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【小説】Lavalier, such a dear my dog
アメリカから帰ってきて一ヶ月も経たないうちに中古の一軒家を現金一括で買って、まだ住んでいた売主さんに大急ぎで退去してもらって夫婦で転がり込んで、家具のない家に二人で住み始めるという普通の人間ならほとんどやらないだろうことをやっていました。この怒涛の日々を記事にした方がよっぽど面白いだろうけれどそれは他所でやることにして、ずっと昔に書いた小説をここに載せようと思います。
何故って? 特に理由はありませんよ。というのは嘘で、これを無性に誰かに読んで欲しかったからです。
Lavalier, such a dear my dog
【 ラベリアしんじゃった 】
母からのメールは唐突で、たった一文だけだった。これだけ。絵文字も句読点さえもない。
だけど、それはそうだよね、とあたしはやけに冷静に思う。いつかこの日が来ることが暗黙の了解だった以上、他に加えられる言葉も、加えるべき情報も、きっとありはしない。
【わかった】
迷った末にあたしが返したのも、その一文だけ。こういう時、他になんて言えばいいんだろう?「かわいそう」?「悲しい」?「つらいけど、長生きしてくれて良かった」? そんなこと、わざわざ文章にして母に伝えたって、白々しいだけじゃない。
やがてこの時が訪れるということは、分かっていた。それはあたしだけじゃなくて、家族みんながきっとそうだった。だから、悲しくはない。
ラベリアは、あたしが二歳の頃から実家で飼っていたラブラドールレトリーバーだ。白い毛並みはつやつやしていて、いつもどこか困ったような顔であたしたち家族の顔を見上げていた。大きくなってからもそれは変わらず、全然困ってなくても、困ったような顔をしていた。
あたしはラベリアと一緒に育ってきた。彼女とは何だか姉妹みたいな気がしていたし、両親からみてもそんな感じだったと思う。
今年十七歳を迎えたラベリアは、ソファの上で眠る時間が多くなって食欲は減って、いかにも「おばあちゃん」て感じだった。それでもあたしが時々帰って散歩用のリードを見せると、バカみたいに尻尾を振って喜んだ。外を歩くのは、彼女の大きな楽しみの一つだった。
『ラベリアしんじゃった』――。
悲しくはない。なのにどうしてだろう。その言葉だけが、頭の中でグルグルと渦を巻く。
最後にラベリアに会ったのは、夏休みに帰省した時だった。母から散歩を頼まれたあたしが渋々リードを取ると、やっぱりバカみたいにはしゃいで、持て余したみたいにソファの周りを行ったり来たりしていた。そういう時だけは、生まれ付いての困惑気味の表情が影をひそめた。
「今テレビ見てたのにー」
そんな風に文句を言うけれど、ラベリアは気にも留めない。
あたしはリードを手にし、彼女と一緒に並木道を通り住宅街を抜けて、いつもの散歩コースをゆっくりと歩く。そうしてラベリアと、いったい何回、並んで歩いてきたんだろう。
家に帰りついた時、ラベリアは、もっと色々なところを見て回りたいとでも言うかのようにあたしを見上げてきた。だれどあたしは、それを「ダメ」と却下した。だってもう、あんたおばあちゃんなんだから。そんなに歩いたら疲れちゃうでしょ?
でもそれは、本当に彼女のためだったんだろうか?
