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ゆめとうつつ

ながさごだいすけ

川というよりは、きれいなコンクリートの水路のようなところに泳ぐ無数の鯉と巨大な鳥居のイメージは、伊勢神宮とは関係がないようだった。

わたしは、自分で旅行するようになってから伊勢神宮に行ったことはないので、母も連れて行っていないというのだから、行っているはずがない。ということは、あのイメージはどこか別の場所ということになる。

夢ではないと思うのだが、まれに、夢と現実が混同されてリアルな記憶だと思い込んでいる場合もまったくないわけではないので、注意が必要だ。滅多にないことだが、わたしにも一度だけ夢と現実を混同した、という忘れられない記憶があるのである。

それは、わたしがまだ大学院生の頃のことだった。具体的なシチュエーションは覚えていないが、たまたまよく知らない四年生の女子と二人だけになり、黙っているのも変なので、そういえばこの間もっていた文庫本のことを話したっけと思い「こないだ読んでたXXX、どうだった?」と聞いたのである。すると彼女は変なものでも見るようにわたしを見て、「わたしはそんな本は読んでないし、そのことであなたと会話を交わした覚えもない」と答えた。本のことだけは絶対に間違うことはないと思い込んでいたのでショックだった。夢で見たのだと、言われてみるとそんな気がしないでもなかった。そんな失敗は、はじめてだったので、以後気を付けて、うかつに他人に本の話はしないようになった。

たぶん、大学院の追い込みの時期で博士論文の仕上げに徹夜が続いていたせいで、記憶があいまいになってしまったのだろうと思う。そういえば、その時彼女は、薄暗い廊下でロッカーから鞄を取り出すところだった。たまたま手に持っていた本の題名が目に入ったので、そんな本を読むのか、と聞いたのだった。今その本がなんだったかは思い出せないが、たしかSFだったと思う。

考えてみると、いかにも夢の中にでてきそうなシチュエーションである。その時の四年生がだれだったのかも忘れてしまったし、そもそも夢だったのだから、確認のしようもない(わたしが恥をかいたことは記憶されているかもしれない)のだが、ここまではっきり記憶に残っている夢はそうそう多くない。なんでなのか自分でもよくわからない。というのも、その四年生は、一緒に卒論をしていたわけでもなく、たんに同じ研究室に所属していただけで、話をしたのも、最初が夢なのであれば、それを確認したその一度きりなのである。

一方で、夢だったらいいのに、と思う現実もある。

同じく大学院生のころ、ドイツに住んでいたという帰国子女の四年生が、E・S・ガードナーの原書を読んでいたのを見て、つい「アール・ガードナーは面白いの?」と言ってしまったことがあり、それは間違いなく夢でも何でもない、わたし自身の黒歴史として記憶に刻み付けられている。なんで黒歴史なのか、というと、日本ではE・S・ガードナーと呼ぶのが一般的なのに、原書の表紙にErle Stanley Gardnerと書いてあったせいで、「アール」などと言ってしまったためである。すぐに彼女もわたしが作者名すら正確に覚えていないことに気づいて、思わず皮肉な笑みをもらした(ああ、恥ずかし)。でも、これは夢ではない。いっそ、こちらのほうが夢であったらと思いたいくらいだが、これはリアルな出来事である。

どうでもいいことだが、いまだにE・S・ガードナーは一冊も読んでいない。ペリー・メイスン物の作者として世界的に有名な推理小説作家だった。彼女は、ドイツで古いTVシリーズを見ていた、とその時話した気がする。

どちらも、SFと推理小説ということで、わたしがいた学部の学生はまず読みそうにない種類の娯楽小説だったから(実際、そんな話は他に聞いたことがなかった)覚えているのである。といっても、片方は夢なのだから、もう何をかいわんやである。

だが、わたしは確信している。お伊勢参りもSFの彼女も、なにか絶対に裏があるはずなのである。

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