見出し画像

夢うつつ湯治日記9

10月某日 初めての湯治 

 【四日目(2)】 花畑


炊飯室でポット熱いお湯を入れ、部屋に戻る。
今朝の朝食は、昨日、花の湯で買った惣菜と、今朝の朝市で買ったシフォンケーキ一切れにする。
青菜ときのこの豆腐和えは、すりごまが利いていてほんのり甘くて美味しい。
煮卵1つも食べる。
黄身が半熟なのに、外の白身にはしっかり味が付いている。
煮卵って、うまく作れないんだよな、これ美味しいな。

惣菜と一緒に買った、手作りの小物袋の刺繍を眺めながら、食べる。
シュウメイギクの刺繍が柔らかく、可愛い。
使い勝手の良い大きさだし、他の刺繍のものも買ったらよかったかな。

テレビをつけ、コーヒーを淹れながら、ニュースをぼんやり見る。
ニュースは、どこかの村の秋のイベントの様子を映していた。

この時期、あちこちで収穫祭りやら運動会やらを兼ねたイベントが行われるんだなぁ。

シフォンケーキはどっちにしようかな。まずはプレーン味にしよう。

淹れたての熱いブラックコーヒーに、シフォンケーキがよく合う。

山の中で、鄙びた温泉宿の一室だけど、なんだかおしゃれ。
 

今日は何をしようか。

マップを見る。

熊が出たというので、山の方はやはり怖い。
セツさんにおすすめ聞いてみようか。

母屋に行こうと部屋のある建物を出た時、
菊の花の束をケースに入れて持ってきた地元の人らしい女性が、母屋の玄関先で声をかけているのが見えた。

セツさんが奥から出てきて対応している。

取り込み中だなぁ。
どうしようか。

と思いつつ、玄関に近づいていくと、セツさんはこちらを見ながら、
「今日は、菊の花のお湯だよ」
とニコニコしながら言う。

菊を持ってきた女性が、こちらを見て、
「食用菊も持ってきたから、食事にも菊が出るかもしれませんよ」
と同じくニコニコしている。
セツさんより少し若い位だろうか。

黄色、朱色、薄い桃色、濃い桃色…
まだつぼみもあるが、咲き始めた色とりどりの菊の花が玄関先に置かれている。

「こちら、ここの上の方の畑で、いろんな花を栽培しているのよ。
初夏の頃はラベンダーがたくさん咲いていて、いい香りなのよ」

「ラベンダー! このあいだのラベンダー湯に入っていた、あれですか?」

「そうよ」

「ラベンダーは、密閉袋に入れていると、香りが何年も保つんですよ」
と菊の花を持ってきた女性が言う。

あ、その話、今朝も聞いたな。

「私、今朝、そこの公民館の朝市で、ラベンダーのポプリ、買ったんですよ。
シフォンケーキも美味しかった」

「ああ、ゆかちゃんね。あの子、器用だから、いろいろ作って、道の駅にも卸してるんですよ。
うちのラベンダーの飾りも、結構、売れているって」

シフォンケーキとラベンダーのポプリを売っていた彼女は、ゆかちゃんというんだ。

「みやこさんの畑は、これから菊が綺麗になるわね。
たくさん咲いていて、それは見事よ。見に行くと良いよ」

「良かったから、これから見に来ます?」

みやこさんと呼ばれたその女性は、私にそう言った。

「行きます!」

すぐに返事した自分に驚いた。
特に予定もない呑気な日、行き当たりばったりが楽しい。

慌てて身支度に部屋に戻って、外出用リュックも背負い、
みやこさんに付いて、一緒に宿を出た。

どこから来たの? 車で来たの? もうどのくらい泊っているの?
等のみやこさんの質問に答えながら、宿の前の坂道を登った。

歩く度に、背負ったリュックにつけた熊よけの鈴が鳴る。

「熊がお犬岩の方に出たと聞いたんですが、大丈夫でしょうか」

みやこさんに聞いてみた。

「それねぇ。やはり怖いわねぇ。うちは他の家から少し離れているから、やはり怖いですよ。
でも菊とか香りが強い花を植えているから、熊は匂いを嫌って来ないんじゃないかしら…
ほら、除虫菊っていうのもあるし、あれは蚊取り線香の材料だけど、熊にも効いてくれないかしらねぇ」

