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ケアマネの完全な独り言

令和6年度の介護報酬改定。
変更点が多くてこれから対応が大変そうです。

中でも、訪問介護、まさかの基本報酬減算!驚きました。
コロナ禍のヘルパーさんは、評価されなかったんですかね?
私(ケアマネ)はコロナ禍、ヘルパーさんのプロ意識、心意気に何度感謝したか分かりません。
本当に驚きました…

また、ケアマネも課せられる仕事量が年々増えていきます。とにかく複雑で細かい!報酬も見合っていませんよね。
ケアマネ不足って言われて久しいですけど当たり前です。

令和6年度の改定でも、科学的な介護方法に重点が置かれています。
医療との連携、リハビリの強化…大切です。
細かな、かつ、大規模な改定です。

でも!
私、確認させていただきたいのですが、個人の尊厳が守られることが何よりも優先されるということでいいですよね?

介護も医療も、単なる手段であり、ケアの目的は、本人が本人目線でよりよく生き、よりよく死ぬことだと思っています。

介護保険制度は、もともと尊厳を重視していますので、ベースにありますよと言われればそうなのですが、今回の改定を見ても、何かしっくり来ないのです。
本人の意向の尊重、本人の尊厳がベースにあるべきで、それを軽視した、医療や介護は時として、本人を傷つけることになると思います。
最近よく言われる科学的、合理的、効率的とは、周囲が本人を都合よくしたい時に使われることもあると感じます。
本人の考える生き方、死に方を最優先するべきであり、それを軽視した医療、介護は意味がありません。

万が一専門職から押し付けられた方針だと利用者が感じるのであれば、そうしなければと利用者にプレッシャーがかかるかもしれない。本来の自分と乖離した日々に違和感を感じながら生活し、最期を迎えるという残念なことになるかもしれない。

科学的に分析する視点も大切だと思いますが、それに加えて、私は本人の意向、生き方、死への向き合い方など精神面からのアプローチも大切だと思っています。この部分って取り上げられることが少ないように思います。

QOLとQODって本質的に同じでしょ?

本人の意向、生活背景、歴史、性質、感情のゆれ、どのよう生き、最終的にどのような亡くなり方を選びたいのか…
こうしたことは、本人以外に分かる人はいませんし、客観的に「いや、それでは長生きできないですよ」と支援者が言ったところで、本人がそうしたいというのであればそれが正解なのだと思っています。もちろん、人の考えは日々変わる事も踏まえた上で。

言いなりケアマネになれというのではありません。どこまでケアマネは自分の自我を自覚した上で他者の尊厳を守れるか、必要な提案をできるかという事だと思っています。

いくら体が元気でも、精神面が伴っていなければ、長生きしたくなくなるでしょ。体が元気であることによりどういった生き方をしたいか。そしていつか必ず訪れる死というものを受け入れ最期をどう迎えたいか。
ケアマネのアセスメント力が問われます。

よく、死というものをネガティヴに捉える事もありますが…
本来、尊いものだと思っています。
在宅で亡くなられる利用者さんの支援を行った際、亡くなった利用者さんのお顔を拝見して、ありがとうといつも思います。

科学的な分析の上でのケアを否定するつもりもちろんありません。
精神面のサポートとの両輪でのケアが大切だと思っています。

介護報酬改定を毎年見るたびに、ガチガチに固められ、決まりごとが多く、余白が年々無くなっていく感じがしてしまいます。私自身息苦しいなと感じてしまうんですよね。

山のような書類にプレッシャーを感じ、ウンザリする時もあるけど…
でも、私はこの仕事が好きなのです。

もっとシンプルでいいんじゃないの?

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