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悩み多き大学生のためのキャリアデザイン入門 Vol.3【小説版】

 私は授業を終えて、自宅へ帰るため駅に向かった。少し前を肩幅の広い男子学生が歩いている。キャリアデザイン入門の授業で同じグループになった南条くんだ。私は小走りで駆け寄った。
「南条くん!」
 南条は驚きながら、私を見る。
「えーと、確か」
「東野です。先ほどは口火を切ってくれてありがとうね」
 私は感謝の気持ちを述べた。
「南条くんも駅?」
「俺はこれから部活の練習なんだ。道場が駅の向こう側にあるんだよ」
「部活やってるんだ。体格いいもんね。何部?」
「柔道部。高校から続けていて、将来は警察官になりたいから、大学でも柔道部に入部したんだよね」
 私は南条君の警察の制服姿を思い浮かべた。南条くんは私服刑事の方がお似合いかもしれないと一人妄想する」
 駅が見えてきた。
「じゃあ、また来週の授業で会おう」
 南条君はそう言い残して、駅を通過していく。私はそのまま地下鉄に乗った。
 南条くんが将来のことまで考えて、大学生活を過ごしていることに驚いた。私はどうだろうか。ごく普通の高校に通い、ごく普通の大学へ進学して、ごく普通に過ごしているだけだ。主体性を持って、考えながら大学生活を過ごさないと、あっという間に四年間が過ぎ去っていきそうだ。四年間という歳月だけは平等に流れる。感じ方の問題には差があるだろう。生かすも殺すも自分次第だ。
 自宅に到着すると、どっと疲れが出る。まだまだ大学に通うだけでも疲れるようだ。
「大学はどう?楽しい?」
 夕食の準備を済ませた、母親が私に訊いてくる。
「そうだね。まだやっとなれたって感じかな。そのうち、アルバイトとかサークル、ゼミなんかも考えないとね」
 翌日も大学は一限目からあった。目まぐるしく毎日が過ぎ去っていく。
 キャリアデザイン入門の授業の日がやってきた。私にとって、密かな楽しみになっている。まず、あの先生が気になる。服装からして黒づくめで不気味な印象があるが、表情は柔和、しかし掴みどころがない。授業では、取り立てて面白いことをいうわけではなかったが、授業の内容が私の琴線にふれる。余韻を残す言葉が毎回出てくるからだろうか。
 前回、前々回同様に前列に着席する。
 今日も桐屋先生は黒一色だった。
「いやー皆さん、一週間経ちましたね。どうですか?主体的に大学生活過ごせていますか?前回の授業では、キャリアの語源やキャリアは人生そのものなんだよってお話ししましたが覚えているでしょうか。本日は、キャリアについてさらに踏み込んだ話をしていきたいと思います」
「少々、概念的な話が長くなります。キャリアを人生そのものと捉えた場合、キャリアの概念には、大きく二つのキャリアが存在します。何だと思いますか?彼女いかがですか?」
桐屋先生が、前方右列の女性を指さす。
指された女性は少し考えてから「仕事とか」と自信なさげに呟く。
「はい。ありがとうございました。皆さん、彼女に拍手を」
「仕事。いい線ですね。ワークキャリアというものがあります。一方で、キャリアは人生そのものなので、ライフキャリアというものもあります。キャリアを人生そのものであると捉えた場合、キャリアという大きな概念の中に、ライフキャリアがあり、その中にワークキャリアも含まれます。それでは、本日はそのキャリアの概念をお話しする上で、重要な……スーパーの理論についてお話しいたしますね」
私はスーパーと聞いて、近所の「スーパーつるかめ」を思い浮かべた。よく行く小売店だ。
 桐屋先生が「スーパーといっても、食料品を売っているあのスーパーではありませんよ」とすかさず言ったので、私は一人苦笑する。
「キャリア理論の第一人者といっていいでしょう。ドナルド・E・スーパーの理論です。キャリアは、もともとは狭義の意味でしたが、このスーパーがキャリアの考え方を拡張しました。それまでは、キャリアといえば、職業の側面が強かったと思います。人生そのもの、生き方や役割など広義の意味に捉えました。それが今のキャリアの理論、とりわけキャリア発達理論として扱われるようになりました」
「はい、ここまでで質問ある方は?」
 私は思い切って手をあげた。
「キャリアには理論があるということですが、他にもいろいろあるのでしょうか?」
「ご質問ありがとう。彼女に拍手を」
 質問しただけで、拍手をされて少し照れる。
「はい。キャリアには、様々な理論があります。心理学をベースにしたものや、経営学、教育学など学問領域を越えて、構築、開発されています。人生には正解がありますか?ありませんか?」
「ないですよね。これから皆さんは人生の岐路に立った時に、選択や決断をする場面がたくさんあることでしょう。この授業に出ているほとんど学生は将来について漠然とした不安があるでしょう。私が強調しておきたいのは、色んな学者が考えて、研究してできた理論は多くあり、これからも研究はされ続けます。ただし、人生には正解はない。だからこそ、一つの理論や考え方に拘泥、つまりこだわる必要はないのです。様々な理論を知っておくことは、知識も増えて、皆さんの人生を豊かにする助けになると思います。因みに知識と知恵は違います」
 知識と知恵の違いはなんだろうか。
「知識はそれだけでは、あまり役に立ちません。それをいかにして知恵に変えて、皆さんの人生に役立てられるかではないでしょうか?理論を知り、知識を蓄え、知恵に変え、皆さんの人生をよりよいものにしてください。その際に、巧みに理論を使いわけて、自らの人生を選択する助けにしましょう」
 なるほど、知識と知恵の違いとはそういうことなのか。今の時代、知識の情報収集はたやすい。インターネットですぐに手に入る。ただ、知識だけで頭でっかちになっても、それだけでは単なる情報に過ぎない。その知識を活かして、どのように知恵へと変換していくかが重要だ。
「では、スーパーのキャリアの定義についてのお話をします。スーパーによれば、キャリアは各段階での自らの役割を組み合わせたものだと考えました。各段階というのは、それぞれの年齢によって発達段階と発達課題があり、人間は成長するのです。各段階を整理すると、次のようになります」
桐屋先生は、配付したレジュメを見るように、手にしたプリントを掲げた。
1.成長段階(0~14歳)→発達課題は、家庭や学校での経験を通じて、仕事に対する空想や欲求が高まり、職業への関心を寄せる。
2.探索段階(15~24歳)→発達課題は、学校教育・レジャー活動・アルバイト・就職などから、試行錯誤をともなう現実的な探索を通じて職業が選択されていく。
3.確立段階(25~44歳)→前半は、キャリアの初期であり、自分の適性や能力についての現実の仕事のかかわりの中で試行錯誤を繰り返す時期。後半は、職業的専門性が高まり、自分の能力・適性を生かすことに関心を持ち、キャリアを確立する。
4.維持段階(45~64歳)→自己実現の段階となり、安定志向が高まり、既存のキャリアを維持することに関心をもつ。
5.解放段階(65歳~)→職業世界から引退する時期。セカンドライフ(新しい役割の開発)が新たな課題となる。
「このように、各発達段階よって、発達課題が存在します。もっとも、これからの時代は、確立段階を経てから、再び探索段階に戻って新たな職業選択をしなければならないでしょう。皆さんは、65歳以上になっても働くことが極めて高いでしょう」
 私は授業で配られた、レジュメに目を落とす。私は今、キャリア発達の中では、探索の段階だということがわかった。まだまだ、猶予はあるから、模索しながら、将来どのようになりたいか探索していけばよいのだ。

Vol.4へ続く

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