い部分だけ勝手に想像してごめんなさい(笑)

そのポジションまで上がられたことは素直に尊敬しています!

違和感を感じたときに記録すること

自分が違和感を感じたときに記録するということ、これはあとから違和感を言語化するために良かったです!

私の場合は取締役というポジションを目指したいわけではないんだなー、と改めて思えたことも良かったです。

仕事に対して出世欲が無くなった時に、何をモチベーションにするのか、この辺りは今後じっくり考えたいですね!

この記事を公開前に妻に読んでもらったところ

妻「あなた取締役でもないのに好き放題書いて!取締役になってから書きなさいよ。それにしても偏見の塊過ぎて呆れた(笑)」

と言われました(笑)

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