初めてのフェリー(1)カンタベリー詣
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初めてのフェリー(1)カンタベリー詣

ながさごだいすけ

生まれて初めて乗ったフェリーは、イギリスのドーバーからフランスのカレーに渡る便だったと思う。途中でカンタベリー寺院に寄り、そこからバスでドーバーの町に行き着く予定だったが、うろうろしているうちに目の前にいたバスが発車してしまい、途方に暮れているときに、親切なカンタベリーの駅員さんに助けられて、ドーバーまで彼の車に乗せてもらったのだった。20代だった1980年代はじめの頃で、まだそれほどヨーロッパに東洋人が多くなかったから目立ったのだろう。

特にカンタベリーは本当に小さな町で、そもそも観光客があまりいなかったせいもある。わたしは、チョーサーの『カンタベリー物語』が好きだったのと、ヘンリー八世の逸話の中にカンタベリー教会が出てきたことから(これも元はといえば、リック・ウェイクマンのアルバムだ)、イギリスに行く機会があれば絶対に行きたいと思っていたのだが、肝心の大聖堂に行っても、礼拝中といわれ(扉を入るとすぐに、身振り手振りで追い払われた)て中は見られなかったのだが、その間も観光客らしき人にはほとんど出会わなかった(その時は、初めての大聖堂だったので、まったく不思議に思わなかった)。

今と違って、まだ航空運賃はそれほど安くなかった時代である。この機会を逃したらもう一生来られないかもしれないと思ったら、カンタベリーだけははずせないと、当時のわたしはなぜか思い込んだのだった。できることなら、カンタベリー詣でのように、徒歩か馬で行きたいくらいだったがさすがにそれは無理で、ロンドンのビクトリア駅から電車で行った。途中でガトウィック空港を経由していたから、今思うとずいぶん回り道していたことになる。

そもそも家庭教師のバイトしかしたことがない大学院生が、ヨーロッパに行く旅費なんて持っているはずもなかった。実はその数年前に、父が二回目のサバティカル(研究休暇)でイギリスとアメリカに母と弟をつれて留学していたのである。母と弟はそれが初めての海外旅行で、いろいろ思うところがあったらしく、妹が大学4年生の夏休みに、わたし(修士2年だった)とふたりでヨーロッパに行く旅費を出してくれたのだった。弟だけつれて半年も海外を遊び歩いてきた後ろめたさもあったのではないか、と思わないでもないが、そのときかかった費用は貧乏な大学教師にはかなりの負担だったような気もする。

父は、子供に出費するのを喜ぶ人ではなかったと思うので、これはたぶん母の独断であろう。パリであんなことがあったのに、よくそこまで思い切ったものだという気がする。それもまた、わたしがひとりで幼稚園に通っていたことにつながるのだろうか。確かにそういう面では人一倍大人びていたとは思うのだが、…

でも、そうだ、書いているうちに思い出してきたが、あの時わたしは旅費がいくらあるのかすら教えてもらえなかった。会計係は妹で、わたしは必要な時にもらうだけだった。だから40年たった今でも、妹がいくら持っていたのか知らない。

なんということはない、信頼されていたのは妹のほうだったのである。母は娘に世界を見せたかった。ひょっとして、わたしはたんなるおまけだったのだろうか。

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ながさごだいすけ
母が住む実家で週末ごとに過ごす日々。 母との大切な時間を綴る。