「新聞で、猪よけに唐辛子を植える話を読みました」

「そう、猪も被害も多いんですよ、この辺りも。野菜とかお米とか」

自然が多いと、やはり野生動物との共存も大変だ。

公民館を右手に見て過ぎて少し歩く。
時々、みやこさんは、民家の人と挨拶しながら歩いていく。
時折、各家で飼われている犬が、吠える。

「そういえば、お犬岩の伝説の話を聞きました」

と私が言うと、みやこさんは、

「ああ、この辺りの昔話ね。亡くなったうちのおばあちゃんが詳しかったわねぇ」

と懐かしそうに話す。

「お犬岩のパワーで、熊も追い払ってくれませんかね。ここに来るな!って。
昔、盗賊が来るのを村の人に教えながら、石になったという伝説を聞きました」

「そっちの話を聞いたのね。他の話も伝わってるんですよ」

「へえ!」

「公民館のそばに、お地蔵さんが三体あってね、それとも繋がっている話もあるんですよ。
熊も猪も出てこないんだけど」

「あ、そのお地蔵さん、見ました! 赤い帽子とちゃんちゃんこ着てました」

「あのお地蔵さんを大切にすると良いことがあるとも言われててね、そうやって、帽子や羽織るものを新しく作って、着せてあげる人も多いんですよ」

そう話しながら、みやこさんは左に延びた道に入っていくので、私も付いていく。

「いろんな民話が伝わっているんですね。せつさんに頂いたお散歩マップにも、他にも話が伝わる場所が書かれてました」

「道の駅の観光案内所に、この辺りの村の地図が置いてあるわねぇ。
町おこしっていうんですか、それでうちの地区のも作ったんでしょうね」

みやこさんと話がはずむ。

周りの見渡すと、樹々が一部、紅葉し始めている。
吹く風も今朝はすっかり涼しくなった。

そうこうしているうちに、辺りが開けた。
広い畑が広がり、畑の中に家が1件建っている。

畑と道の境界に沿って、紅葉した小さな木のような植物が整列して植えられている。

「これ、可愛いですね。紅葉もしている」

「これはコキアよ。ほら茨城の方で、コキアで有名な大きな公園あるでしょう?あれと同じもの」

「ああ、あれ!」

写真で有名な情景を思い浮かべる。
そうか、庭でも植えて良いんだよね、コキア。

その奥に腰ほどの高さのラベンダーの株がずっと並ぶ。

ラベンダー畑の向こうには空が広がっている。
高台の畑から、山の下の方の街並みが見えるかもしれない。

「うわあ、気持ちが所ですね!」

「日当たりが良いし、水はけも良いから、20年ほど前から、花を専門に作ることにしたんですよ。
下の集落のにある畑では、ビニールハウルで栽培もしてます。
うちの息子夫婦が熱心で、なんだか新しい花もよく試してますよ」

「お花に囲まれていて、素敵です」

思わずうっとりとして言う。

「菊はね、地植えは家の近くにたくさん植わってるんですよ。
早咲きのものもあるけれど、やはり菊はこれからが本番で、咲き揃うと綺麗ですよ。
私は家に戻るけれど、ゆっくり見て行って下さいね」

「ありがとうございます」

みやこさんが家に入って行った後、畑をゆっくり見て歩いた。


ラベンダーの株は、もう来年に備えてか、新しい葉と茎が伸び始めているようだ。、
午前の日差しにの細い薄緑の銀葉が輝く。

初夏の頃、ラベンダーが咲いた時の様子が目に浮かぶ。
きっと素晴らしい香りに包まれるのだろう。

コスモスを植えたエリアでは、白、ピンク、濃いピンクの花々がグラデーションを織りなして咲き乱れる。
一角には黄色いコスモスが咲いている。

色鮮やかなダリアが植えられたエリアもある。
ダリアがこんなにまとまって咲いているのが見られるのも、珍しいかもしれない。

何も植えられていない、耕されたエリアもある。これから何か植えるのだろう。

ピーーーッと、時折するどく鳴く鳥の声が聞こえる。

最後に、みやこさんの家の近くに植えられた菊の花々を見た。

近づくと、丸くつぼみを膨らませた株がたくさんある。
もう咲き始めたのもちらほら見られる。
先ほど宿で見た花の他に、いろいろな色や花弁の形があって、見ていると見飽きない。

菊は、仏壇に供える地味なイメージか、秋の催しで展示される豪華な菊人形かの両極端なイメージで、何となく興味が持てなかった。
でも、こうやって日差しを浴びて、様々な色と形が咲く様子を見ると、しっとりしていながらも華やかさも秘めていて、とても綺麗だなあと思う。

そういえば、テーマパークでキャラクターの形にトリミングした菊の株を見たことあったなぁ。

しばらく菊の花々を見た後、みやこさんにお礼と挨拶をしようと、お宅の玄関先の呼び鈴を鳴らした。
農家の玄関は広いなぁ。

少し間をおいて「はーい!」という声と共に、ガラガラとガラス戸が開いて、みやこさんが出てきた。

お礼を伝えて帰ろうとすると、みやこさんは、

「良かったら持って行って」と言いながら、袋を持ってきた。

中を見ると、オレンジ色の菊の花の小さなポットだった。

「下のハウスで作っているものなんだけど。車で来たと聞いたから、帰りも荷物にならないと思って」

「ええ!良いんですか」

「菊の花を熱心に見ていたから」

と言うみやこさんに、お礼を言って、ありがたく頂き、花畑の中のお宅を後にした。

宿に戻り、菊の花のポットを出して、眺めた。
オレンジ色というより赤褐色というのだろうか、落ち着いた橙色の花に癒される。

まだ午前中なのに、朝からいろいろな出会いがあって、すっかり幸せな気分になる。

時刻は昼前。
薄曇りだけど、おだやかな天気。

滞在の残りは、実質、今日の午後と明日一日。
大切に過ごそう。

可愛い菊を見ながら、思った。


(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?