見出し画像

36歳、オハイオ、人生初のフルマラソン【3/3】

もう走れないのではと絶望しかけたレース中盤だったが、症状を把握したことで希望が戻った。水分。水分さえ取り戻せば。

復活

そして辿り着いた次の給水ポイント。私は小さなカップに注がれたスポーツドリンクを受け取り、水も受け取り、飲み干す。生き返る気持ちだった。
奥手では、ペットボトルに入ったスポーツ飲料も配っていた。
味にいくつか種類があるようで、「Which one do you like?(どれがいい?)」と女性が尋ねてくれるが、どれでも良かった。とにかく飲み物を下さい。私は女性が手にしているものを「That one」と指して受け取る。Thank you very much!!

ボトルの飲料を一気に半分ほど飲み干すと、それだけで霧が晴れるかのように、これまでの症状が消えた。寒さも手足の痺れも眠気も、嘘のように消え去ってしまった。足が再び回り出す。マジかよ、走れるじゃん。私は思わず笑い出しそうになった。
水分!斯くも人体に欠かせぬ必須要素であることだなあ!
そこからは水分だけではなく、所々で配ってくれるクッキーやマシュマロ、パワージェルも積極的に受け取るようにした。栄養の補給も重要だと今さら気付いたのだ。最初に受け取ったのは、Twizzlers。細いグミが縒り合されたような赤いお菓子である。

画像1

この商品に対する私のこれまでの印象は、”柔らかいゴムみたいな変な食感の、人工甘味料全開の変な味のお菓子”だった。不思議なことにアメリカの人たちはこのお菓子が結構好きなようだった。まあこちとら好き好んで納豆を食べる人間だ。味や食感の好みについて、とやかく言えた話ではない。とにかく私はTwizzlersを敬遠してきた。しかし背に腹は代えられない。とにかく何か栄養を補給しなくては、と私は沿道の少年からTwizzlersを受け取り礼を告げ、走りながら齧る。そして思った。

旨い!!!! なんだこれ!!!!?????

適度な食感から染み出す甘さが、舌の表面から内部へ浸透し脳へと駆け上がり、突き抜ける。なんで?これは俺が食べたことのあるTwizzlersと同じ製品なのか?商品開発に革命が起こったのか?私は混乱する。
あるいは革命が起こったのは私の味覚なのかもしれなかった。それほどまでに、身体は糖分や養分を欲していたのかもしれなかった。いずれせよありがとう少年、見直したぜTwizzlers。変な味とか言ってごめん。

残りわずかの距離が、遠い

しかし水分や養分は、足に蓄積された疲労を完全に取り除いてくれるわけではなかった。走れるのだが、痛い。左の内ももが攣ったように硬くなっていた。立ち止まってほぐすが、明らかに筋肉が強張っていた。しかし何度か走り出しては立ち止まりを繰り返すうち、私の中に”これは何とかなる”という妙な確信が生まれる。痛みを無視して走り続けるうち、硬直した筋肉は自然とほぐれていった。

左脚の痛みはどうにかなっても、両脚全体を覆う疲労と痛みは徐々に強まってゆく。上司から言われた”止まることを恐れるな”というアドバイスに甘えて、私は辛くなる度にペースを落とし、再び走り出すことを繰り返した。

走り出してから4時間が経過した。私の甘い予想では、既にゴールしているはずの時間である。この時、残りは5kmほどとなっていた。
残りたった5km。本来、30分あれば走り切れる距離だ。
しかしこの時の私にとって、この5kmは果てしなく遠く思えた。

まだ5kmもあるのか……。

それは、ランニングを始める前の私にとっての長距離。走るのなんて全然好きじゃなかった頃に見渡した運動場の広大さ。”え、ここを何周も回らなきゃいけないの?”と辟易し、”やだよー勘弁してよー”と不満を漏らす当初の心が、私の中に再び生まれていた。周囲にも、立ち止まっては走り出すランナーの姿が多くみられる。仕方ない。足が痛いし疲れ切っているのだ。

気力を振り絞って速度を上げては、再び緩める。沿道からは見知らぬ人たちが、見知らぬ他人であるはずの私に向かって“You are amazing!”と声を駆けてくれている。

進め。進まなければゴールできない。
そうして残された最後の力を振り絞り、残る距離全てを全力で駆け抜けられたら格好いい。しかし現実はそうはいかない。足が痛いのだ。歩いては走り、歩いては走る。ひたすらそれを繰り返し、残りの距離を進んでゆく。

予想より、遥かにキツかった

25マイルのフラグを過ぎる。あと1マイル強。ゴールが近い。沿道の応援者が、”レースはもう終わる”と書かれた大きな紙を掲げている。
いや違う、終わらない。だってあと1.2マイル、つまり2km近く残っている。
そんなことを考えながら走る。
ゴール地点が、緩やかな下り坂の先、木立や建物の向こうに見えた。しかしそれは依然として、私にとっては遥か彼方に思える。
開始から10kmの地点で”このレースもいずれは終わってしまう”などと考えていた自分が阿呆のようだ。なんだよ全然終わらねーじゃねーか。

コースが再び市街地へ戻ってゆく中、沿道から私に声をかける人物がいた。見ると、会社の上司だった。
え?と思った。ハーフマラソンに参加した娘を応援しに来ていた彼は、何とコースの終盤で私を待ってくれていたのだ。彼女のハーフマラソンなど、とっくに終っているはずの時間なのに。彼はしばらく私と並走し、ここまで来た私を褒め、勇気づけてくれた。
「How’s going?(調子はどうだ)」
「Much harder than expected.(思っていたよりずっとキツい)」
そんなやり取りを並んで走りながらかわしつつ、私はぶっちゃけ、もう立ち止まって歩きたかった。
しかし上司は、もう60歳を超えている。そんな彼が並走してくれているのだ。意地でも立ち止まるわけにはいかない。
沿道で、小さなカップにビールを入れて配っている応援者がいる。
「Don’t you need it?(要らないの?)」
「No.(要りません)」
この状況で、ビールなど飲めるわけがない。そんなのクレイジーでしかないだろ。やがて上司は立ち止まり、私に背後から声援を送ってくれた。彼が見ている中では止まれない。私はペースを上げる。上げたつもりになる。

26マイル地点を過ぎると、ゴール地点から歓声と音楽が聞こえてくる。沿道を満たす応援者たち。
皆が私に声援を送ってくれる。やはり止まれない。ゴールはもう見えている。走れ。
アナウンサーが、私の名前を読み上げた。もうすぐだ。私は必死で足を動かし、フィニッシュゲートを通過した。

画像2

ゴールを過ぎると、待っていた妻が労いの言葉をかけてくれる。
完走までの時間は、およそ4時間50分。
当初の予想時間から大きく遅れる形となったし、下から数えた方が早い順位だ。長いこと、妻を待たせることになってしまった。
しかし何にせよ、無事レースを終えることができただけで良しとする。

その後2日間は猛烈な足の痛みに苛まれることになったが、今となってはあの、レース独特の空気が懐かしい。沿道から声をかけ、給水ポイントで水やお菓子を渡してくれた人たちの優しさが嬉しかった。ゴールした私を出迎えてくれた妻の笑顔が嬉しかった。

喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言ったものだが、できればもう一度、多くのランナーたちと共にあの場所で走ってみたい。なんとも都合のいい心だが、既に熱さを忘れてしまった。だって確かに楽しかったのだ。こんな風に思ってしまうのも、無理もないことだろう。

画像3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?