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来るぞ。ベーシック・インカム。

AIやIoTなどのテクノロジーの発達により、近い未来に人間がやるべき仕事はかなり限定的になると言われています。

これまでも、産業革命によって人間がやるべきではない仕事がどんどん機械に置き換えられましたが、その延長線上のまま、人がやるべきではない仕事はAIなどのテクノロジーに取って代わっていくと僕も考えています。

IT革命以前は、たくさんの知識を持っている人は非常に重要で、長老的存在として重宝されたり、社内でも最古参として「困ったらあの人に解決策を聞けば教えてくれる」的な存在として重宝されていました。

が、Googleの登場により、”多くの知識を持っていること”、いわば記憶力が良いことの競争優位性はなくなりました。

今や知らない知識に出会ったとき、数秒もあれば、Wikipediaで概要を把握することができます。

Google Scholarを使えば世界中の論文を即座に検索し、学ぶ事ができる時代です。

膨大な知識を覚えることよりも、手にした知識や情報をもとに、正しかろう正解を考えて導き出すことが大事になりました。

つまり、知識力勝負の時代から、思考力勝負の時代に。

ですが、昨今のコンピュータ(AI)は、機械学習の枠を飛び越えてディープラーニングができるようになってきました。

機械学習は、人が物事の判断ルールをコンピュータに教えなければなりませんが、ディープラーニングは物事の判断ルールそのものをコンピュータが発見することができます。

人が判断できる仕事を猛烈な効率で機械にやらせようとしていたのが機械学習の時代でしたが、ディープラーニングになると、人が判断できない複雑な事象に対しても”正確な答え”を機械は導き出してくれます。

記憶力に頼っていれば良いだけの仕事が淘汰されていったように、思考力に頼っていれば良いだけの仕事も淘汰されていくのかと。

加えて、IoTというオンラインとオフラインの垣根をなくす技術も発達してきています。

人が、正確に物事を分析しても最も正しいと思われる正解を導き出す必要はなくなります。(というかAIのほうが正確性は高いので、ミスをする人に任せっきりにするのは良くないとも考えられますね。)

人間の本質は何なのか。について考えさせられるタイミングなんでしょうか。

知識量こそが大事だとされていたのは違っていた。
思考力こそが大事だとされている現代もAIに置き換えられることがわかってきました。AIのほうが正確に”正しかろう答え”を導き出します。
となると、今後は・・・?

個人的には、創造力と共感力の2つなんだろうなと考えています。

AIが自動で映像を作成したり、絵画を描いたりすることもできるようになってきていると思いますが、クリエイティビティとは表現物自体が重要なのではなく、その表現物を通して感じるアーティストの心だと思っています。

AIが絵画を描いても、何も伝わってくるイメージが湧きません。
せいぜい「テクノロジーってすげぇ。」です。

想い、願い、苦しみ、悲しみ、希望、夢など、そのアーティストが心に秘めているものを体外に出すに当たり、たまたま絵画であったり音楽だったりしているのだと思います。

それは人対人じゃないと成立し得ないことな気がしています。

共感力についても、人の共感を誘って心を揺さぶるためには生物として血が通っていないと、、、、、

と思ったのですが、そういえば、オンラインのチャットアプリで、AIだと正体を明かさずにチャットをさせて、人は相手が人じゃなくても恋に落ちるのか?という実験がそういえばあったなぁと思い出しました。。

結果は確か、本気で恋をする人もいた気がします。

共感はもしかしたらグレーゾーンかもしれないですね。。。

2次元の嫁を持っている人もいますし。。。。

話を戻します。。。

人がやらなければならない仕事の大半は機械がやってくれるようになり、人は”仕事”をしなくても社会は回るようになる。と考えています。

レジ打ちとか、郵便配達とか、絶対人間じゃなくて良いと思う。
無人コンビニができれば深夜労働して体調悪くする人も減ります。

稼ぐためだけの仕事はなくなり、
ベーシック・インカムの時代が来るだろうなと。

イデオロギーとか経済学については詳しくないですが、資本主義と社会主義のいいとこ取りみたいな。

そして”仕事”は娯楽化するだろうと。

今の娯楽が仕事化するというよりかは、仕事という概念自体が娯楽となるようなイメージを持っています。

いつなのかわからないですが、少なくとも100年以内にはそうなるんじゃないでしょうか。

もうすでにその兆候は見えてきていると思う。

日本は生活保護があるので、仕事をしなくてもすでに生きていける世界。

でもそれだと贅沢できなくて自由に生きれないので、みんな仕事をして稼いで自由に生きようとしているんだと思うわけです。

って思うと、死にものぐるいでやりたくもない仕事に心身の健康を損ねながら取り組むのってちょっと本末転倒な気がします。

娯楽のために仕事をしてるんだから、娯楽のように楽しくやっちゃえば良いんですよね。きっと。うん。

このあたりが、「楽しくなけりゃ仕事じゃない」と考えるようにしている理由なのかもな。と思います。

では。

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