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地方の時代映像祭がすごかった〜後半〜

昨日の続き。日中に書こうと思ったけど服の大整理をしたためすっきり!したが、時間を使ってしまいました。いつもと同じ時間帯になってしまった・・今後改善したいです、この時間はもう力尽きている・・

さて、忘れないうちにアウトプットが大事です。ドキュメンタリーを作る人のまなざしや、テーマから思わず出てきた学びがとても面白かった!そして自分の過去を思い出した。今日のブログは聞いたことをメモと 〜は私の感想。

土曜日にいってきた地方の時代映画祭、昨日は〜前半〜としてドキュメンタリーそのものの説明を書きましたが、後半は10分の休憩をはさんで行われた、匂坂緑里監督と加藤登紀子さんの対談について書きます。司会は堀川 雅子さん(読売テレビ 報道局 プロデューサー)。

□なぜこの「引揚者」のテーマに取り組んだのか?
ほんとにたまたまゴーガンの古本からの出会いで、引揚者についてはほとんど知らなかった。古本に挟まっていた通知表そのものにも興味があったし、通知表の持ち主の少女は生きていれば父と同じ年で、父に聴けなかったことを聴きたいという気持ちもあった。「もうはまっちゃったんでしょうがないよね(加藤登紀子さん)」

□そして、最終的にはあのすごい女性に出会えた!
世の中は知らないことだらけなんだなと。東京での上映会には少女ご本人が来られて、元気な声で「わたしいるわよ!」とおっしゃった。だって、ゴーガンを読んだ女よ!

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

□古本に挟まっていた通知表を追って6年間も対象を追い続けて・・最終的に会えなかったらドキュメンタリーとしてどうまとめようと思ってたの?
取材したが結論が出ないこともある。今回はそれはそれで作品としては何とか仕上げられたと思う。企画書もなかなか通らなかった、古本に何かが挟まっていた、なんていう動機はありきたりなので。

□加藤登紀子さんのお話し
引揚者の当事者としていろいろな発信をしてきた。歌で、本で、講演で。2歳8か月の時だから自らは覚えていないが、母親が語ってくれたので引き継がれている。戦争が終わった後の町はそれは大変なことになる。誰もそこまではイメージができていなかった。

引揚者はおおらかでウィットに富んでいる人が多いといわれたりする、そういう人じゃないと生き残れないかったのかもしれない。

それから「歌った人は生き延びられる」歌うとはみつめる力である。生きることを味わうことである。体の辛さやあり方をみつめ、そこから飛び立つときである。歌は時空を超えて歌い継がれる。歌を歌うような生き方とは笑う力、泣く力があることでもある。歌は歌うことを禁止されたりもする。人間は死んでしまうが歌は死なない。

〜これはちょっとものすごい言葉だと思いました。「歌った人は生き延びられる」って本質を突いた言葉ではないか。歌おうという気力を持っていたり、歌おうという言葉を持っていたり、歌おうという人とともにあるという意味なのだろう。歌を歌わないという選択をしたときは死ぬときなのかもしれないな、と感じた。

□ドキュメンタリー作成の過程でのお話し
少女を探すことにたくさんの人が関わり、助けてくれた。それから、放映後は今までにないくらいものすごい数のお便り・反響があった。「みつけて」「しって」「わすれないで」「考え続けて」みなさん、タイムリミットが近づいているという意識がある。通知表には日本人共通の郷愁があるのかもしれない。

〜戦後77年。あまりに長い時間と感じるが、その間、この経験を言えなかった・言わなかった人もたくさんいるんだろうな。それが、このドキュメンタリーをみて、当事者の方々が「私の経験も伝えなくては、伝えたい」という気持ちになったのだろう。自分の人生を振り返りたいのと、もしかしたら後世にどうにか残して、戦争の恐ろしさや人間の怖さを伝えたいという気持ちもあるのかもしれないと思った。

□故郷のお話し
故郷をなくすとはどういうことか。国を出て、侵略した先の地で暮らして、また国に戻るという経験。満州に生まれた人は故郷がない人、になるのか。

〜この「故郷」というのはとても興味のあるキーワードです。実は自分には故郷といわれてしっくりくるところがない。いろいろな土地を転々としているから、そしてそれぞれの土地への想いはあるが、強い郷愁はない。それは哀しいことなのか?これは、キャリア教育でも思っていること・・

□今後、戦争を起こさないために・・
歴史は「こっち」と「あっち」の事情がある。次の世代は「こっち」も「あっち」も両方見つめる力を持たなくてはならない。

会場からの質疑応答も面白かったな!そして、最後に加藤登紀子さんの100万本のバラの話・・ここで・・・私は強烈に思い出したのです、1998年、大学1年生の時、国際学生シンポジウムというイベントに参加したこと。そこで加藤登紀子さんのこの歌を聴いて、ものすごい感動して、平和を創る行動の大切さをかみしめたことを。

http://www.arsvi.com/ts/2001082.htm

そしてそれが原動力となって、海外のスタディツアーにいって、そのスタディツアーでの気づきが大学編入につながったことを。あの時の加藤登紀子さんの美しさ、声のすごさ、獄中結婚の話とか、大学時代からできる平和のつくり方の話。ああ、今の私のターニングポイントの一つにこの方がいらしたのだと・・

それぞれのテーマのお話しも素晴らしかったけど、最後にそれを、その時に着ていらした白い服も鮮明に思い出して、鳥肌が立ちました。大学時代にすげーと思ったことが今につながっていることを思い出し、号泣してしまったのでした・・最後に、加藤登紀子さんにそれを伝えることができて、「やったね」ってこぶしを合わせてくれた。

しばらく関西大学の美しい芝生を観ながらぼうぜんとしていました。キャリア教育にもつながる何かを、まだ何かがわからないけどつかめ見直せた感覚があります。


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