【今朝、餌も食べなくてぐったりしてたから動物病院に連れてったけど、ダメだったみたい。さっきお医者さんから電話があった。今から迎えに行ってくるね】
もう返信なんていらないのに、あたしの【わかった】で終わらせてくれてよかったのに、母はそんなメールを送ってくる。
【うん】
あたしの返信は、だからそれだけ。
「どうした岬。何か顔色よくねーぞ」
ケータイに目を落とすあたしに声をかけてきたのは、同じサークルの天野だ。部屋の中には大音量で流れる椎名林檎のメロディと、それに合わせた由紀の歌声が響き渡っている。
あたしは今、サークルの友人たちとカラオケの真っ最中だった。
「なんでもない。ちょっとお母さんからメール来ただけ」
天野に向かって笑顔を作る。そう。なんでもないのだ。ラベリアの寿命が近いうちに尽きることくらい、ちゃんと知っていたんだから。それに第一、この薄暗いカラオケルームで、あたしの顔色なんて分かるわけがないじゃない。
周囲を見渡せば、正面で「幸福論」を熱唱する由紀や、次に自分が歌う曲を熱心に探す瑞穂や高橋の姿が目に入る。
今さら、ラベリアにしてあげられることなんて、ない。何ひとつとして、今のあたしにできることはないんだ。
だったらこの場はただ、みんなとカラオケを楽しんだ方がいい。
あたしはケータイを折り畳み、ジーンズのポケットに突っ込んだ。
さて、次は何を歌おうかな。選曲用の端末は高橋が使っているので、分厚い曲目リストに手を伸ばし、パラパラとめくる。
リストをじっと見つめ、歌いたい曲を懸命に探した。ラベリアには悪いけど、あたしはカラオケを楽しむんだ。
そう決めて、ページをめくる。めくる。
めくる。
「おい岬、何か曲入れるか?」
気付けば天野が、あたしに端末を差し出していた。
「あ、ごめんパス。なんか、喉痛くなっちゃった」
あたしは咄嗟にそう言って笑った。歌うべき曲が見つからない。
ラベリアは、リビングのソファがお気に入りだった。あたしが物心つく前から、そこは彼女にとってベストスポットだったらしい。新しいソファに交換してもそれは変わらず、彼女はすぐに我が物顔で居座った。まだ体の小さな子犬の頃から、そうやって一生懸命自己主張していた。あたしが幼稚園児の時も小学生の時も中学生の時も高校生の時も、そして大学生の今でも、家に帰ると当たり前のようにソファの上で顔を上げて、いつもの困り顔で、ワウ! と鳴いた。それがラベリアの「おかえりなさい」だった。
ずいぶん大きくなった体でソファの真ん中を陣取ったラベリアを、押しのけるようにして座る。それも、あたしたち家族にとっては同じくらいに当たり前だった。その時に彼女の浮かべる、不満そうな表情も。
決まって毛だらけになるソファに、決まって母が愚痴をこぼした。でもその口元が、笑っていなかったことはない。
これから先、あたしが家に帰っても、そこにラベリアはいない。
ソファや洋服が毛だらけになることも、だからもう、ない。
彼女を押しのけて座れないのなら、あの場所に、座る意味なんてあるんだろうか。
頭の中に浮かんだ空っぽのソファは、まるで色彩を失くしたように虚しい。あのソファにいられなくなったラベリアは、じゃあ、これからどこに行くのだろう?
そう考えた途端、何故だか急に、胸が詰まった。あたしは今、こんな場所にいるべきじゃない。あたしだけこんな所でニコニコ笑って、歌なんか歌っていていいはずがない。一刻も早く、独りにならなきゃ。
「ごめん、ちょっと気分悪い。先に帰るね」
あたしは財布から千円札を抜き出してテーブルの上に置くと、戸惑う由紀や瑞穂を尻目に、そそくさと部屋を後にする。
「おいおい、ちょっと岬、どうしたんだって。具合悪いのか?」
天野があたしを追って、部屋から出てきた。彼があたしに気があるらしいことを、実は既に知っていた。だけど今はそっとしておいてほしかった。愛想笑いも、今はできないかもしれない。
