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理を超越した冨岡義勇①なぜ禰豆子を見逃したのか?その①(縁壱が珠世を見逃した理由)

鬼滅のキーパーソンといえば誰か?と問われたらぼくは真っ先に冨岡義勇が頭に浮かびます。
彼は最初から最後まで炭治郎と禰豆子の“命の恩人”でした。

今回のテーマは「なぜ義勇は禰豆子を見逃したのか」です。

個人的には義勇が禰豆子を見逃したことは自然な事のように思っていたのですが、
ネットで漁ってみると義勇の行動を疑問に思っている人は結構多いみたいです。「鬼(禰豆子)を庇う意味がわからない」とか「殺したら物語が終了するから」などなど“物語のご都合主義”であるという意見もちらほら見受けられます。

1話だけでは義勇のその心情を読み取るのは難しいですし、22巻まで読まないとその理由がわからないようになっている(あくまで個人的な見解)ので違和感を感じるのも仕方ないのですが、

ぼく個人としては

「批判するなら最終話まで読んでからにしてくれ!!!」

と言いたいです(何を偉そうに)

とは言っても義勇の言う「こいつらは何か違うかもしれない」という理由以外どうやっても考察、推測、推察、憶測、妄想の粋を出ません。

今回のnoteもあくまでそれらの類いとして読んでいただければと思います。

さて、「なぜ禰豆子を見逃したのか」について探ることは縁壱が珠世を見逃した理由にも繋がっていると個人的には思っています

というのも、

登場人物の描ききれなかった心情を“オマージュ”や“パラレルワールド”によって浮き彫りにしているのではないか

と思うからです。

正直ぼくもよくわかっていないので書きながら整理していきます。

以下最終巻までネタバレします。


目次
1、義勇が禰豆子を見逃した理由(1話から探る)
  理由1ー1【助けたかったから】
  理由1ー2【こいつらは何か違うかもしれない】

2、円環を成す
  理由2ー1【逆転とパラレルワールド】

3、縁壱はなぜ珠世を見逃したのか
  理由3ー1【珠世にうたの面影を見たから】
  理由3ー2【縁壱は“道”を照らす太陽だから】
  理由3ー3【他人事とは思えなかったから】

4、義勇はなぜ禰豆子を見逃したのか
  理由4ー1【面影を見たから】
  理由4ー2【水の呼吸の使い手だから】
  理由4ー3【他人事とは思えなかったから】
  理由4ー3ー1【過去の自分】
  理由4ー3ー2【封印】

おわり(余談)




1、義勇が禰豆子を見逃した理由(1話から探る)

まず1話のみで義勇の心情を探ってみます。

理由1ー1【助けたかったから】

(義勇はまだ炭治郎の名前を知らないのでここでは炭治郎を少年と呼びます)
義勇が少年と鬼化した妹を発見したのは雪の降っている昼間(朝?)でした。
(画像1話より)

炭治郎の家族が死んでしまったのは間違いなく鬼のせいなのですが、義勇は「俺があと半日早く来ていれば」と、一瞬己を責めます。

しかし鬼を前にして罪悪感にさいなまれている時間はありません。
義勇は「時を巻いて戻す術はない」と“今どうするべきか”に気持ちを切り替えます。めっちゃ冷静沈着。判断が早い。

ですが、罪悪感によって義勇の中に「少年と妹を助けてやりたい」という気持ちが少なからず芽生えたのではないか、とも思えます。
そうでなければ義勇が禰豆子を炭治郎から奪った時点で禰豆子の頸を落としていたはずです。


理由1ー2【こいつらは何か違うかもしれない】

「こいつらは何か違うかもしれない」
禰豆子を見逃した理由について明確に語ったのはこの一点のみです。
(画像1話より)

さっきまで「妹の頸も刎ねる」と言っていたのに、
手のひらを返したように「何か違うかも」という、かなり曖昧な直感で鬼を野放しにしているわけです。
言っていることとやっていることが真逆ですね。

確かに義勇のこの矛盾と曖昧さが「禰豆子を見逃すのはおかしい」と感じさせる要因のひとつだと思います。
炭治郎も混乱したと思います。

(「何か違う」の「何か」がなんなのか、についてはふわふわしすぎてよくわからないのでとばします)



2、円環を成す

理由2ー1【逆転とパラレルワールド】

前回のnoteで少しだけ書きましたが、鬼滅の刃は“物語”がぐるぐると回っています。
鬼滅の刃では“物語”を縁壱の“日の呼吸”になぞらえており、
回ったことによって“13個め”の物語が生まれます。
無惨との対峙で縁壱の剣技(13個めの型)が完成した事がその証明ではないかと思っています。(縁壱の鬼殺の物語は一度そこで終了するため)

