見出し画像

ペットの病気でわかる「医療の進歩」の難しさ

昨年5月に愛猫が逝き、35年ぶりにペットのいない暮らしを始めて1年半が経ちます。

愛猫は、あと3ヶ月で20歳と言う時に力尽きました。
これまでほとんど病気をすることがなかった猫だけど、最後の1年半は検査と点滴を繰り返す日々。
医療費の負担は、なかなか大きいものでした。

猫獣医22225748

25年位前に看取った猫も同じ病気でしたが、当時は病気がわかって3日で逝ってしまいました。
とは言え、その猫はその前からぐるぐる回ってばかりいる認知症的な症状が出て、今思えば1〜2年は介護状態に近かったようにも思いますが、医療を受けたという感覚はありません。
当時は大きな検査はなかった(できなかった?)し、具合が悪くなり、病院に行ったけれど何もできずそのまま静かに息を引き取ったという感じでした。

でも昨年逝った猫は、具合が悪くなって病院に連れて行くと、採血検査をし、さらに精密検査をし、その後、入院して点滴を受けたら、驚くほど元気になりました。
元気になったとは言っても治ったわけではないので、再びだんだん具合が悪くなっていく。
そこでまた検査、入院、点滴。
このくりかえし…。

医療の進歩のおかげで、検査をすればするほど、どこが悪くてどんな治療をすればいいかがわかるものの、それは決して治癒ではありません。
命が長く持つことでもある。死にそうでぐったりしていた猫も、病院で点滴を受ければ嘘のように元気になり、食欲もかなり元に戻る。
でもそれも時間が来るとまた厳しくなり…。

25年前に逝った猫と、昨年逝った猫と、もとは同じ病気だったなんて信じられません。
わかってからの対処が全然違うのだから。
これが医療の進歩。

医療の進歩のおかげで、病気を見つけることができ、原因がわかり、1日も長く元気でいられるための治療や改善策がわかる。
それは本当にありがたくすばらしいことではあるけれど、そこには大きなお金が必要になります。
でも、たとえ「治らないなら治療はしない」と決めていたとしても、知った以上は、何もしないなどという選択は、そうそうできないものだということを痛いほど感じました。

延命治療拒否? 過度な医療は受けない?
言葉で言うのは簡単だけど、当事者、(これは本人というよりは、むしろその周りの家族)にとっては、決して簡単なことではありません。

猫との暮らしは楽しいけれど、再び猫と暮らすところには、まだなかなかいけません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?