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父のボケ(1)食品と放射能汚染

父はがんで亡くなったが、最後まで頭の方は比較的しっかりしていた。といっても、それは比較的には、というだけで、後から考えてみると、いろいろおかしなことがあったことに思いあたる。とはいうものの、さすがに元大学教授ではあり、他人に弱みを見せない術は心得ていて、日常的に接している人間でも、その兆候はなかなかわからなかった。

わたしが最初に、はっきり確信をもって、これは明らかにボケはじめだろう(認知症にせよたんなる老化にせよ)、と気が付いたのは、たぶん2011年の震災があってすぐのことだったと思う。父が亡くなる2年前のことだ。

父は、食品関係の教科書を何冊か書いていたが、その大半は、父がまだ60代だった90年代の初めに集中して作ったものだった。その教科書のできがどうだったか今のわたしには何ともいえないが、比較的長い間使われていたのは事実である。中には重版どころか改定版を出したものもあったくらいだ。

でも、さすがに20年もたつと教科書としては明らかに時代遅れになっており、震災の頃にはもうほとんど売れなくなっていたと思う。それでも、それはもうすでに父のライフワークになっており、本人は死ぬまで改定版を作ることに意欲を燃やしていた。

それがそもそも認知症(または老化)なのだと言われればその通りかもしれないが、自分の本の改定版を作ること自体にはなにもおかしなところはない。多少強引に出版社と駆け引きするくらいでなければ本など出せないだろう、とわたしは漠然と考えていたのだった。

だが、2011年3月11日に震災があり、そこからなんだかおかしなことになったのである。

父は、その頃もずっと、教科書の改定版を計画中であり、80歳を過ぎてたぶん他にすることがあまりなかったせいもあって、ときどきわたしのところにも、改定の話を持ってくるのだったが、いつも要領を得ない話ばかりで、終わってみると何を話したのかまったく記憶に残っていないことが多かった。

出版社にも一度か二度は一緒に行ったことがある。編集者は、明らかに面倒臭がっていることが、その態度からなんとなく察せられた。というか、編集者が、父に、改定版は今の状態(ほとんど売れないということ)では出せない、作るとしたら付録の冊子を挟み込むくらいだ、と明言していたのをわたしはハッキリ覚えている。父は、聞こえなかったように自分の計画ばかり話していた。だが、相手の話とは違うことばかり言ってけむに巻くのは、昔からの父のやり方であり、付き合いの長い編集者もそれはわかっていて、話は常に平行線をたどっておしまいになるのだった(付き合い=年齢のわたしにもそれは一目瞭然のことだった)。

そんな中、東日本大震災は起きたのだった。すぐに原子力発電所の爆発事故があり、連日紙面に放射能の解説記事が掲載されるようになった。今の新聞に新型コロナの記事が溢れているのに似ているが、同じ目に見えない敵とは言っても、新型コロナはソーシャルディスタンスがきちんと守られれば、それほどの脅威ではないことがわかってきている。放射能はそういうわけにはいかない。若者ほど強い影響を受けるし、大気中に拡散して行くのだから、遠く離れる以外には身を守る方法がない。わたしの勤め先にいた外国人は全員(といっても二人だが)、三月中にさっさと母国に帰ってしまった。小さい子のいる職員の中には、関西方面に疎開した人もいた。

新聞が連日のように載せる放射能の解説記事を見た父が、新聞を郵便でわたしに送りつけて来るのに時間はかからなかった。分かりやすい解説だから、これを使って、教科書に食品の放射能汚染についての項目を執筆しろということだった。確かに分かりやすく書いてあったが、それは新聞記者が素人向けに分かり易く書いているからである。食品の専門的な教科書に書くときに必要とされるのは、そういうレベルの知識ではない。そういうレベルの知識もあっていいが、専門教育で放射能の話をするのに、そんなレベルの話で済むわけがない。

そんなことがわからない父ではない。いや、なかった。そのはずだった。わたしは少なくともそう信じ込んでいたのだが。

まあ、新聞記事レベルのやさしい話を枕に、勉強して放射能汚染の項目を書け、というつもりなのだろうと思って、わたしはしばらく放っておいた。放射能のことなんて大昔に大学で習っただけで、新聞もTVも実のところなにをいっているのかほとんどわからなかったからである。新型コロナとは大違いで、今回は専門家が何を気にして、何を誤魔化そうとしているか、どのくらい誠実であろうとしているか、一応はわかるレベルの知識がある。今だったら父に言われるまでもなく、新型コロナの教科書が書ける? というのはもちろん冗談である。教科書というのはそういうものではない。

放射線汚染の執筆の話は、しかし、いつまでも終わらなかった。わたしが知らん顔を決め込んでいると、毎日のように、新聞記事が送られてくるようになったのである。中には、父の専門分野の学会誌に書かれたやさしい放射線の話の特集号まであった。常識的に考えれば、教科書の執筆をその特集号の執筆者に依頼すれば良い話なのだが、わたしに記事を送りつけてくるだけで、父はほかにはなにもしていないように見えた。

あるとき、そのことを歯科医の弟にいうと、それは明らかにおかしいから、どうにかしないといけないんじゃないの、と言われた。だが、彼も言うだけで、なにもしないのだった。まあ、わたしも同じである。どうせ教科書の改定版は出ないのだし、迷惑といえば迷惑なのはわたしに対してだけである。気が変になったわけでもなく、本人はいたってまともなつもりである。実際まともだったのだろう。ただ、ちょっとだけタガが外れてしまっている? かもしれない、というだけのことなのだ。

結局、教科書の改定の話はそのまま全く進まずに、新聞に放射線の話が載らなくなると父も興味を失ってしまったようだった。出版社との間でなにかやりとりがあったのかもしれないし、単に気力を失っていっただけなのかもしれない。離れて暮らすわたしには詳しいことはわからなかった。

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母が住む実家で週末ごとに過ごす日々。 母との大切な時間を綴る。