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36歳、オハイオ、人生初のフルマラソン【1/3】

オハイオ州の都市シンシナティでは毎年、大規模なマラソン大会が開かれる。その名も”Flying Pig Marathon”。
http://flyingpigmarathon.com/
今回は、私が36歳にして、初めてフルマラソンに挑んだ経験を綴る。
(なんだか長くなってしまい、三部構成としました)

Flying Pig Marathonとは

この大会ではフルマラソンだけでなく、ハーフマラソン、10km、5km、さらには1kmなど、多くのレースが行なわれる。ランナーのために多くの道路を封鎖し、街全体を挙げて行なわれる一大イベントだ。
本来毎年5月に行なわれるのだが、COVID-19パンデミックに伴い2020年の開催は延期となり、今年10月に持ち越された。

何故”飛ぶ豚”などという名を冠しているのか、ウェブサイトでは以下のように説明している。

シンシナティは1800年代には畜産・食肉梱包が盛んで、”Porkopolis”(無理矢理訳せば”豚都市”あるいは”豚肉都市”とでもなろうか)と呼ばれており、街道を豚が走り回る光景がよく見られたそうである。この歴史にちなんで、Flying Pigという名が生まれたらしい。
http://flyingpigmarathon.com/faqs/#:~:text=Why%20is%20it%20called%20the,pigs%20through%20the%20downtown%20streets.

さて、英語には“When pigs fly”(豚が飛ぶときに)、という言い回しがある。
その意味するところは、”絶対に起こりえないこと”だ。
用例としてはこんな感じだろう。
I can work through 24 hours, when pigs fly!
(24時間働き続けるなんて、絶対無理!)

しかし一方、Flying Pig Marathonという名称の中において、豚はもう飛んでいる。つまりこの大会には、”不可能を可能にする”というような、ロマンというか祈りというか、そんな気持ちも含まれているに違いないと、私は勝手に考えている。”飛べない豚はただの豚だ”、と紅の豚でポルコ氏も言っているし、飛ぶ豚は異常な豚なのだ。素晴らしいじゃないか。

もうすぐ日本に帰国することだし、アメリカ滞在中に大きな思い出を作っておこう!ということで、参加を決意した。と言っても実は私が申し込んだのは2019年後半のこと、本来は2020年5月のレースに参加するはずだった。
しかしご存じの通り、2020年は全てが停滞し、不安と混乱に叩き込まれた年となり、当然この大会も延期を余儀なくされた。

しかしワクチン接種率も向上してきたことから、今年秋の開催が決定、私も1年半越しの参加が可能となったのである。(そうは言っても、ワクチン接種率では、既に日本のほうがアメリカを大きく上回っているんですが…)

レースに向けて

私が勤務する部署のアメリカ人上司は、本大会のハーフマラソン常連参加者だ。彼からは、長距離を走るなら股ずれを防止するため、予め軟膏を塗っておいたほうが良いという助言をもらっていた。Body Glideという製品を勧めてもらったため、前日に購入。

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私は土日に、1時間ずつジムで走ることをルーティーンとしている。
しかしレースの1ヵ月ほど前から、本番に備えて1日あたり2時間に延ばした。この2時間で走る距離は、約21km。これを土日連続でこなせば、おおよそフルマラソンの距離になるわけだ。
実際、2日間で42km走ることには、何の問題もなかった。
ゆえに迫り来る本番を前にしても「土日に走ってきた距離を一気に走るだけでしょ?ひょっとしたら4時間以内に完走できるんじゃないの?」などと楽観視していた。

いや甘かった。甘々だった。初参加のくせに、フルマラソンというものをつくづく舐め切っていたのである。

当日、夜明け前

そして迎えた本番、10月31日、日曜日。
レース開始は、朝7:30からだ。
私を見送るべくついてきてくれた妻と共にスタート地点に到着したのは、6:50頃だった。
ここシンシナティは、10月末ともなると日の出の時刻は8:00を過ぎる。つまり空はまだ夜。
しかし街は既に熱気に包まれ、設営された照明が煌々と輝き、爆音で音楽が響いていた。
Imagine Dragonsの”Thunder”が速いテンポで流れていたのが印象に残っている。

参加者は事前に走破までの目標時間を申告しており、その時間に応じてスタート地点が区分けされている。速く走る自身のある者ほど、スタートラインに近いゾーンで待機となる。
私はと言えば、自信過剰から4時間と申告しており、中央のゾーンでの待機となっていた。
各自、ストレッチや準備運動に余念がない。
今大会において、フルマラソンの参加者は1973名、スタート地点を同じくしていたハーフマラソンの参加者は5420名。
つまり7400名近くのランナーが、一堂に会していたことになる。
しかし2019年の参加者数はこの2.5倍ほどにも及ぶので、数字で比べればずいぶん少なくなっている。
とはいえ、初参加の私にとってそんなことは関係なく、全方位から伝わる”ようやく皆でこの街を走れる”という歓喜の中、刻一刻と迫るスタートの時を待っていた。

やがて時計が7:30を回った頃、合衆国国歌”The Star-Spangled Banner”が流れる。この時だけは喧騒も止んだ。しかしこの静けさは、それまでと変わらぬ歓喜と熱狂を内包している。
国歌が流れ終わると、アナウンサーが関係者各位への謝辞や、1年半越しにレースを実地で開催できる喜びを告げてゆく。
何度も強調される”in person”(直接、顔を合わせて)という言葉。
そう、我々は皆この時を待ちわびていたのだ。
参加者も観衆も拍手し喝采し、熱狂の歓声を上げる。私も彼らに混じって叫び声を上げた。

アナウンサーによる高らかな10カウント。
そして、レースが始まった。

しかし開始の合図直後から、すぐに走り出せるわけではない。スタートラインよりも後方に位置するこの場所では、参加者が密集しているからだ。我々は前方のスタートラインに向かってじりじりと歩きつつ、徐々にペースを上げてゆく。
スタート地点に設営されたゲートから、炎が赤々と吹き上がっている。

周囲の参加者たちと共にようやく私も走り出す。
ケータイのカメラを構えた妻が、私に声援を送ってくれた。
そして私はゲートをくぐる。人生初のフルマラソンは、斯くして幕を上げた。

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