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「生きていくのは大変です」

実家の敷地に今はだれも住んでいない 3 階建ての古いアパートが建っている。最近雨漏りがひどくて台風のたびに部屋が水浸しになる。九月の大型台風ではかなりの量になり、バケツでくみ出すのも一苦労だった。十月にも大雨が降ったが、母は前回でよほど懲りたらしく、見に行こうともしないのだった。

それで少しでも楽になるようにと思ってネットで電動ポンプを探すと、千円以下でいくつもみつかった。用途は書いてないが、どうやら水槽の水を循環させるのに使うもののようだ。溜まった水を汲みだすものもあったが、値段が値段だけに、大量の水を処理するものではなさそうだった。

いろいろ探した結果、最低水位 2.5 ㎝という機種を見つけた。それ以下の水位のものは見つからなかった。だが、水位 2.5 ㎝は、水槽なら問題ないが、床に溜まった雨水ではちょっときつい気がした。それで、探しながら横で TV を観ている母に、「(必要水位が)意外と高いかもしれない」と言うと、何を思ったのか、「いらないわ。水かきぐらい自分でしなくちゃ」と言い、それから一呼吸おいてから、突然まっすぐ前を見つめて思い詰めたように

「生きていくのはたいへんです」

と他人に有無を言わせない強い語調で言い切った。

これは、母が嫌だと感じた提案を断固拒否するとき最後にいうお決まりの処世訓のひとつで、その話題はもう二度と口にするなという意味なのである。
そりゃあ、生きていくのはたしかに大変だが、千円のポンプごときに何を怒ってるんだと思った。多分母には、たかだか床に溜まった水を汲みだすくらいのことに、お金を使うという発想が気に食わなかったのだろう。でも実際にそれは結構な重労働で、母は自分でやりたくないから見にもいかなかったのである。その足元をみられたようでプライドが傷ついたのかもしれなかった。

言葉だけ聞けば、時代劇の決め台詞のようでもあるが、言い方が妙に切羽詰まっている。誰にも異議を挟ませないぞ、という気迫があり、わたしは子供のころ叱られた記憶と重なって、ああ言うんじゃなかったというむなしい気分に襲われた。たかだか千円の使い捨てに近いポンプにそこまできっぱり否定しなくてもいいじゃないかと思う。そもそも使えないと決まったわけでもない。

なにかちょっとでも嫌な感じが入り込むとそうやって自分の言葉で切り捨ててしまうのは、実は母は昔からなのだが、年々ひどくなってきたようにも感じられる。もっとも今回は、わたしの言い方も悪かったのだ。それで御大層なものを持ち出して楽しようだなんて、何様のつもりか、と感じてしまったのだろう。こちらは、べつに楽をしようとは、そりゃ確かに思いましたけどね。そんなに腹をたてるほどのことではない、と思ったがすべて後の祭りなのだった。

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母が住む実家で週末ごとに過ごす日々。 母との大切な時間を綴る。