――って、何を大袈裟な。十七歳を迎えたラベリアに死期が近いことは、前から分かっていたのだ。それがたまたま今日だっただけ。ペットを飼っていればどこの家にだってその時は来る。天寿を全うできただけ、ラベリアだって幸せだったはずだ。
もっともっと辛く悲しいことが、世の中には溢れているはずなんだ。
こんなことで動転しているあたしを、誰かに見られたくない。
「なあ、大丈夫か?」
なおもしつこく追ってくる天野に、あたしは精一杯の笑顔で、精一杯強がった。
「実家の犬が死んだだけだから。大丈夫だから。今はほっといて」
「犬、か……。でも、まあその、大丈夫なんだろ? じゃあ帰るなよ、そんなことで。そりゃあもちろんかわいそうだけどさ、ペットだって生き物なんだから、いつかは死ぬって。俺だって、こないだじいちゃんが死んだぜ? だからまあ、犬が死んだくらいさ、元気出せよ。独りでヘコむよりも、今は気晴らしに戻ろうぜ? な?」
「……」
確かにそうだ。天野の言う通り。人間だっていつかは死ぬ。ましてや、ラベリアは犬だ。人よりも寿命が短くて当然だろう。おじいさんを亡くしたという天野の方が、あたしなんかよりもよほどショックを受けているのかもしれない。
あたしはもう一度、何とか笑顔を作る。
「そうだよね……」
分かってる。
「でも、でもあんたさ……」
あたしは今、ホントにちゃんと笑えているんだろうか。
「あんた、最低。『そんなこと』とか、言ってんじゃないわよ……! さっさと部屋に戻れ、このバカっ!」
思いの外大きな声が出たことに驚いた。そして、天野を罵倒している自分に驚いた。何より、自分が今、泣いていることに驚いた。
立ち尽くす天野に目もくれず、あたしは走り出す。
メールの言葉が、脳裏に甦る。『迎えに行ってくるね』。その「迎えに行く」という響きが、あたしには苦しい。母が迎えに行っても、ラベリアはもう待ってはいないのだ。彼女の命は、動物病院で消えた。
家族の誰もいない病院で、ラベリアはどんな気持ちで最後の時を過ごしたのだろう?
何だかんだで、ラベリアは母を家族の中のボスとして見ている節があった。ホントは病院なんか行かずに、お気に入りのあのソファで、大好きな母に看取られた方が、彼女にとっては幸せだったんじゃないのか?
冷たくなったラベリアを、母はどんな気持ちで迎えるんだろう。そばにいてあげればよかったって、やっぱり思うのだろうか。
思うに決まっている。
母だってラベリアに生きてほしくて、ずっと一緒にいたかったのだ。だからこそ、彼女を病院に預けたのだ。
二度と目を開けない、ラベリアの姿が浮かんでしまう。
二度と鳴かない。二度と甘えてこない。二度とごはんを食べない。二度と――
こんなことを考えても、あたしにはもうどうしようもない。どうしようもないのに。
***
こぼれてしまった涙も今は止まり、あたしはバス停のベンチに座り込んで、新しく届いた母からのメールをぼうっと眺めていた。天野や瑞穂から何度か電話があったが、全て無視していた。目の前を、自動車のヘッドライトが照らし出しては消えてゆく。
【明日、庭に埋めてあげることにしたよ。明日はお父さんもいるし。しんじゃう日を金曜日にしてくれてよかった。ラベリアは親孝行だわ】
親孝行――? ねえ、ラベリア。そんなの、またいつかでよかったじゃない。そんなの、あたしはちっとも嬉しくないよ。
【わかった。今度帰ったらお線香あげるね】
そんな間抜けな返信しか、できない。
「何よもー、春花、こんなとこにいたの?」
不意に声がして振り返ると、そこに由紀が立っていた。顔には苦笑が浮かんでいる。
「由紀……。なんで?」
「なんでじゃないのよ。天野の奴、相当ヘコんでたよ? 一体何があったのか、気になるでしょ」
