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分かり合わないことは不幸ではない

ねーちゃんが死んだ。去年のクリスマスに。
ねーちゃんの最後の日はここに書きました。




これはねーちゃんが生きている時のお話しです。
書いてそのままだったので今更upします。

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ねーちゃんが休職した。癌サバイバーのねーちゃんは、乳がんからの肝臓と骨と肺と皮膚へ転移のいわゆるステージⅣ。昔で言う「末期がん」だ。
※今「末期がん」って言葉使わないのだそう。まあちょっと希望ないもんね「末期」って。

いよいよ使える薬がなくなり、「緩和ケア」の段に入った。
ここ最近、キツイキツイと言っていて休職を勧めた。
「一度しっかり休んだ方がいいよ」と。

ねーちゃんは私が自分のために自分の近くに引っ越してきたとは知らないし、ねーちゃんから連絡があれば全てに優先してそちらへ行くとも知らない(昨日も夕方飛んで行った)。別に教える気もない。私が自分の意志でやっていることだし、「こんなにやってあげたのに」っていうのは苦手だ。

医者からは年内かもしれないとも言われていてねーちゃんに会うとひんやりした気持ちで様子を伺う。
いつもサンの「お前、死ぬのか」って気持ちになる。

かたやオカン。オカンも実はややこしい病気だ。数年前に長期入院し、それからずっと薬で症状を抑えている。完治法はない。
しみじみ医療にできることなどたかが知れていると思う。

二人が死ぬと私は天涯孤独なる。
ババ抜きのババみたいだ。生きることが勝ち抜き戦なら私の人生は「負け」だし、最後に残っているものが勝ちなら私の人生は「勝ち」なのかもしれない。

とここまでひんやりひんやりと書いておいてなんなんだが。

ばーちゃんの時にもそう感じたが、人は死が近づくと自分の価値観が強固になるらしい。
子供の頃もそうだから、「生まれたての生」と「もうじきの死」は近くて、実はあわいなんじゃないかと感じる。
つまりねーちゃんは子供の頃の性格が表に出やすくなった。
「自分が正しい」という思い込みで色々話す。

「はるさんのそういうところは直した方がいいと思うよ」
(家族からは「はるさん」と呼ばれる)

オカンとそっくりな口調でおっしゃる。
齢49にして(ねーちゃんは50)、母と姉から彼女たちの常識でスポイルされるという何の罰ゲームなんだろうこれ、みたいな事態が発生する。

オカンとねーちゃんは価値観はズレているのに主張はそっくりで
あくまでも「善意」で、「あなたのそういうところはどうかと思う」という。
ちなみに、私は「人の価値観を否定するのはやめよう(自分の価値観を押し付けるのはやめよう)」と思っているので、オカンとねーちゃんの主張を否定しない。
すると彼女たちの中では黙った私が間違っていて、自分が正しい、がさらに強固になる。

いやちょっと待て。
めんどくせーな、お前ら。

数年前にあまりの面倒くささにオカンの主張を正面からたたき割ったことがある。その結果「はるさんは性格がキツイ」というフラグがつけられた。
彼女たちは誰かの論理的正論など求めていないわけで、あくまでも「自分が正しい」の側に住んでいる。

死が近い彼女たちと分かり合うことは今生ではなさそうで、でもだからってお互いに情がないわけではなく、彼女たちの近くに寄ることは私にとって「チクリチクリ」と大して痛まないけど不快に痛む棘をもつ蔓バラの世話みたいなもので、星の王子様とバラの関係について思いをはせたりする。

分かり合わないことは不幸ではない。

笑っちゃうのはねーちゃんが口にする「みっともない」の口調がオカンそっくりで、田舎のおばちゃんの価値基準の最上位は「みっともない」で、口調も含めてどこかで口伝されてるんじゃないかと思う。

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