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傷付くという経験

中学のころからの友人がいる。
名前をAとします。

思えば彼女には、度々傷付く発言をされていた。
大学を卒業して就職先を報告した時。
「大学で学んだことと、全然関係ない会社だね。」

例えば、今の旦那(旦那も彼女も医師です。)と付き合い始めたことを報告した時。
「医者は浮気するから、やめたほうがいいよ」

そして、何よりも不思議なのはこういうことを言われても私がAちゃんとの付き合いをやめなかったこと。
42歳になった今でも定期的に連絡はとっている。

なぜか。
傷付くことを言われるけれど、そういう発言をするときのAちゃんの表情は悪気はない。ということを私に伝えてくるから。
傷付けてやろうとか、意地悪言ってやろうとかいう気持ちはなく
反対にアドバイスしてあげようとか、心配してるからという気持ちからでもない。
何も考えず、無機質にそういう言葉を発するように感じているからだ。

もしかしたら、相手の気持ちを考えられない子なのかもしれない。
私の受け取り方をコントロールさえすれば、別に他の部分では楽しいし
一緒にいるという選択を私はしていた。

ただ、私はAちゃんと話すときにはいつも「どのタイミングで傷つくことを言われても大丈夫なように、常にファイティングポーズを保ち続ける」ようにはなった。

少し話がそれますが。
母は心筋梗塞で亡くなりました。
簡単に言うと血液が詰まる現象。
母は20年前から糖尿病でした。
13年前に左目の視力を失っています。
それでも、毎月病院に通ってインシュリン注射は欠かさず
血糖値のコントロールはできていました。
亡くなる1週間前にも定期検診にいき、数値を見ましたが問題はなかったです。

そして、昨日の出来事。
仕事帰りにたまたまAちゃんに会いました。
そこで母が亡くなったことを報告。
心筋梗塞だったこと、糖尿だったから心筋梗塞のリスクは普通の人より高いということ。それらもかいつまんで説明したんです。
ちなみにAちゃんは医師です。

説明後にAちゃんから言われた言葉。
「目のことがあったし、血糖値のコントロールがうまくいっていないと思ってた。」


私は手が震えました。
なんでそんなこと言うんだろう。
なんでいま、このタイミングでそんなことを言うんだろう。

私はAちゃんの言葉が、一生懸命病気と向き合っていた母を否定したように感じたのです。
私はすかさずファイティングポーズをとり、
病院には定期的に通っていたこと、何より数値はよかったことを話したけど
話しながらもその言葉はとても空虚なものに感じました。

そこからしばらく雑談をしてAちゃんとは別れました。
そしてその日の夜。
急にその出来事が私の心をえぐってきたのです。
きっと直後から怒りや悲しみはあったけど、やらなければいけない日常があったからとりあえず自分を保つために防除してたのだと思います。

Aちゃんは、人の気持ちを想像することができないのかもしれない。
それはむしろ生きづらいのではないのだろうか。
とりあえず今は、そんな風に思う事で自分の気持ちを収めています。

これまでもAちゃんに傷つくことを言われても、何とか自分の気持ちを収めてこれたのは、私の精神が安定していたからだと思います。
いま、それができないのは、やっぱり今の私の精神が安定していないんだろうな。なんて思います。

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