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もうコーラスなんて!?

約2カ月半ぶりのコーラス会から帰ってきた母は、疲れていた。電車に乗るのが久しぶりであり、しかも感染が気になるせいで以前より気を使わなければならなかった、と言うのだが、20分ほど電車に乗ったくらいでそんなに疲れるとも思えない。

コーラス会の10人いる会員のうち来たのは5人だけだった。来なかったうちの1人は怪我が原因でもう復帰は無理なのではないか、と母は言う。怪我は、タンスの引き出しを引っ張ったらすっぽ抜けて尻もちをついたことが原因だという。骨折したわけではないが、外出できないだけでなく日常生活にも支障をきたしているらしい。ケアなんちゃらとかいう介護施設に泊まっているということだった。

ほかにも、ピアノ担当の先生はまだ若く、母よりも10年も下の学年(先生も含めて全員が同窓生である)だが、帯状疱疹になったしまったということだった。ピアノを弾くとまだ痛むということだったが出席はしていたという。

指導をお願いしている先生だけがやたらに元気で、月1回で来年3月までのはずだったのに、多数決を取った結果、月2回することになったという。ちなみに月1回に手を挙げたのは母一人だったそうである。なんとなく、だが、来年3月までという申し合わせも、なくなりそうだ、と母は憂鬱そうに言った。

帰りに公民館の近くの喫茶店でお昼を食べたという。いつもはほぼ全員で食べていたらしいが、コロナのせいもあって行ったのは3人だけだった。会長さんがお腹が空いたと言ってサンドイッチを、母と別のひとりはシナモントーストを注文した。会長さんは、それでは足りなかったといって、アイスクリームも食べた。「あなたたちは?」といわれたが、2人ともことわったという。ちなみに会長さんは、体重が55キロを超えたという話だった。女性の体重のことをいわれても、ぴんとこないのだが、母が、50キロを超えたのがショックだと話していた記憶があるので、かなり重いのであろう。

その会長さんが、帰りに寄ったパン屋さんで、勧めてくれたのがハードトースト。それは1枚2センチ厚に切ってあって、「そりゃあまいにちあんなの食べてたら太るに決まっている」と母は言うのである。母は母で、そのパン屋でライ麦パンを見つけて、ハードトーストと一緒に買ってきた。ライ麦パンは、最近ではあまり見かけないが、母が40年前にパン屋をやっていたときの定番商品で、酸っぱい味がくせになるというか、なんともいえない美味しさがあって、母もわたしもけっこう好きだった。

どうやら、毎日朝から晩までテレビの前に座っている生活から、ひさしぶりににぎやかな一日になったせいで母は疲れてしまったようだ。

だが、それにしても、とわたしは思った。

コーラス会はほとんど唯一の楽しみだったのだから、もっとはしゃいで帰ってくるかと思っていたのである。ところが、母は、ひたすら疲れた疲れたと繰り返すばかりだし、月2回でずっと続くことになったのは良いことのはずなのに、ちっとも嬉しそうではない。逆に憂鬱でしょうがないという顔をしている。

いったいどうしてしまったのかと思っていたら、翌日謎が解けた(ような気がした)。昼ごはんを食べ終わった時、いつも食卓に置きっぱなしになっている楽譜を取って開きながら、「8分の6拍子のときは、4分音符を8分音符って呼ぶって知ってた?」と言いだしたのである。

「先生に8分の6拍子の楽譜を読めと言われて、4分音符…と言い始めたら、言い終わらないうちに先生が、『8分音符!』と訂正したの。4分音符が8分音符に代わるなんて今まで知らなかった。知ってた?」とたたみかけるように母が聞く。

4分音符は、1小節を4つに分けた長さの音だから、8分の6拍子でも、4分音符のままだろうとわたしは思ったが、自信がなかったので、「いや」と言って、あとは黙っていた。

母の説明も要領を得ないし、4分音符を8分音符と訂正する音楽の先生がいるとも思えないが、先生が間髪を入れずに訂正したという事実に、母はひどくプライドを傷つけられたようだ。それで、もうコーラスなんてどうでもいいと言いだした、ということなのではないか。というか、それ以外には考えられない。

わかっていたはずなのに、とっさのことで言い間違えて、それを有無を言わさず間違いだと決めつけれられる。この際、正解を本当に知っていたかどうかは関係がない(多分正確に知ってはいなかった)。でも、間違いを指摘された時に、それを自分でも気が付く、あのくやしさが、まさに、くやしくてしかたないのである。変な言い方だけど、そういうことなのだと思う。

先生に叱られたことがよっぽど悔しかったようて、帰ってからも、その翌日も1日中、ずっと気になって気になってしかたなかった、と母は大声で電話のだれかに延々と話していたのである。わたしは離れた部屋でテレビを観ていたのだが、あんまり大声で話すので全部聞こえてしまったほどだった。

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母が住む実家で週末ごとに過ごす日々。 母との大切な時間を綴る。

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