「なんか違うな」と思ったら引き返す
こんにちは
へっぽこLife travelerのはるさです
ライフキャリアデザイナーとして皆さまの人生キャリアの岐路でのご支援もさせていただいています
あ、京都いこう のいきおいで、突然仕事をやめ、旅に出ることを決めました
世界へ
ただいま絶賛準備中です
そのお話しについては
【女48歳、仕事をやめて旅に出る】
シリーズに綴っています
フォローしていただけたら飛び上がってよろこびます♪
さて
本日は
「なんか違うな」と思ったら引き返す
いや、正確には
「なんか違うな」と思ったら引き返せ
のお話し
子供の頃から
「一度決めたことは最後まで貫く」
を美徳として教えられてませんか
わたしはそうでした
途中でやめるな!
最後まで責任を持て!
学校でも、家でもそう擦り込まれるから
途中でやめることは極悪非道・人間のクズくらいに信じこんでました
途中でやめる時の
無責任!!
という周りの圧力もシンドいし、途中で「なんか違うな」と思っても、あの圧力の苦痛味わうくらいなら「なんか違うな」と思いつつ、最後までやった方がいいか
と諦めてました
今、考えてみたら
無責任!!!
って圧力かけてくる人、絶対わたしの人生の責任取ってくれないんですよ
冷静に考えたら、責任取らないくせに、人の人生に口出しするの、それこそ無責任じゃない?
したり顔で
絶対○○した方がいいって!!
(ex:仕事やめない方がいい・別れない方がいい・やめろ・別れろ・・・・)
なぜか「絶対」アドバイスが多いけど、これもある意味親切心を前面に出した圧力です
沢山の圧力に負けず「なんか違うな」と引き返すのはパワーが要ります
そのパワー使うくらいなら「なんか違うな」と思いつつ、諦めて続けた方がいいか・・・
そう思っていました
でも、それ、いつまで??
「最後」
って、どこよ?
このまま行ったら、わたしの今生終わっちゃうじゃん?
え???
あれ???
自分じゃない人の無責任な「無責任!」と「絶対」を聞いていたら、わたしの人生、終わっちゃうじゃん?
それ、わたしの人生に対して、それこそ無責任なんじゃない!?途中でやめることを悪行のように思いこんでいることは刷り込みなんじゃない?
そう気づいたら、「なんか違うな」と自分の中に起こる違和感を無視したくはありません
うまく言語化できないけど、自分は
なんか違う
と思っているんだもん
わたしの直感が私に悪いことを告げるはずがない
心も身体もよろんでいない「なんか違う」という違和感は、
引き返せ(立ち止まれ)!!!
というわたしの中から起こる指令じゃん
わたしを構成する細胞が、わたしという存在のために「引き返せ」と命じているならわたしはそれを聞く(聞きたい、でも、聞くべきだ、でもなく、聞く)
それが、自然だから
「なんか違うな」
この世のすべての人が、この違和感を大事にしたら、どんな面白い世界の扉が開くんだろう、と思うと、ちょっとワクワクする
てなわけで、あなたを構成する細胞に伝えてみる
「なんか違うな」と思ったら引き返せ
それがどんなに合理性に富んだ、魅力的に見える道でもね
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