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夢うつつ湯治日記 14

10月某日 初めての湯治

【六日目】宿泊最後の日の朝 ~ ありがとう、また来ます!

最後の朝だからだろうか、朝まだ暗いうちから目が覚めた。

二度寝しようとしたが、眠りに落ちる前にいろいろな思いが泡のように浮かび、
それにとらわれて、結局眠れない。
泡のような思いは、今回の滞在の体験のシーンだったり、その時の感情だったり。

目をつむりながら、回想を味わう。
お散歩マップに書かれた場所は、結局少ししか回れなかったなぁ。
熊騒動もあったしなぁ。
そういえば、熊は大丈夫なのかな。

そんなことを思っていると、どこかで飼われている鶏の鳴き声が聞こえた。
一番鶏というやつだな。

目を開けると、窓のそとが白々と明るくなってきていた。
お天気は悪くなさそうだ。

今日はもう午前中の早いうちに宿を発つ。

朝市はやっているだろうか。昨日今日開催中の秋の収穫祭りでみんな忙しくて、
今朝の朝市も昨日と同じくちょっと寂しいかもしれない。
でも、朝の散歩がてら、ちょっとのぞいてみよう。

思えば、「朝の散歩」という健康的な習慣もここ数日続けたなぁ。
これからも休みの日の朝はやってみようか。

ここの宿を発つ前に、朝風呂も入ろう。


ぼんやりしているうちに、そろそろ朝市が始まる時間が近づく。
顔を洗い、身支度をして、外に出た。

「おはよう」
母屋の前の犬小屋にいるワンコに声をかけ、
いつものように、朝市会場の公民館に向かう。

地元の人らしい人がやはり、歩いている。
また週末で、近くの旅館に泊まっているらしい雰囲気の家族連れやカップルも三々五々歩いている。


公民館前に行くと、昨日と同じくらいの出店の数。

漬物を売る傍らに卵も少し置いているおばあちゃんがいた。
始めてこの朝市に来た時に、このおばあちゃんから生姜の砂糖漬けを買ったのを思い出した。

あれ、まだ冷蔵庫に残ってたな。食べちゃわないとなぁ。

そう思いながら見ていると、

「うちの鶏が生んだ卵だよ。茹で卵もちょっと作ったんだよ。今朝茹でたばかりだよ」
とおばあちゃんが声をかけてきた。

今朝の朝ごはんのおかずに、ゆで卵を1つ買う。

「これはうちの畑で採れたからし菜を刻んでゴマ油で炒めたものだよ。
ちょっとピリ辛で、ごはんと一緒に食べると美味しいよ。」

ニコニコして言うおばあちゃんの姿に、つい、そのからし菜炒めも買った。
おばあちゃん、実はなかなか商売上手なのかもしれない。

朝ごはんは、残っているパスタを茹でて、このからし菜炒めを和えて、茹で卵を添えて食べようかな。
「朝からパスタ」だなぁ。

昨日からいろいろ既に買っているので、今日はこの辺にして朝市を後にする。

そうだ、三地蔵にお参りしよう。

公民館の横の道を少し歩いて、三地蔵の前に来た。
お供えされている石が増えている気がする。
誰か願掛けをしているのかもしれない。

三地蔵に向かいしゃがんで、
今回ここで楽しかったです。ありがとうございます。
またここに来られますように。
と手を合わせた。

うん、またここに来られる気がする。

宿に向かって道を下った。

すれちがう人が「おはようごさいます」
と声をかけてくれる。

宿に戻った。

朝食の前に、ひとっ風呂浴びよう。

風呂の支度をして、風呂場に向かった。
母屋の浴室の窓から湯気が出ている。

脱衣所に入ると、
「今日は、十薬の湯です」
という張り紙。

十薬? なんだろう? なんだかすごく効きそう。

まずは身体を洗ってから、大きい方の湯船に浸かる。

朝、外出して少し冷えた体に、じーんとお湯の温かさが染みる。
軽い硫黄の匂いがまた、じんわり体に効いてくる感じになる。

手足の皮膚の荒れや切傷は、これですっかり良くなった。
肩こりも楽になったし、そういえば重かった腰のあたりも軽くなって気にならなくなった。
温泉湯治はやはり良いんだなぁ。

そうだ、「十薬湯」!
今朝の小さい湯船の湯は「十薬湯」となってたよな。どんな湯だろう?

「十薬」は、布の袋に入れられ、湯に浸かっている。
昨日の生姜の葉の湯のような強い香りはない。

湯船に浸かって、袋から香りを嗅いでみると、少し青臭いような草の香りが鼻の奥に広がった。

「十薬」は「じゅうやく」と読むのかな。薬草のミックスだろうか。
袋の上から触った感じは葉のようだ。
でもすごく体に良さそうな名前だ。

ぬるめの湯に、目をつむってしばらく浸かった。

そうだ、今日は最後のご奉公に、自分の使ったカラン周りと桶以外も、きれいにしてから上がろう。

幸い、朝なのでまだ入った人は少ないようで、洗う場所もそれほど多くなかった。
でも、自分が使ったカラン周りと桶をきれいにして上がるって、良い風習だな。
ここの宿以外でも、せめてきれいにお湯で流すくらいすると気持ち良いな。

