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人事考課の罠 キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事制度講座(41)

 2月に入って、急に寒さが身にしみてきました(註:2015年2月発行のメールニュースでしたので)。
 大雪が降るところもあって大変、と思っていたら、自宅の近所にある小さな梅林では、もう梅がほころび始めていました。
 もうすぐ梅の花の香りが漂い始めます。
 源氏物語を古文の時間に教えてくれたK先生がおっしゃるには、当時、匂いを頼りにして人を探したり、判断したりしていたそうですね、特に暗がりで。
 当時は通い婚でしたから。
 人違いもあったとか・・・(^_^;)
 詳しくは源氏物語「空蝉」をどうぞ!
 (最近、本を薦めてばかり・・・)
 それにしても梅の花の香りと聞くとどうして甘酸っぱい匂いを思い出してしまうんでしょう?

 話は全く異なるのですが、昨年から気になっていたのだけれど取り上げられなかったことを今回取り上げて、作者としてはすっきりしてしまいたいと思います。
 それは考課者が起こしやすい間違いの話。
 その最も有名なのは「ハロー効果」。
 これについては第16号でお伝えしました。
 「はろー」というのは「こんにちは」ではなかったわけです。
 ハロー効果以外にもいくつかよくある間違いがありますので挙げておきましょう。

★中心化傾向、寛大化傾向、酷評化傾向

 中心化傾向とは評価の結果が文字通り中心に偏ることです。
 1・2・3・4・5の5段階評価であれば3に
 S・A・B・C・DであればBに
 秀・優・良・可・不可であれば良に、というような感じです。

 同様に寛大化傾向とは評価の結果が高めに
 酷評化傾向とは評価の結果が低めに偏ってしまうことです。

 こうしたことが起こるのは、一般には考課者の考課能力不足(というよりその人の価値観の偏りといった方がよいかもしれません)という場合と、考課の基準が曖昧である場合とがあります。

 中心化傾向の場合、考課者とすれば「かわいい部下ばかりだから差を付けるのはしのびない」だとか、「今回の業績は部門のみんなの総力によるもの。それぞれがそれぞれの立場で力を出したから達成できたのだから差を付けるのはおかしい」といった判断が働くようです。
 まぁ、中には「差を付けると後で文句を言われたら困る」「説明するのが面倒だ」という理由で差を付けずに中心に寄せてしまう人もいるようですが。

 酷評化傾向になる人は、自分は仕事がよくできる人が多いようです。
 自分と比べてほかの人の力量は努力が足りないように見えてしまうのです。
 自分はできているしそれは当たり前だと思っているので、そうしたことを周りの人、部下や同僚、はたまた上司にまで求めてしまうのです。
 一説によると、こういう気質の人ってNTの人に多いとか・・・ほんと?

 寛大化傾向とは甘めの評価になってしまうことでしたが、「おれの部下はみんなよくできている。他の部門とは比べものにならない」というケースや、「厳しくすると部下に突き上げられてしまいそうだから」というのもあるようです。

 どの場合も、人事サイドで偏りがあることを指摘すると、「基準が曖昧だからだ」「絶対評価にしてくれ」という話にすり替わってしまいます。
 確かに基準が曖昧だと思い切ってよい評価をあげたり、低い評価にしたりすることは難しいかもしれません。
 第35号「成果主義・評価制度」でご案内したあるセミナーでの講師の発言、「よくできている人、できない人を評価すればいい。2:6:2の上下の2をはっきりさせればよいのであって、6に時間をかけることはない」というのがでてくるのも、この基準の曖昧さによる評価のしづらさによるものでしたね。

 しかし、いくら基準を明確にしても、多分この中心化傾向や寛大化傾向、酷評化傾向はなくならないと思います。
 なぜならそれは考課者の価値観、人生観、人間観に根付いたものだからです。
 中心化傾向を持っている人はいつもそうです。
 酷評化傾向を持っている人は、基準を明確にといってもその基準自体が高めになるでしょうし、基準をクリアしているかどうかという目も厳しくなります。
 寛大化傾向を持っている人は、基準を明確にはするものの後で変えたりしますし(それこそ寛大な措置をとる)、判定の眼も「まぁいいか」と甘めになることでしょう。

 基準や評価分布、相対評価か絶対評価かという問題を避けて通っていいというわけではありませんが、まず本人に自身のそうした傾向をきちんと理解してもらう必要があります。
 実際に幾度かの評価をデータとして取って分析すると、その辺りは明確にでてきます。
 人事サイドも、毎回の評価会議の場になって「あなたの部門、ちょっと評価が高すぎませんか?」というその時の評価分布の話を持ち出すのではなくて、きちんとデータを取って解析して、その人にどういう傾向があるかを、人事考課表をつけ始める前にフィードバックしておく必要はありますよ(いったんつけて出すと、ハイそうですかとは修正しづらいですから)

★論理誤差

 考課者が考課要素にしたがって順々に考課していくとき、ある考課要素にきて、「前も似たような要素があった。それとあまり違っては理屈に合わなくなる」と考え、両考課要素の評定を類似させてしまうというようなことをいいます。
 考課項目間のつじつま合わせとでもいいましょうか。
 特に考課項目が多くなるとこうした間違いが出てきやすくなります。
 中には、考課項目を深読みしすぎていて、他の項目との関係性を勝手に見出してしまう人もいます。
 たとえば「あいつ遅刻が多いんだよね。遅刻が多いというのは、自分の役割をきちんと務めようという責任感がないからなんだな。責任感というところを下げておこう。そういえば協調性という項目があったな。責任感がないのに、人との協調はできないよな。それだと単に人に合わせているだけだもんな。そうそう、だったら部下指導力もよくないはずだぞ、定時にくるのが模範だからな。だいたい遅刻するなんてのは仕事の基本ができてないということじゃないか、じゃぁほかのも・・」といった調子で、どんどん下がってしまいます。
 これまでの私の経験では、論理誤差で評価が上がったケースというのを知らないのですけど、なぜでしょう?

★対比誤差

 積極性に富んだ上司は、どんな部下に対しても消極的であると考えるし、特に知識の豊かな上司は、一般に部下の知識を低く評価するような傾向をいいます。
 先の酷評化傾向が現れる理由の一つと同じです。
 対比誤差の結果、酷評化傾向として現れることがあるとご理解ください。
 自分の長所や短所を基準にして、他人の価値付けを行うことによるエラーです。
 だから、逆に自信がない領域については、寛大化傾向として現れることもあります。
 そもそも自分と比べるということが間違いの始まりです。
 全ての考課者が自分と比べて判断しようものなら、考課者の数だけ評価基準ができてしまいますから。

★どうすればいいの?

 こうしたエラーを防ぐにはどうすればいいのでしょうか?
 途中でも申し上げたように、まずは考課者自身にそうした癖を知らせることです。
 癖があることを意識できていなければ直せません。
 間違ったフォームで球を打ってもそれなりに飛んでいきます。
 プレーもできるでしょう。
 でも曲がってしまう確率は遙かに高くなります。
 フォームを直すには、鏡を見て、正しいものと比べてみるか、ほかの人から「そこ、違うよ」とフィードバックをもらうしかありません。
 考課者研修をするとき、「考課者の目線を揃える」ということをいいますが、本当にやらなければならないのは、揃えることよりも、違うということを本人に気づいてもらうことなのです。

 気づいても直せるかどうかは本人次第です。
 どうやっても直せない、直す気がないようだったら、その場合は制度を変えるというよりは、その方に考課者としての役割からは降りていただいた方がよいかもしれませんよ。

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