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自己啓発書が面白い

最近、漫画を読み漁っていた学生時代のように、Kindle Unlimitedで自己啓発書やライトなビジネス書、副業系書籍を猛スピードで読み漁っています。

少し前までは、竹書房の実話怪談系書籍を狂ったように読みまくっていたのですが、最近はもっぱら自己啓発書・副業書籍ブームです。

「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」苫米地英人
「ザ・コーチ」谷口貴彦
「賢者の書」喜多川泰
「副業の思考法」國富竜也
「うまくいっている人の考え方」ジェリー・ミンチントン
「Webライター未経験から月収100万円を稼ぐまでのロードマップ」沖ケイタ
「文章だけで月100万円稼ぐ方法」藤原将軍

などなど、挙げ出すとキリがないのですが、いやー良い。良いんですよこういう本が。(Webライターで月収100万稼ぎてえなあ)

いやはや、若い頃にはよもや自分がこんなジャンルに興味を見出すとは思っていなかったものですが、ヒトというのは、絶えず変化してゆくものですね。

こういう、自己啓発系に嫌悪感を示す人が一定数存在するのは知っています。私も昔はその一人でした。

だって何だか、這い上がるのに必死って言うか、胡散臭い宗教みたいっていうか、そういう感じがしたものですから。

そんな昔の私に、今の私ならこういうでしょう。

若造。と。

こういう本の何がいいのかと言うと、自信とか自尊心とか、自己肯定感をグングン補充してくれるところです。

あなたにもできる。
何歳でも遅くない。

こういった謳い文句を、どの書籍も口を揃えて唱えてくれるわけですから、気持ち良くないわけがない。
真夏の昼下がりに冷蔵庫から取り出した缶ビールのように、ぐびぐびと自己肯定感を吞む男。

やっぱり30代も半ばを過ぎると、人生折り返しというか、自分の限界が見えてしまう気がするというか、年齢弁えろよとか、何夢見てんだよとか、年相応に振る舞えとか、色々とネガティブな思考が頭の中に生まれてくるわけです。

しかしこれらは所詮、これまでの人生のどこかで拾い集めてしまった呪いに過ぎません。
(東浩紀の「クォンタム・ファミリーズ」でこの「35歳問題」を見かけた覚えがありますが、村上春樹が言い出したことだったんですね)

きっと人生においては本来、年齢など些事なのです。

いや、この社会には年齢による制限が至るところに存在するし、肉体だって変化してゆく以上、些事は言い過ぎかもしれません。

しかしいくつになろうと、夢や希望を抱いて何が悪いのか。

キリスト教信者など、死んだ後にさえ天の国に行くという希望を持って生活しているのです。

特に、アメリカの友人の一人なんかは、70歳を過ぎて日本語の勉強を始めたと思ったら、最近ではヘブライ語の勉強を始めたのですから、自分の年齢や環境で勝手に自分の限界を決めがちな我々とはレベルが違う。

ゆえに私も、自らの中に勝手に生まれてくる「人生中盤の呪い」に立ち向かうべく、自己啓発書を読みまくっているというわけです。

無根拠に読者を肯定してくれる本、最高。

反対に、自己啓発系でも、アレをやらないとまずいとか、これはやっちゃダメとか、恐怖や焦燥、不安を煽って行動に駆り立てようとする記事を、ネットではたまに見かけます。しかしはっきり言って、そういう記事はゴミです。全部ゴミ。

話はちょっと逸れますが、英会話にせよマナーにせよ、“知らないと恥ずかしい”みたいな煽りで読ませようとする記事も大っ嫌いなんですよね。

何だァ? 俺がそれを知らねえからってテメエが何か恥ずかしがる必要あンのか? それとも俺が恥じ入らなきゃいけねえのか? テメエの嘲笑なんぞ俺の人生に何の関係もねえンだよ。
心情

という気持ちになります。
かの有名な北風と太陽の寓話でどちらが勝利を収めたか、貴殿らはご存じないのかね?

私自身、ずいぶん自己肯定感の低い青年だったもので、あの頃はいつも何か満たされない気持ちや焦りを抱えていた気がします。
しかし何につけても"自分にもできる"と思うことって、楽しく生きてゆく上で大事な要素なのだなとこの歳になって気づいたというわけです。
いやもちろん、若さは若さで間違いなく素晴らしいことなのは言わずもがなです。
金が人生の全てじゃないからといって、金が価値として機能する事実は変わらないように。

何にせよ「人生の折り返し」とか「35歳問題」などというのは、あると思えばあるし、ないと思えばない、幽霊のような存在と言えるでしょう。

心霊系YouTubeを見まくったり実話怪談を読みまくっていた私としては、幽霊は存在してもいいなと思います。しかし、人生の折り返しの存在は否定します。ロマンがないのでね。

カルロ・ロヴェッリによれば「時間は存在しない」わけだし、明日死ぬとしたら今日が人生最後の日なわけだし、いつが人生最後だろうと、死さえ超えたところに夢や希望を抱くことだって我々にはできてしまうのです。

だったら折り返すことなく死ぬまで登り続けて、そのまま天国の門をドンドンドン!ドンドンドンドン!と乱打しながら「僕だ! 開けてくれ!」と絶叫したいものですね。

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