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母が父の命日を忘れた日

毎日の感染者が千人を大きく超えるようになってきて、心配症の母は朝から晩までニュースにくぎづけである。

そのせいなのかどうか、というかそのせいであってほしいと思うのだが、朝食のとき、カレンダーをみながら母が言いだした。

「昨日は、お父さんの命日だったわね」

わたしはうなずく。「だから、先週の土曜日には妹夫婦が、日曜日には弟一家が来たんじゃないの? 聞いてないけど、たぶん」

「まだ6月だと思っていたの。だから月命日でお花とお供えはしたけど、まさか祥月命日だったなんて」

つまり、自分の夫だった人間の命日を忘れていたというのであった。

「もう昔のことになったのね」と母はさらっと言うのだが、そういうことなのだろうか。

それだけでもかなりおかしいような気がするが、おとといは、昼間わたしが二階で仕事をしていて、トイレに下りていくと、電気が点いていたので、少し待ったが、出てこない。しかたなく、また二階に上がって、メールをチェックしてから、再び下りていったが、まだトイレの電気は点いたままだ。いくらなんでも、こんなにかかるはずはないと思って、ノックしてみると、案の定、だれも入っていなかった。

電気が点けっぱなしになっていることなど今までになかったが、そんなこともあるだろうと思いながら用を足す。水を流して手を洗い、さて、とタオルを取ろうとすると、なくなっていた。ということは、タオルを変えようとしていたのか? でも新しいタオルは風呂場にあって、風呂場はトイレの横である。取り替えるのにたいして時間はかからない。そもそも母の姿はどこにも見当たらないようだ。居間のほうをみると、TVは消えている。まさかタオルがなかったので買いに行った? いくらなんでもそんなはずないだろう。

なにがなんだかわからないまま、わたしは再び二階で仕事に戻った。

夕方、仕事を終えて居間に行くと、母が憂鬱そうにTVを見ていた。

「トイレの電気、点けっぱなしだったけど」とわたしが言うと、

「そうなの。なんだか、とうとうボケちゃったみたいで、もうぜんぜんおかしいの」と母が言う。「タオルを変えなきゃ、と思ってお風呂場に行ったのに、古いタオルを洗濯かごにいれて、なぜかそのまま忘れちゃったみたいなの」

(なにか別のことが気になったのだろうか?)とわたしは思ったが、黙っていた。もし、なにも気をそらす出来事もなく、風呂場まで歩いて行くうちに目的を忘れていたら、それこそ深刻な事態であるが、いくらなんでもそれはないと思ったのだった。だが、母は理由が思い出せないというのである。気がそれた理由を言うのがはばかられたではないか、とわたしは思い、それで聞かないことにしたのだった。

それで、今度は父の命日である。もっとも、これも単に6月と7月を取り違えていたというだけのことかもしれない。

それに、自分でおかしいというのだから、実際には大丈夫なのだとは思う。間違いに気付かなくなったらそれこそ大問題である。健康診断の結果はすこぶる良好で、最近は血圧も120を超えたり超えなかったりのようである。もっともその値を出すまで何度も測り直しているところは、わたしは見て見ぬふりだ。

問題は、認知機能だけというわけなのだが。さて。

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母が住む実家で週末ごとに過ごす日々。 母との大切な時間を綴る。