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祖母との別れとあの言葉の意味

やっと文章に綴る気持ちになれたのでPCの前に座っています。

2021年1月に祖母が天国へと旅立ちました。

交通事故に遭ってから4年3ヶ月の入院生活の中、頑張って生きてくれました。

2019年に病院内の夏祭りに一緒に参加したのが祖母に会った最後の日だった気がします。

祭り中にババヘラアイスをなめさせることができたのがいい思い出です。

二口目をあげようとしたら「もういい」って言ってくれました。

認知症が悪化していた祖母の口から発せられる言葉のひとつひとつがとても愛おしかったです。

いつまで私のことを認識していてくれていたかは不明ですが、たまに私の名前を発することがあったとか。

そんな祖母と毎日向き合っていた母。

強い人だなと思います。

弱音をもっと吐いてもいいのに、家族を頼っていいのにと何度思ったことか。

思えば私も人に弱い部分を見せたり、まわりの人に頼るのが苦手です。

なんでも自分でやった方が早いしという気持ちが前に出てきてしまうんです。

これは私も気を付けなければ・・・。


思えばこの4年3ヶ月の間にいろんなことがありました。

・祖母の介護をする母がいる秋田と埼玉を行き来する生活を決意

・仕事では残業が続き、始業時間ギリギリに出社

・定期的に気管支炎になるため食品メーカー退職を決意しフリーターへ

・利き酒選手権(埼玉県)に参加

・日本酒ナビゲーター、サケ・エキスパートの資格取得

・秋田の人、秋田の祭り、秋田の食文化と出会う

・酒蔵開放が趣味の一つに追加

細かく書くともっといろいろありますね。

豪雨のせいで新幹線が動かなくなり、埼玉に戻れなくなり会社を休むとか(笑)

この時は青森経由で帰ったのですが、当時の上司には会社を辞めるまでネタとして笑われていました。

とは言え、業務が忙しい中で秋田に行くために休みを取ることを理解してくれた同僚、そして会社にはとても感謝しています。

今私が恩返しとしてできることは以前働いていた会社の製品を積極的に買うことだと思っています。

無添加だしは秋田味噌との相性もいいですしね。(←ここまで書くとどこにいたか分かってしまうかな(笑))


私が退職するあたりに知ったことでしたが、祖母は社会人時代に役職についていて今でいうキャリアウーマンだったようです。

なんか納得できるよねという話を弟としました。

兄弟の中でも私と弟は小さい頃から祖母に注意されたり怒られたりする機会が多く、祖母=厳しい人というイメージでした。

祖母はちゃんと部下を叱れる上司であったのではないかと思っています。

もしもっと早くこのことを知っていたら聞きたいことがたくさんあったのにな。

人間関係を上手く築くにはどうしたらいいかとか、部下への注意の仕方とか。


実は祖母が事故に遭う何ヶ月か前に電話越しで言われた言葉があります。

「がんばって一生働くんだよ。」

当時この言葉を

「今勤めている会社で定年まで働きなさい。」

と理解した私は「うん」と答えました。

でも実際に祖母が言いたかったのは

「自分が楽しみながら働ける環境を探してそこで長く働きなさい。」

ということだったのかなと。

祖母との別れがくるまでに自分がなにをしたいのかその答えが出ると思っていたけど、現実は違いました。

ある意味それでよかったのかもとも思います。

心の整理がつくまでもう少し時間が欲しいが正直な気持ちです。

無理して何かを始めても楽しいには繋がらないですからね。


ということで、最近の私はずっとやりたかったレジンに挑戦しています。

個人的には日本酒モチーフか秋田県モチーフのかわいいアクセサリーが欲しいんですよね~。

でも渋めのものも捨てがたい。

そういう欲も大事にしながら自分の速度で前に進んでいきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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