ブラウンバニーを観た
映画『ブラウンバニー』を観た。
この映画は『さよなら絵梨』の中でタイトルだけ登場していて気になっていたし、GyaO!で無料配信されていたので観てみた。無料配信って本当にありがたいけどちゃんと映画業界にお金は還元していかないとな…と思う。
(いろいろあってうだうだしているうちにもう無料配信が終わってしまった…)
あと家族や友達、恋人と一緒に観るのは絶対にやめておいた方がいいです。
映画を観ての主観的な感想、妄想など。
ストーリーや登場人物の説明などは省いてます。
『ブラウンバニー』を観ていない人は読まないで下さい。
以下ネタバレあり。
◯全体の感想
事前知識としてあったのは『ブラウンバニー』がかなりの問題作だと話題になったということ(何が問題かは知らなかったがR指定だったので残虐表現あるいは性表現だろうと思ってはいたが)、
それから主人公バドの恋人は既に死んでいる、
ということを知った上で映画を見た。恋人が既に死んでいる、というのは配信の映画紹介に書かれていた。
けど観たあとに、事前知識ゼロの状態で観ればよかったとものすごい後悔した。
恋人が既に死んでいるっていう設定紹介がものすごい重大なネタバレだったから。
というか、恋人の死こそがこの映画のすべてのような気がするんだけど、
それを映画紹介で何の気なしに盛大にバラすその根性、映画に対する配慮も敬意もクソもない。
この映画紹介を書いた人はたぶん『ブラウンバニー』を観ていないんだろう。
あるいは
この映画は確かに、何がどうなってんだか意味不明なまま進むから、視聴者が混乱しないように書いたのかもしれないけど、
意味不明さがこの映画の醍醐味でもあるのにそれを……………………それを………………………………………………。
まぁ、恋人が既に死んでいる、ということを知っていてもぼくはずっと混乱していたけど。
とにかくもう、今後一切映画紹介の文章は絶対に読まずに映画を見ようと思った。
映画の感想としてはとても良かった。バドのデイジー(恋人)への愛ゆえにデイジーを憎悪し、死を拒み、デイジーすら拒もうとした。デイジーから離れたい気持ちと、どうしても離れられない気持ち、デイジーへの想いが強ければ強いほど愛も憎悪も大きかったんだろう。
自分でも何をやっているのかわからないようなバドの行動はとても悲しかった。
バドの行動はただただ意味がわからなかったけど、
このバドの意味のわからなさは
そのままバドの心そのものだったのかもしれないし、
バドの心情を視聴者がそのまま追体験してしまう、という意味で凄い映画だったと思う。それだけじゃなくデイジーと過ごした幸せな時間とか、とにかくデイジーに対するあらゆる感情を視聴者に追体験させた。
夢(?)から覚めた後の余韻もすごかった。
個人的にこの映画は面白かったし感動した。
さて………問題とされたシーンについては確かに、やりすぎでは?、と思った。
“映画としてバドを表現した”という意味では必要な描写だったんだろうと個人的には思う。
ただどうしても映画は生身の人間が演じる訳なので、デイジーやその他バドとセクシャルなシーンを撮った女優陣のことを考えると怒りが沸いてくるのもとてもよくわかる。
いかに映画が“フィクション”と言えど、それを演じるのは現実の人間だから、映画はそういうところがすごく難しいと思った。
たまにドラマで話の流れと全く関係がないキスシーンがあると、「映像にインパクトを持たせたいがために演者にやらせてんじゃねーよ!!!」と憤慨することがあるのだが、
話の流れ的に必要ならやらせても良いのかと問われるとそれはそれでどうなんだろう、と改めて考えたりした。
“ブラウンバニー”は話の流れ的にどれも必要な表現ではあったとは思うけど、正しい、正しくないで聞かれると、わからない。
◯細かい感想、メモ
この映画はバイクレースの映像から始まる。注意深く一人のレーサーを追っているから事故でも起こるんじゃないかとハラハラするけどハプニングなくレースは終わる。このレースの映像は実際3分くらいだったけど20分くらい観ているような気持ちだった。なんだか長かったし疲れた。バドもかなり疲れていた。
バドはガソリンスタンドに立ち寄る。そこの女の子、ヴァイオレットがとても可愛い。
カメラアングルが良いんだろうか、
座っているヴァイオレットが映っているシーンがものすごく良い。ここでみんなヴァイオレットに心を持っていかれると思う。可愛い。
バドがヴァイオレットを見ているときの瞳が怖いと思った。狂人の目みたいだった。というか実際彼は狂人だった。バドはカリフォルニアにヴァイオレットを連れていきたくて準備をさせる。
で、準備させといてバドはヴァイオレットが戻る前に車を出発させた。彼はひとりで出発してしまった。
お、おい待てコラ、なんでヴァイオレットおいて出発してるの?どういうこと???