最後のもう一度、大きな湯船に浸かり、
窓から差し込む朝の光に湯気が輝き、浴室全体が柔らかい。
この景色が好きだ。
またこのお湯に浸かりに来よう。

そう思いながら、浴室を後にした。

母屋を出る時、玄関先をせつさんが掃き清めていた。
ワンコがしっぽを振って、箒の先を見ている。

「おはようございます! お風呂気持ち良かったです」

と声をかけると、せつさんは

「あら!おはようございます。今日は十薬のお風呂なんだけど、
十薬のお茶も入れたから飲んでいって。
お風呂のは生の葉を干しただけなんだけど、お茶用のは炒ったから飲みやすいと思うの。
十薬は、昔からいろいろ身体に良いと言われてるのよ」

「十薬って、なんだかすごく聞きそうな名前ですよね。お茶もあるんですね。薬草のミックスですか?」

「ううん、十薬って、どくだみのことなのよ。たくさん効能があるといって、昔からお茶として飲まれるの。
どくだみは、春先から夏の頃、庭にものすごく生えてくるんだけどね、花が咲く頃、それを刈り取って干しておくの」

「どくだみって、あの、日陰にいっぱい茂っている?」

「そう。生の葉だと臭いけど、干すと匂いは少なくなるのよ」

「どくだみって、名前に毒がついているけれど、全然毒でなくて、逆に良い薬なんですねぇ」

「そうよねぇ。面白いわよね・・・あ、そうそう、昨夜のご飯がほんの少し残ってるんだけど、良かったら
朝ごはんにどう? お汁はないんだけど、ご飯だけ残っちゃって」

なんと!ありがたい。

「良いんですか? 嬉しい。今朝、ちょうど、からし菜のごま油炒めというのを買ったんです。
それと一緒に頂きます。あと私、十薬のお茶を入れるマグカップ持ってきます!」

「じゃあ、ごはん用意しておくわね」

マグカップと、ごはんを入れるプラスチック容器を持って母屋に戻ると、
せつさんはご飯をラップに包んで持ってきてくれた。ちょうどお茶碗2杯分くらいか。

受け取ると、ほかほか温かい。

保温ポットの十薬のお茶をマグカップに注ぎ、ご飯と一緒にそっと持って、部屋に戻った。

ご飯をプラスチック皿に盛り直し、今朝買ったからし菜炒めとゆで卵を添えて、部屋の小さな机に置いた。

「いただきます!」

宿で食べる最後の朝ごはん。
質素だけど温かく、地元の素材が活きた食事。そして作った人のぬくもりを感じる。

十薬のお茶は、ほうじ茶のような味。香りも柔らかい草の香り。
そんなにクセは感じない。
ゆっくり飲んでいると身体も気持ちもほぐれてくる気がする。

残っていた生姜の砂糖漬けも食べ切る。
なんだか更に体に良さそうだ。

さあ、食べ終わったら、残念だけど帰り支度をしたくては。

大した荷物は持ってこなかったが、ここにきて、思わず朝市や収穫祭りで買ったので、荷物が増えた。
うふふ、いろいろ買っちゃったな。

荷物をまとめた後、最後のお会計をしに、母屋に向かった。

庭を猫がゆっくり横切った。
数日振りに宿の猫を見た。
別の猫がついていく。
猫たちはこちらをチラリと見た。
「ゆうべの集会は割と面白かったよ」
そんな風な顔をしている気がした。

猫たちが横切っていったのを見た後、母屋に行く。

事務室をのぞくとせつさんがいたので、お会計をお願いする。

「早い時間に発つのね」

「はい、明日からまた仕事があるので、早めに家につかないと行けなくて」

「車で来てるのよね? 良かったらこれ持って行って」

せつさんは事務所の奥から、膨らんだ白いビニール袋を持ってきた。

「これ、うちの庭で採れた柿なの。渋柿なんだけど、柔らかくなるまで置いておくとすごく甘くなるから。
それでもまだ渋かったら、ヘタの所にチョッチョッと焼酎をつけて置いておくと良いよ。
食べてみて。」

お土産まで頂いた。

「ここに泊れて良かったです。ここに来てから元気が出てきました。
また是非来ます。お散歩マップの場所もまだ全然行けてないし」

「それは良かった。こちらこそありがとうございます。うちは古いし、設備もあまりない狭い宿だけど、
そう言って頂けると嬉しいです。まだどうぞお越しください」
せつさんは、そう言ってにっこり笑った。

なんか、親戚の家にいたみたいだった。
母屋の入り口の犬小屋のワンコが、しっぽを振った。
また来るからね、待っててね。

駐車場の車まで、荷物を3回ほど分けて運んだ。
最後に、みやこさんの菊の苗は、昨日買った鉢にポットごそっと入れて、車の中の安全そうな場所に置いた。

最後に、もう一度母屋に行って、せつさんにもう一度挨拶をして、
ワンコにも「またね!」と声をかけて、車を発車させた。

ゆっくり温泉に浸かるだけだと思っていたのに、身体も心も軽くなった。
一と話すことは苦手だったけれど、人と出会って、
知らなかったいろいろを学んで、思いがけず、世界が少し広くなった気がする。

ありがとう。また来ます!


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