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36歳、オハイオ、人生初のフルマラソン【2/3】

そして始まったフルマラソン。高揚感の中で、私は多くのランナーたちと共に街の中を走ってゆく。

早朝の街を駆ける

上司からは、序盤でペースを上げ過ぎるなと何度も注意されていた。
私も、序盤から無理をするつもりはなかった。しかしペースを抑えるにしても、どの程度抑えれば良いのかが分からない。
序盤で力をセーブしたところで、終盤で結局バテてしまったとしたら、それは“抑え損”ではないのか?
そのように考えた私は、いつも通りのペースで走ることに決めた。普段のペースで走り続けることができれば、4時間ほどでゴールできるはずなのだ。まあ、ことはそんなに上手くは運ばないのだけれど。

コースは一度、オハイオ川を渡りケンタッキー州コヴィントンを抜ける。そして再び橋を渡って、シンシナティの街へと戻ってゆく。
夜明け前の街道が、徐々に明るくなってきた。
淡い紫と水色の混じった空。"へ"の字型に編隊を成したグースの群れが、北から南へと飛び去ってゆく。

コース沿いからは、多くの人々が声援を送ってくれていた。応援メッセージを書いた厚紙やプラカードを掲げる人。家族や友人の顔を大写しにしたパネルを掲げる人。
各区間に配置された給水ポイントでは、小さな紙コップに注がれた水やスポーツドリンクを手にした人たちが一列に並んで待っていてくれる。小さな子どもや少年少女の姿もあった。しかしレースはまだ序盤。ペースを落としたり、必要以上の水分で身体を重くするのは避けたい。水分補給を最小限に留めて、走ること、呼吸を整えることに集中する。

沿道からの声援と、多くの並走者たちの息遣いと足音。私もその一部となって、朝を迎えつつある街を駆け抜けてゆく。
高架道路からは、明け方の街を遠くまで見通せた。
丘の上に位置する庭園沿いの道路からは、眼下に流れるオハイオ川を一望することができた。州を隔てる穏やかな流れは彼方から来て、曲がりくねって東西を横切り、彼方へと消えてゆく。
前方で折れ曲がったコースが、向かいの丘の傾斜へと続いている。既にそこにも、途切れなく連なる選手の列が見えていた。

既に10kmほど走っている。つまり、もう4分の1ほどを走ってしまったのだ。シンシナティの街から郊外にかけて、多くの声援を受けながら我が物顔で走ることのできるこの時間も、いずれ終わってしまう。
そんなある種の感傷に浸る余裕さえ、この時点ではあった。
しかしその余裕も、さらに10km走る頃には打ち砕かれることになる。

レース中盤、もう走れない

アメリカにおける距離の単位には、メートル法は採用されていない。日常で用いる長さの単位として、インチ、フィート、マイルが存在し、何故こんな訳の分からないことをやっているのかとつくづく疑問である。我々には42.195kmとして知られるフルマラソンの距離も、この地では26.2マイルと記されている。1マイルは約1.6kmだ。
レースでは、1マイルごとに現在の距離を示すフラグが立てられている。
そのフラグが”13”を示す頃、走り始めてから2時間が経過していた。4時間で全てを走破するにはやや遅いが、まずまずのペースだった。

しかしこの辺りから、身体に異変を感じ始めた。足が動かせない。
速度を緩め、立ち止まる。しかしダメだ、進まなければならない。なんとか歩く。意を決して再び走り出すのだが、5分も続かないうちに立ち止まってしまう。もはや、ペースが保てなくなっていた。

辺りは、木立に囲まれた住宅街に差し掛かっていた。庭に出た住民たちが、ランナーを応援してくれている。ある家では豚を象ったキラキラとした風船をいくつも浮かべ、装飾を施したアーチを飾っていた。区画として、かなり気合いを入れている印象である。
走り続けることが困難となった状況ではあったが、こんなところでノコノコと歩いていては格好がつかない。私は必死で走り、そして人目が途切れた途端に再び歩くという情けないことを続けていた。
しかし、住宅街を抜けた辺りから、それもままならなくなってくる。

足が重い。
寒い。
手足にはジンジンと痺れたような感覚。
そして猛烈に眠い。まぶたが勝手に落ちようとする。

なんだこれは?まだ半分しか走っていないぞ?こんな調子で、残り半分を走り続けれなければならないのか?そんなのどう考えても無理だ。
最近読んだ「BRAIN DRIVEN(ブレイン・ドリヴン)」(著・青砥瑞人氏)には、ある程度の苦痛が続いた場合にもたらされる幸福感・ランナーズハイについての説明があった。
心理的な安全性を確保した状態を前提として、かつ取り除けない苦痛が継続する場合、脳が大量の快楽物質を放出するのだ。
つまりこの状態もしばらく続けば、ランナーズ・ハイの状態に突入することができるのではないか。
いやしかし、走れていないのだ。走り続けることができないのに、ランナーズ・ハイも何もないのではないか?
そもそも私のランナーズ・ハイなど、序盤で使い果たされてしまっているのではないか?
そんなことを考えながら、私は再び立ち止まる。
走れない。歩くことさえ辛い。手足は痺れ、感覚を失いつつある。寒い。眠い。とにかく、少し休んで体力を回復させなければ。私はその場にしゃがみこみ、何とか呼吸を整えようとする。

その時、自転車に乗って大会を巡回していると思しき青年(胸に”BIKE STAFF”と書かれている)が、私に声をかけた。
「Are you alright?(大丈夫か)」
まずい、ここで大丈夫ではないと判断されるわけにはいかない。医療班の世話になどなりたくない。私は慌てて立ち上がり、平静を装い「Yes, I’m alright」と応じる。するとバイクスタッフの青年は私の顔色から何かを察したのか、去り際に言った。
「You should have enough water.(ちゃんと水分を摂ったほうがいい)」
そして私は、唖然とする。言われてようやく、症状の正体に気がついた。

ああこれ、脱水症状じゃん。

これまでのジムでの練習でだって、2時間も走ったあとは必ずかなりの水分を補給していたのだ。しかし、レース本番という高揚感からか不思議と喉の渇きを感じなかった私は、ペースがどうだの水分の重量がどうだのと給水をおろそかにしていた。走る中で、相当量の汗をかいていたにも関わらず。
症状の正体が分かったことで、少しだけ力が戻って来る。走ってはのろのろと歩くことを繰り返し、私は次の給水ポイントを目指した。

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