行きたくなかった彼女に行く決断をさせて、準備までさせたのに結局置き去りにした。何も言わずに。
酷い、という感情より先に混乱で呆然とした。なんなんだコイツ!
ここ、2回目に観たときは可笑しくて笑った。クソ野郎だ。
そもそも会ったばかりの女の子に当たり前のようにキスをし、カリフォルニアに来て欲しいと懇願する時点でマトモじゃない。ただしかしヴァイオレットが可愛いかったからしょうがないのかもしれない。ヴァイオレットは何も悪くない。
バトは無茶苦茶な奴だけど、それでも映画を見続けられたのはバトがずっと悲しそうだったからだと思う。
悲しみを背負ってりゃなにやっても良いってわけじゃないけど、どうなるんだろう、コイツは何がしたいんだろうと気になった。
あと映像が静かで好き。
足音とか、登場人物を引き立たせるための音が強調されたり音楽が入ったりするけど、この映画はそのままの音、というんだろうか、さすがに運転中の音は抑えられているかもしれないけど撮った時の音をそのまま使っている感じで。
特にバイオレットが座っている映像は個人的にすごく好きだった。バイオレットの素敵さが際立ってすごく良かった。
バドはデイジーの実家を訪ねる。訪ねた理由はわからない。
デイジーのお母さんの名前は“レモン”と言う。
バドとレモンの話が噛み合ってなくてここでもわけがわからない。
リリーとローズに対する態度も訳がわからなかった。
デイジーの家に行ったのも訳がわからなかった。ぼくはデイジーが死んでいるのを知っていて観ていたから、「そこは空き家よ」の台詞でやっとバドがデイジーの死を受け入れていなかったんだと気づいた。
だからデイジーがホテルに突然現れたとき、すごく驚いた。っていうか「恋人のデイジーは既に死んでいる(ネタバレ)」と知っていても驚きがあるから逆に凄いな……。
バトとデイジーの会話はとにかく悲しくて辛かった。
◯全体的な感想その2
この映画はすごく不思議で、登場人物の感情がわかりずらい。
デイジーがバドの幻覚だったのならヴァイオレットやリリー、ローズ、レモンとの会話も幻覚だったということだろうか。レモンが「あなた(バド)のことは知らない」と言っていたし、どこからが現実なのか全くわからない。
デイジーはもうこの世に存在しないから、バドの願望がデイジーにそう言わせているのか、あるいはデイジーが幽霊になってバドに想いを伝えに来たのか、デイジーの本心もわからない。デイジーが酒を飲み、ドラッグを飲んだ本当の理由もわからない。
しかしわからないからこそ視聴者は色んなことに想いを巡らせるし想像力を掻き立てる、という意味ではすごいと思う。
バドのデイジーへの愛の深さが、そして悲しみの深さがリアルに伝わってくる気がした。
ネットで調べたら“レモン”は大麻の隠語だと出てきた。さらに“チョコレート”は覚醒剤の隠語だとか。(ぼくは“レモン”という名前が一般的なのかどうか調べたかっただけで、隠語を調べたかったわけじゃなかったのだが)デイジーが言っていた「チョコレートのウサギを食べ過ぎて」と言っていたのはそういうことなのかと思った。ブラウンバニーとはデイジーのことであり、幻覚(デイジーが生きていると思い込んでいる)の中にいるバドのことなのだ。
ウサギが若いままなのはバドが過去を生きているからではないだろうか。バドが花の名前の女性を次々口説いては離れていったのはデイジーの面影を追っていたからかもしれない。
デイジーがドラッグに手を出した理由についてあえて考えてみる、が全くわからない。
ただバドもデイジーも“ブラウンバニー”だったとしたなら、バドを深く愛したがゆえにドラッグに手を出してしまったということなんだろう。
本当に不思議なもので、“大好きだから大嫌い”という相反する感情は人の心に確かに存在するし、
同時に存在するからこそほんの少しの傾きで“大嫌い”に転じてしまうという、
ぼくらが気づいていそうで実は気づきにくい(まさにこの映画の登場人物の感情のわからなさのような)微妙な感情をクローズアップしていると感じたし、
バドがデイジーを遠ざけようとすることや、現実から目を背けようとすること、これらは本来“負の感情”であるはずなのに、その負の心の動きが美しいものだと感じる。だってバドの“大嫌い”は“大好き”と同義だったから。
大嫌い、という負の感情がこれほどまでに美しいものだったんだと感動する映画だった。
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