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映画「君たちはどう生きるか」感想と考察

「君たちはどう生きるか」を見た感想。

100%ネタバレしてるので観ていない方はこの感想を読まないでね。

前置き、あらすじ、は飛ばします。
気分を害したらごめんなさい。

それでは感想↓↓↓






正直、面白いか?面白くないか?と聞かれたら
「うーん」と唸ってしまう。
ぼくは宮崎駿監督(以下、監督)のアニメとか映画は全部面白いと思って生きてきましたし、かなり贔屓目にしか観れないのですが、
今回はこれを100%面白かった!と言い切る事ができるかどうかと聞かれると「うーん」という感じでした(察して)

今回は色々考えながら見てしまったので無心でもう一回見てみたいと思いました。
とにかくテーマが多すぎる気がする。情報量が多すぎてついて行くのに必死だったという感じ、というか追いつけなかった。
さっきネットをあさったら、監督も「私自身、訳がわからない」とおっしゃっていたようで、なるほど、と思いました。今までのジブリって最終的に‘答え’みたいなものが明確だった気がするんですが、今回はそういう意図で作ってないんだなと。完全に視聴者に問いが投げられたまま終わる。タイトイルの「君たちはどう生きるか」のように‘君たちはどう思った?’と思わせて終わるという意味では完璧とも思える終わりだなと思いました。最後を良いイメージと感じるか、悪いイメージで感じるかはあなたの判断に任せますし、監督も考えている途中です、というスタンスかな、と想像しました。
個人的にはあまり良いイメージではなかったですね。
真人がナツコを「お母さん」と受け入れた理由が…うーん、もう一回みたいな…。

「君たちはどう生きるか」、以外にもこんなテーマがあるのかなって思いました。
(あと鬼滅の刃とチェンソーマンをものすごく意識しているんじゃないかなって思いました(す~~ぐそういうこと言う)呪術廻戦はまだ読んだことないんですが、読んだことあったらそれも意識してる、とかって思ったのかな…。)

1,古事記
石の世界にナツコが行ってしまい、それを連れ戻そうとするのは古事記っぽいなと思いました。
「石=意思」とも思えて天の岩宿の石の扉って「意思を閉じる」っていう解釈もあるのか~ほわ~って感動。古事記は神話だし、ある意味フィクションだと個人的には思っています。そのフィクションの世界が最後崩れ落ちたのは現実と神話(宗教)はちゃんと区別しようねっていう、
…こういうこと言うと炎上しそうなので言いたくないんだけど旧統○教○とかタイムリーだなって思いました。だってお金出さないと先祖が地獄に行くだなんて、アオサギが真人に「お母さんが待ってる」って煽ってるのと同じじゃないですか。旧統○教○のただの人間が先祖の魂をどうこう出来るわけないじゃないですか。怖いのでこのくらいにしとこう…。

2,監督の自伝
監督のまじの本気で今回が(も)最後!という気持ちが伝わってきた気がする。集大成感がハンパない。これまでのジブリ映画がいろんなところにちりばめられていた。本当にさいごっぽいので、私たちはこれから宮崎駿のいない世界でどうやって生きていったらいいのか…。我々の心を代弁するようなタイトルですね…。
あと監督自身のお父さんが戦闘機を作っている会社だったという話はとても有名。
真人の場合、敵方の戦闘機によってお母さんがいる病院が焼けてしまったというのは本当に皮肉だと思う。けど真人はお父さんの会社で作っているキャノピーを「美しい」と感じている。
このあと書くけど、この真人の体験を、どこまでが監督の投影で、どこまでを‘真人というフィクション’と読み取るかはとても重要だと思う。


3,戦争
テーマが重すぎてつらい。
空から降ってきたナゾの塔は核が被弾した原爆ドームでもあるのかなと思いました。それを虚構で覆った叔父さん、すんんんんんんごい皮肉。
鳥=戦闘機のようでつらかった。けど真人と共に現実に戻った鳥たちがかわいい小鳥たちに戻ったのは良かった。今は戦闘機ではなく飛行機が飛んでいる。再び特攻隊が飛ぶような世界にしてはいけないししたくないと強く思った。

4,生と死、嘘、フィクションとは
フィクションとは、嘘を本当であるかのように語ること、みたいなことを何かの本で読んだことがある。
アオサギは「お母さんが待ってる」といって真人を塔の中、死と虚構の世界に引きずり込もうとする。キリコの言った「嘘つきが言うことは全て嘘というのは本当か?」(うろ覚えなのでまちがっているかもしれない)という問いを真人とアオサギに投げ掛けている。嘘つきなアオサギが言った「お母さんが待っている」という言葉は嘘か?本当か?確かにお母さんは居た。けどそれは過去のお母さんだった。
真人は「この傷は悪意のしるし」と言った。この言葉は‘本当’だと我々は受け取るだろう。だけどぼくは納得できない。これまでのジブリ映画はかなり言霊を大事にしていて、言葉こそがストーリーの核になっていたけど、
今回の作品はその逆をテーマにしているのではないかと思う。キリコの言った「嘘つきが言うことは全て嘘というのは本当か?」(つまりこの映画自体)、
つまり真人が言ったことすら「本当か?」と疑う必要があるんじゃないかと。疑う、というと言い方は悪いけど、さらに言うと「視聴者自身が考える(監督自身も考える)」ことがテーマになっているとぼくは感じたので、「この傷は悪意のしるし」というのが本当かどうかは視聴者が考えることなんじゃないかなと思いました。
真人が自傷行為をしたのはナツコへの当て付けでもあったのかもしれないけど、
真人がアオサギを必死に殺そうとしているのを鑑みるに、本気で自殺を考えていたんじゃないかとも思えるんですよね。
その逆で、この時代背景だと
真人=アオサギ=兵隊とするなら(兵隊=嘘つきでは断じてない)生きるためにわざと傷を負った、戦わず生き延びようとした罪悪感の暗喩とも思えるし、真人はお母さんを助けられなかったのでその罪悪感とも思えるし、、、。なにがいいたいのかわからなくなってきたけど、傷については個人的にはそんなことを思いました。
うん、逆に「悪意のしるし」が真人にとっての真実だとするなら、虚構の世界だとしても、むしろ虚構の中に浸るからこそ心の中の真実を見つけられることがある、っていう、フィクションの希望も感じられて解釈の幅が広すぎる。
どこまでが真実で、どこまでが虚構か、は常に視聴者が考えなければいけないと突きつける作品だと思います。


続く。










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