この“13個め”とは「逆転」ではないかと個人的には推察しています。義勇が「妹の頸も刎ねる」と言っていたのに「見逃す」という真逆なことをしているのは「逆転」が起こっているからではないか、と。

そして“1話”は“1話”の中だけで円環を成し“13個め”まで凝縮された物語になっています。(この円環ついては考察中で正直まだよくわからないのですが…)(↓22巻192話より)

このぐるぐると回る物語の“基盤”となっているのが日の呼吸の使い手である“縁壱”です。

というのも鬼滅の刃に登場する、”呼吸を使う鬼殺隊員たち”はみんな“縁壱と同じ人生を歩んでいるのではないか”と思わせる場面が多々あるからです。

槇寿郎の言葉を借りるなら(鬼のいる世界では)日の呼吸の派生である火や水や風も全て縁壱の「後追い(猿真似)に過ぎない)」のです(…言い方が酷い)

(↑8巻68話)

「珠世(鬼)を見逃す」という縁壱の物語の“後追い”となっているのが、「禰豆子(鬼)を見逃す」という物語です。

つまり187話(縁壱)と1話(義勇)はリンクしており、ある種のオマージュであり、パラレルワールド(後追い)であると言って良いと思います
義勇は縁壱であり、禰豆子は珠世ということになります。(同一人物という意味ではなく、“配置された立ち位置(ポジション)が同じ”という意味で)

縁壱が珠世を見逃した理由がわかれば、義勇が禰豆子を見逃した理由がわかるのではないか、と思うのです。

3、縁壱はなぜ珠世を見逃したのか

*ここからは妄想がかなり混じりますがよろしくお付き合いください。

縁壱の前にちょっと義勇のことを振り返らせてください。
鬼滅の刃では1話のオマージュ(パラレルワールド)が何度も繰り返されています。
1話のオマージュは那田蜘蛛山編でも起こっており、1話で禰豆子(鬼)を見逃した義勇は那田蜘蛛山編で再び禰豆子(鬼)を見逃します。
その中で気になるのがこのシーンです。
(5巻43話)

義勇は炭治郎と会話していたにも関わらず、2年前(1話)に出会った少年であることに気づかず、むしろ禰豆子を見た後でやっと2年前に出会った少年だと気づいた、という感じがします。

義勇…お前もしかして炭治郎のこと忘れてたのか…?

と突っ込みたくなるシーンですね…。

錆兎が「やっと男の顔になったな」と言っているので、炭治郎の印象が変わっていて気づかなかった、という可能性もありますが。
ここで大切なのは禰豆子を見たということです。

理由3ー1【珠世にうたの面影を見たから】

さて縁壱の話に戻ります。
注目すべきは見逃してもらった鬼の禰豆子と同じ立ち位置となる“珠世”の存在です。

21巻、縁壱の回想では珠世とはじめて出会ったときと、うたとはじめて出会ったときの縁壱の“視点”が同じなのです。
↓まず珠世の輝いた瞳です。(21巻187話)

うたの瞳も輝いています。黒曜石はきらきら輝くらしいです。
(21巻186話)

↓そして無惨が逃げた後、絶望した珠世は無惨の名前を口にして、呪いの発動によって、自ら死のうとしていたんだと思います。
しかし珠世は死ねませんでした。(21巻187話)

↓縁壱の回想ではうたは「一人きりになって寂しい」としか言っていませんが、うたの家族はみんな死んでしまい、深く絶望していたと思います。
「家族みんなと一緒に死んでしまいたかった」「なぜ私は死なかったのか?」という気持ちはあったと思います。
(21巻186話)

縁壱は“きらきら輝く瞳”、“絶望”、“生き延びてしまった”という、初めてうたと出会ったときと同じ状態(状態?)の珠世を見てうたのことを思い出し、面影を重ねたのではないか、と思います。

縁壱が珠世に心を寄せていたということは無いです。
これについては吾峠先生が21巻の戦国コソコソ話②で「(縁壱が)生涯で愛した女性はうた一人」と補足しています。

理由3ー2【縁壱は“道”を照らす太陽だから】

縁壱が兄である巌勝とはじめて喋ったのは7歳のときでした。
その最初の言葉が「兄上の夢はこの国で一番強い侍になることですか?」でした。
(画像以下3点20巻177話より)

縁壱は巌勝が「どれ程打ち込んでも一本取れなかった父の輩下」に一瞬で4発叩き込み、失神させてしまうほど剣の才に優れていました。

巌勝は侍である父の跡を継いで「剣の道を極めたい」という夢がありました。しかし縁壱の剣の才能を目の当たりにし、家を継ぐのは縁壱だ、と一度夢を諦めます。

しかし縁壱は継国家からいなくなり、消息不明となったため、巌勝の「侍になる」という夢が叶います。

そして家を飛び出した先で縁壱が出会ったのがうたです。
(↓画像以下2点21巻186話より)