あたしは、由紀があたしを見つけてくれたことに、内心感謝していた。彼女にはよくラベリアの話をしていたから、きっとすぐに事情を分かってくれるだろう。このよく分からない重たい気分を、早く言葉にして吐き出してしまいたい。
由紀が、あたしの隣に腰掛ける。
「いやー、実はさっき、お母さんからメール来てさー」
あたしは、努めて軽い口調になるように、よくある愚痴みたいな口調になるように、注意深く事実を吐き出そうとする。
「ラベリアがさあ……――」
あれ。おかしいな。続く言葉が出てこない。天野に対しては言えたじゃないか。「犬が死んだだけ」って。同じことじゃないか。早く吐き出して楽になれ。
「ラベリア、が、……っ」
声が、震える。どうしたあたし。
「うん。いいよ。ゆっくりで」
うつむいてしまったあたしに、由紀の声が無闇に優しい。
ソファで丸まって、眠そうな瞳であたしを見上げていた困り顔のラベリア。
布きれを振り回して、あたしや父と引っ張りあって遊ぶのが好きだった。
母が洗濯し終えたばかりのタオルを一枚くすねて、「遊ぼう」ってあたしの所まで持ってきたこともある。あたしは笑ったけど、母は怒った。
母から残飯処理隊長の役職に任命され、自分の食事が家族よりも後になったのが納得行かなかったらしく、あたしたちの食事中ずっと、辺りを落ち着きなくトコトコとうろついていた。元気な頃は、いつも。
あたしが彼女を押しやって無理矢理ソファに座ると、最初はホントに迷惑そうな顔をするくせに、いつの間にかあたしの脚に顎を乗せてくつろいでいた。
ラベリア。家族で一番の甘えん坊。
「――しっ……、死ん、じゃった、って……!」
無理矢理押し出した言葉と同時に、あたしの両目から、涙がボロボロと零れ落ちる。なんだこれ。言葉だけでよかったのに。涙なんていらないのに。
ラベリアが、死んじゃった。そう言葉にするだけで、どうしてこんなに辛いんだろう。
「……そっか」
うつむいて必死で両目を覆うあたしの頭に、由紀の手のひらがポンと置かれた。
あたしは嗚咽まじりの情けない声を、溢れるままに紡ぐ。
「人が死んだら悲しくて、犬が死んだら、『そんなこと』なの……!? 悲しんじゃいけないの……!? ラベリアはずっと、あたしの、妹みたいな犬だったんだもん……!」
これも確かにある、あたしの気持ち。でも違う。あたしが言いたいのは、こんなことじゃない。ラベリアの死が悲しいんじゃないはずだ。
「天野の奴、そんなこと言ったの? ったく、どんだけデリカシーないんだか……」
由紀は、なだめるように言った。
「でもさ――。泣くなって春花。ラベリアはあんたたちに可愛がられてさ、最後まで幸せだったんじゃないの? 今頃きっと、天国に行ってるよ」
そんな風に温かい言葉は、ますますあたしを弱くする。でも、由紀の言う通りであってほしいと思う。ラベリアが天国に行っていたらいいと思う。
あたしはみっともなくしゃくりあげながら、不意に湧き上がる気持ちを口にする。でも、そこに意味なんてない。分かってる。
「そう、だよね……。でも、でもひとりで勝手に、先に天国行っちゃってさ――」
「うん」
「ご、ごはんとか、ちゃんと、食べれてるかな、って――」
戯言だ。単なる冗談だ。なのにこれ以上、言葉が続かなかった。激しくなる嗚咽を必死でこらえる。
「――心配なんだね。死んじゃったラベリアのこと」
由紀の言葉に、あたしは無言で頷く。そうだ。心配なんだ。大好きなソファから、大好きな母の元から、たったひとりで旅立ってしまったラベリアのことがあたしはとにかく心配で、そんな彼女の気持ちを想像すると辛くて寂しくてたまらないんだ。あんなに小さかった頃からずっと、母やあたしからしかごはんを貰ってこなかったラベリアが、天国で、ひとりで、ちゃんとごはんを食べられるだろうか?
