だから母には敵わない
夕方台所で料理を作っていたら勝手口の扉が開きました。
田舎は台所の脇に大きめの勝手口があり基本そちらから出入りします。
開けたのはとなりのおばさん。97歳。
私は絶対百越えだと思っているのですが去年も一昨年もご近所さんから96歳と言われました。
あのおばさんの周囲だけ時空がゆがんでるんだと思います。
まあうちのお隣りには、そんな時空がゆがんだ一人暮らしのおばあさんがいます。
いくつになってもご近所さんもみんな「おばさん」と呼んでいます。
母世代がなんとなくそれとなく近所の人々で見守っています。
そんなおばさんがうちの台所の勝手口を開けました。
私の顔を見てしばらく無言。
目は口ほどに物を言います。
『あんた誰?』
聞かれる前に私はもちろん笑顔で答えます。
「あらおばさんこんにちは。はる吉です。どうしちゃったん?」
生まれる前から知っとるやんとかいらん混乱を招くようなことは口にしません。おばさんが何度となく口にしたであろう名前を言って前からの知り合いであるかのように(実際そうなんですけど)振る舞います。
おばさんは途端に私への興味をなくして自分の用事を思い出します。
「あんたぁうちの%€☆知らんかね」
私はうまく聞き取れず聞き返しました。
おばさん、大きい声でもう一度言います。
「うちのオヤジさん知らんかね。帰ってこんのやけど」
私は沈黙しました。
私の知る限りおばさんの旦那さんは20年近く前に鬼籍に入られたはずです。
夕食に麻婆茄子を手抜きして作ろうと先程レンジにかけていた茄子のレンジ終了音が高らかになります。
おばさんはその音にビクリとしました。
その音を聞きながら私の頭はフル回転です。
「おっちゃんとっくに亡くなったやん」
って言っていいんか!?
あきらかに記憶が混濁している状態のおばさんに「死」は伝えていいことなのか!?
以前「火の消し方が分からんくなった」とおばさんがやってきたことがあります。
ヤカンをガスコンロにかけたものの消し方が分からなくなった、と。
その時は慌てず騒がず
「そうなん。ほな一緒に消しに行こうかね」と走り出したくなる気持ちをおさえておばさんちにガスコンロの火を消しに行きました。
ヤカンは空焚き中でしたが大事には至りませんでした。
あの時と同じように慌てず騒がず…。
なんの案も思いつきません。
「ああおじさんね…」
一瞬考えてあきらめます。
「ほなMさん(母)呼んでくるわー」
母に押しつけることにしました。
母はちょっと具合が悪く奥の部屋で休んでました。
「ハハー!ハハー!Mさーん」
私はうちの中を小走りで(田舎の家は無駄に廊下が長いのです)母の部屋に行き、部屋の外から母を呼びました。
「なん。どしたん」
母が部屋から返事をします。
「となりのおばさんがきててん。おじさんどこ行ったかって」
「…」
母だってなんの話やら理解できるわけがありません。
「おばさんがね、混乱してるんやと思うけどおじさんが帰ってこんから知らんかってうちに来てる。どうしよう。なんて言ったらええ?」
母はこりゃ私には無理だと思ったのか起き出してきました。
母が勝手口に行くとおばさんはあきらかに私の顔を見た時よりホッとした顔をしました。
頼りなくてごめんってば。
「まあおばさんどしたん?」
母がおばさんに話しかけるとおばさんはもう一度言いました。
「ああMさん、あんたぁうちのオヤジ知らんかいね」
母はなんてことないことのように答えました。
「おじさんならちゃんとおウチの仏様におってよ」
「まあ死んだんやったかいね。いつね。最近やったかね?」
おばさんはなんてことないことの様に母の言葉を受け入れました。
「だいぶん前よ。ちゃんとおってか一緒に拝みに行こうかね」
そう言って母はそのままおばさんをうちに送って行きました。
『ちゃんと仏様におってよ』
私には出てこない言葉でした。
私は死んだ(もういない)事実をどう伝える(もしくはごまかす)かを考えて慌てていたのに、母はおばさんの問い通り『今どこにいるか』を答えたのです。
そしておばさんが欲していた答えはそれだったのです。
しばらくすると母は帰ってきました。
「大丈夫やった?」
母はなんてことない様に答えました。
「うん大丈夫よ。寝ぼけとったんやろ。仏様おがんできた」
本当もう…
だから母には敵わないのです。
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