うたは家族を喪って悲しんでいましたが、新しい家族(おたまじゃくし)を迎えて、立ち直ろうとしていました
きっと縁壱はうたの“前を向こうとする気持ち”に気づいたからこそ、一緒に家へ帰ろう、と言ったのだと思います。

巌勝やうたに対する縁壱の態度から察するに、縁壱は目の前の人が持っている「夢」を理解し、その手助けをしようとする優しい人なのだと思います。

これは珠世に対してもそうです。
珠世は無惨の懐に入り込むことでずっと無惨を殺す機会をうかがっていました。無惨を殺せなかった珠世の様子を見て珠世の「夢」を理解したのだと思います。
(21巻187話)

縁壱は死のうとしていた珠世に、無惨を倒す手助けをするよう頼むことによって珠世に再び「夢」を提示しました。(夢という表現が適切かどうかは不明)

珠世のその後については「縁壱の言葉を心の中で何度も反芻し、その後どれだけ苦しくても決して人を襲いませんでした」と21巻の戦国コソコソ話で明かされています。

縁壱はその人の行くべき道を照らす太陽のような存在として描かれています。

“呼吸”の適正はその人の性格に由来していると言えます。


理由3ー3【他人事とは思えなかったから

(珠世にうたの面影を見たから、という理由と似ていますがちょっと違います)

双子の弟として生まれた縁壱は“忌み子”として本来殺されていた筈でしたが、母である朱乃によって生き延びています。

(縁壱が受けてきた不当な扱いについては20巻177話ご参照)

縁壱は父によって3畳の部屋に入れられ、まるで「存在してはいけない生き物」のように扱われていました。

縁壱は父の意向に反発すること無くそれを受け入れていましたが、実際縁壱の孤独や苦しみは尋常ではなかったと思います。

朱乃も巌勝も縁壱を気にかけますが、常に一緒にいられるわけではなかったようです。

縁壱は生き延びたものの、いつも「ひとりぼっち」だと感じていたかもしれません。
この家庭環境の反動もあってか、縁壱の夢は「家族と静かに暮らすこと」でした。
(21巻186話)

縁壱がうたに「俺が一緒に帰ろう」と言ったのは、家族を喪ってたった一人生き延び、「ひとりぼっち」になってしまったうたの絶望が他人事には思えなかったから、というのも理由のひとつに挙げられると個人的には思っています。

そして珠世も家族を喪ってたった一人生き延び、「ひとりぼっち」になってしまったという点はうたと縁壱とも同じです。
(珠世が息子の成長を見届けたいがために鬼になったことを縁壱に話したのかは不明)

無惨を殺すことを決意したのに止めを刺すことが出来なかった絶望を縁壱と珠世は同時に体験しており、
同じ志を持ち、同じ絶望を味わった珠世を斬ろうとは思えなかったと思います。


4、義勇はなぜ禰豆子を見逃したのか

さて本題に戻ります。
槇寿郎がいうように「日の呼吸(縁壱)の後追いにすぎない」ということを前提に1話の義勇を比較します。


理由4ー1【面影を見たから】
縁壱は珠世を見てうたの面影を重ねていたと思われるのですが、義勇は禰豆子を見て誰を思い出したのでしょうか?

皆さん既にお気づきかもしれませんが、義勇は炭治郎を庇う禰豆子を見て、自分を守って死んだ姉の蔦子を思い出したのではないかと思われます。

禰豆子は炭治郎より背丈が大きくなっているので禰豆子が妹というよりは“姉”に見えたと思います。
(↑↓画像1話より)

4ー3でさらに掘り下げます。


理由4ー2【水の呼吸の使い手だから】

義勇は水の呼吸の使い手であって、日の呼吸の使い手ではありません。
なので縁壱のように誰かの心を明るく照らすキャラではないと思います。

というか1話で義勇は炭治郎に対して心を照らすような言葉は一切掛けておらず、終始冷水ぶっかけてます

この消火放水量は“滝”レベルじゃないですか(つらい)

さすがの炭治郎もこの時ばかりは心の炎が鎮火したと思います(後に復活しますが)

とにかく1話の義勇は炭治郎が何を言っても否定しかしていません。(↓1話)

しかし冷静な受け答えはさすが“水の呼吸”という感じがします。
それに義勇は「生殺与奪の権~」のくだりでかなり感情的になりましたが、禰豆子を殺すことはしませんでした(肩は刺しましたけど!)