だけどそんな風にいくら心配したって、ラベリアは戻ってこない。どこを探してももういないし、だからもうごはんもあげられない、そのことがあたしには――
やっぱり、どうしようもなく、悲しかった。
「物心ついた時には、もう一緒にいたんだもんね――」
あたしの頭を撫でながら、由紀が静かに言う。その穏やかな優しさが、あたしには嬉しくて辛い。
あれが最後になるのなら、もっと遠くまで、ラベリアの気が済むまで散歩に連れて行ってあげればよかった。
洗濯したばかりのタオルで、一緒にいっぱい遊べばよかった。
好物だったジャーキーだって、もっとたくさんあげちゃえばよかった。
実家を発つ前、ソファで顔を上げるラベリアを、もっとぎゅっと抱きしめてくればよかった。
あんたのこと大好きだよって、ちゃんと、言っておけばよかった。
あたしはバカだ。
ラベリアがもう長くは生きられないって分かってたくせに、頭のどこかで、ラベリアはいつまでもあのソファにいるんだって思ってた。
あたしが実家から離れている間に消えてしまうなんて、本当は、これっぽっちも考えてなかった!
そうやって胸の奥から溢れた感情を彼女にぶつけ、あたしは泣いた。
バカなあたしの、バカみたいな後悔を、由紀は静かに頷きながら聞いてくれた。
***
あれから三ヶ月。季節は冬の真っ只中となり、大学は冬季休暇に入った。
あたしは実家でお正月を過ごすため、荷物を詰め込んだ大きなバッグと共に、今は列車に揺られている。
ラベリアが死んでしまった日に流した涙は、今はもう乾いていた。
それでもあたしはまだ、家に帰るのが少しだけ怖い。ラベリアのいないリビングに入るのが、ラベリアのいないソファを目の当たりにするのが、たまらなく不安だった。
車窓の向こうを流れてゆく景色に、葉を失くした森や山がどんどん割り込んできて、田舎じみてゆく。
規則正しい車両の振動に身を任せ、ぼんやりと冬の色に染まった風景を眺めていたあたしは、いつの間にかそのまま、眠ってしまっていた。
ソファの真ん中では、もういないはずのラベリアが丸くなっている。
「……ラベリア?」
あたしがそっと声をかけると、彼女は気付いたようにすっと顔を上げる。
ワウ!
そして今までと同じように、「おかえりなさい」と言ってくれた。
あたしはラベリアに近づいてゆく。白い毛並みはいつもよりもずっとつややかで、なんだか若返ったみたいだった。ラベリアは困ったような顔で、ソファの上で尻尾を振りながらあたしを見上げている。
「元気な時の姿で、あたしのこと、――待っててくれたんだね」
乾いていたはずの涙は、あまりにも簡単に溢れ出していた。
でも、あたしは知ってる。これは夢。ラベリアは今、庭のハナミズキの下で眠っているんだから。
これはあたしが作り出した、都合のいい幻に過ぎない。
そう分かっていても、あたしは彼女の前に屈みこむ。そして、ぎゅっと抱きしめた。夢のはずなのにあたたかくてしなやかな、ラベリアの体。彼女は初め窮屈そうに身を捩ったが、やがて抵抗を諦めたらしい。
「ごめんね……、ラベリア」
彼女から体を離し、その顔をじっと見つめる。穏やかで優しい瞳が、あたしを見つめ返してきた。
ワウ!
今度は、何と言ったのだろう。
「ありがとう」あたしは、流れる涙なんて気にせずに告げる。
「ラベリア。あんたのこと、ずっと、大好きだよ」
ラベリアが尻尾を振って、涙に濡れたあたしの頬をなめた。
「――」
不意に目を覚ましたあたしは、慌てて自分の目元を拭う。しかし幸い、本当に涙を流していたわけではなかったらしい。
でも。
あたしの手のひらと頬には、たった今ラベリアがくれた温もりが、確かに残っていた。
幻なんかじゃ、なかったのかもしれない。
込み上げてくる涙を堪えて車窓から見上げた冬の空は青く、遠い。だけどどれだけ遠くても、空は地上と繋がっているのだ。
あたしがこれから帰るのは、もう、ラベリアのいない家。
とても寂しくて悲しいことだけれど、でもあたしは、とても嬉しかった。
彼女がそこで、待っててくれたから。
ラベリア。あたしの一番、大好きな犬。
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