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#011 服づくりを深める対話

しばらくnoteをさぼっておりました(笑)マイペースですいません。チームメンバーからも「笈沼さん、なんでnote止めてるんすか」と言われまして「はい、ほんとすいません」としか言えないのですが、よし、日記を再開します。

さて、2週間前から、「服の不自由」を抱えていらして、私と長嶋さんからの呼びかけに対して挙手くださった方々とつながり、お時間を頂戴して話を伺うことを始めています。carewillの戦略も、製品も、組織も、やっと具体性を持って次のフェーズに進められる段階に入り、皆様からの声を何らか形にしていける状態になってきたためです。

連日、服の不自由を感じられている皆さんの声をうかがいながら、服を通じてその人その人の人生観と、服に対する多様な価値観に触れ、さらにケアウィルへの期待や貴重なアイディアも賜りまして、皆さん、本当にありがとうございます。

改めて、ケアウィルの服のデザインは”誰しも” が美しいと感じるものでなければいけないと強く思いました。なぜなら、美しい服を見て、着て、気持ちが潤う、人と会いたくなる、というのは身体の不自由とは関係のない人間の普遍的な感性だからです。

勿論、ケアウィルの服は身体に何らかの傷病を患っている方向けのものです。でもその服は、傷病を患っていない人でも、また、傷病から回復した後であっても「着たい」と思わせるものであるべきです。つまり、感性に境界線を引かないということです。

だから、僕らの服づくりにおいて「◯◯向けの服」というラベリングはどうも心地が悪い。それをした途端に、ケアウィルの服は着る人を選別し、着ない人にとっては自分とは関係ない服と感じさせ、つまらない性格のものになってしまう気がしています。

また、デザインを考える際には「服の不自由」という名の通り、その人ではなく、その人が着る”服” に課題があると考えることが起点になると思っています。どんな服の着方であってもその人にとって快適な着方が正であり、それに合った服づくりが正であると思うからです。

逆に、服が、着る人に対して「自分は◯◯だからこの服を着られないんだ」と思わせ、病気や怪我を自覚させたり、服を楽しむことをあきらめさせることはあってはいけない。そのためにも、ケアウィルの服作りは着る人の意思や希望を中心に据えるべきと考えています。

一方で、服はわがままな商材。在庫リスクや流行り廃りもあり、少量で作る限り低粗利です。だから、なるべく多くの方々の不自由を最大公約的に解決する意匠と機能へのこだわり、服を長く着て楽しんでいただく工夫、将来の価格の改善を見越した消費者との対話が必要な気がしています。

まだまだ答えが見えてこないことだらけなのですが、服の不自由がある方々の声を深く聞き、僕らが開発した服を着用いただいた方々と誠実に対話を重ねていけば、少しづつ見えてくると僕は信じています。

引き続きどうぞご協力、応援のほど宜しくお願い致します。

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