義勇は「鬼は親でも兄弟でも殺して喰べる」「今までそういう場面を山ほど見てきた」と語っており、だからこそ「妹の頸も刎ねる」と炭治郎に宣言していたわけですが、
最終的に義勇は「見逃す」という選択肢を取りました

(↑3巻24話)
この思考の柔軟性は“水の呼吸”ならではかもしれません。

理由4ー3【他人事とは思えなかったから】

1話で義勇は炭治郎に対して烈火のごとく怒っています(生殺与奪の権~の場面)

初見だとキャラクターの性格を全く知らないので、“冨岡義勇が怒っている”ことになんの疑いも生まれません。

が、鬼滅を読み進めていくと冨岡義勇という男は冷静で感情を表に出さない人物であることがわかり、1話で激怒していた義勇がまるで別人のように思えます。

先程の理由4ー2では”水の呼吸”の使い手は冷静で柔軟であると書かせていただきましたが、烈火のように怒る義勇は全然水の呼吸の使い手っぽくないです。
突然”怒りだすという意味では“霹靂”のイメージもあり、「雷」っぽくもあります。

(冨岡義勇は本来水の呼吸に適正があったのか?という疑問も生まれますが、今回はその疑問は置いておいて)

義勇が珍しく冷静さを失った理由は“過去”にあると思うのです。

理由4ー3ー1【過去の自分】

前述の通り、義勇は禰豆子と蔦子を重ねていたと推察しました。
禰豆子が蔦子なら、炭治郎は義勇ということになります。

義勇は禰豆子と炭治郎を見ながら、姉が祝言を挙げる前日の6年前(?)を思い出したのではないか、と思われます。
義勇はうずくまる炭治郎を見て、過去の自分を見ているような気持ちになったのではないでしょうか。

義勇の炭治郎への怒りっぷりをみる限り、過去の義勇は姉の蔦子に守ってもらうだけで、うずくまったまま鬼に立ち向かわなかったと推察出来ます(というか立ち向かっていたら義勇は既に鬼に殺されている)

義勇は“弱者”だった過去の自分の不甲斐なさからくる苛立ちを炭治郎に向けたのだと思います。

理由4ー3ー2【封印】

過去義勇は姉の蔦子に守られ生き延び、最終選別でも錆兎に守られて生き延びています。

義勇は「自分が死ねば良かった」「錆兎なら(痣が)出たかもしれない」と、自分が生き延びてしまったことに罪悪感を感じています。
そして義勇は「思い出すと悲しすぎて何もできなくなったから」と、記憶と感情を封印しました

先程“禰豆子に蔦子の面影を見たから”、“過去の自分のようだったから”と書きましたが、「記憶と感情を封印していた」ことを加味すると、
無意識に認識した」と言った方が近いかもしれません。
(人間は意識しなくても無意識のうちに物事を認識する能力があるらしい)

正直義勇が竈門兄妹に過去の自分を重ねていたのかは不明ですが、

赤の他人に命まで懸けた(禰豆子が人を喰ったら鱗滝と義勇は切腹)のはやはり他人事には思えなかったからだと思うのですが皆さんいかがですか?(いかがですかと言われても)





おわり(余談)

最初の方にも書きましたが、今回は「登場人物の描ききれなかった心情を“オマージュ”や“パラレルワールド”によって浮き彫りにしているのではないか」という視点から「禰豆子を見逃した理由」について掘り下げました。
(重ねて言っておきますが“縁壱イコール義勇”ではなく立ち位置が似ているということ)

鬼滅を「円環」として考えるとかなり統一性のある物語なので
“ご都合主義”だなんてことはないぞ!と強く言いたいです。はい。

縁壱と義勇は雰囲気も似てますよね。
あと20巻表紙の縁壱と5巻表紙の義勇の体勢は時間軸で繋がっていると個人的には思っています。
5巻の表紙の義勇は「居合い」の体勢です。居合いは座した状態から刀を抜くので、抜刀すればそのまま縁壱の体勢になります。

ぼくは縁壱をかなり贔屓目に見ているので(縁壱も推し)縁壱を中心にした考察になってしまっているような気がしないでもない気がするのですがいかがだったでしょうか(文法崩壊)
オマージュやパラレルワールドという表現が適切なのかいまいちよくわからないのですがニュアンスはお伝えできたかなぁと思います。後で修正するかもしれません。

「鬼殺隊員の人生は“縁壱のパラレルワールド(後追い)”である」としてしまうと、義勇個人としての人生をないがしろにしているように思われるかもしれませんが、炭治郎に激怒したり、蔦子や錆兎に負い目を感じるなど義勇には義勇だけの物語がちゃんとあることは裏紙もちゃんと承知しております…。炭彦も言ってます…。
(23巻205話)

(これよくよく見たら義勇が中心に据えられているな…)

書きながら整理していましたが「禰豆子を見逃した理由は義勇にしかわからないな」というのが今の率直な感想です。義勇ミステリアス。

義勇が禰豆子を見逃した理由として考えられることはまだまだありますが、長くなりすぎてしまうので今回は「その①」とさせていただきました。






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