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宗教的経験の諸相【日記】

 営業先にイタリア人のお客さんが来ていて、成り行きで2人きりで20分ぐらい話すことになった。日本に来てからもう5年ぐらい経つらしい。日本語はペラペラだ。俺の方が圧倒的に日本語うまいけど、まあそれなりに頑張ったみたいだな。

 そういえば昔、東京ゲームショーに行ったら外国人っぽい人が2人、会場の外を歩いていた。高校生だった俺は特に何も考えず「お、外人だ。外人だ」と言った。「外人」という言葉が外国人的には「エイリアン」的な意味で響くっぽいのは当時知らなかった。
 2人に聞こえてしまったらしく、なんか俺のほうを見ながらゴニョゴニョと話し合っている。それで2人して「デブ、デブ」と言いながら俺のガニ股歩きを真似して揶揄してきた。俺は「うるせえ!(笑)」と言いながら笑っていたが、向こうは全然笑ってなかったから、結構本気で気分を害していたみたいだ。悪かったな。

 イタリア人、仮にボヌッチとしよう。ボヌッチに日本の印象を聞いた。なんか聞いてしまうな。ちょっと褒めてほしいんだろう。ボヌッチは他にも色々な国に行ったことがあるみたいなんだが、日本人は特に勤勉でよく働き、そしてみんな親切だと言ってくれた。
 へっへっへ、そうかい? そうな! そうなそうな! いやあ、ふふ。ありがと。ボヌッチ良い奴だな! 日本へようこそ。「みんな親切」だって! 聞いたかみんな!

 でも、と続けた。
 「でも日本人は日本人同士の『なんらかのプレッシャー』を常に感じているようで苦しそうだ」と語った。「日本にいる外国人は楽だけど」

 お、おいおい。すごい解像度だな。的確に突いてきたぞ。そう見えるんだな。その通りだよ。

 イタリアでは、人によると思うけど、けっこう日本のアニメを観て育つものらしい。日本のサブカルチャーを賞賛してくれた。ボヌッチ自身も「キャンディ・キャンディ」とか「クリィミー・マミ」をよく観てたそうだ。
 「そういうB級のアニメを観て〜」と言っていた。

 俺は「キャンディ・キャンディ」とか観たことないけど、あれはB級だったの? 「鷹の爪団」みたいな感じ? 「ドラえもん」とか「ギブリ」(本場の発音!)とかはもっと上等らしいよ。どう違うのかよくわからんけど。そういうもんらしい。
 ジブリの「となりの山田くん」はどっち扱いになるのか聞けばよかった。

 いやいやしかしボヌッチよ。サブカルチャーったらイタリアだってすごいじゃねえか。こっからは俺のターンだ。イタリア映画の話をしよう。「ニュー・シネマ・パラダイス」! あれ最高だったぞ!

 「ニュー・シネマ・パラダイス」の名前を出したら「ああ(笑)」みたいな反応をされた。ベタすぎたらしい。たぶんイタリア人に会った日本人の多くが言ってくるタイトルなんだろう。ちょっと舐められた。

 ちょっと待てよ。俺はたまにいる「映画観る以外マジでなんにもしてない大学生」だったんだぞ。舐めてもらっちゃ困る。イタリア映画といえばそう、「マカロニ」! どうだ。俺はいま日本をレペゼンしてるんだ。ニュー・シネマ・パラダイス以外も観てる日本人がいるんだぞ。

 「マカロニ? どんな映画だっけ」
 いやあの、イタリア人が出てる……。どんな映画って言われると困るな。登場人物1人も思い出せない。あの〜、イタリア人がこう、いて。だめだ。だいたいどんな映画っていうのでもないわ。なんかこう、良い映画だ。

 あ、そうだ! そうだそうだ。「ライフ・イズ・ビューティフル」。肝心なのを忘れてた。あれはやばい。俺のオールタイムベスト級の映画だ。あれを観て人生を投げ出すことをやめた奴が世界にどれだけいる? これもベタだが、この映画の話なら三日三晩できるぞ。

 「おお、ライフ・イズ・ビューティフル!」と、ここでやっとテンションが上がった。ボヌッチは主演のコメディアン、ロベルト・ベニーニの奥さんに面接を受けたことがあるらしい。そこで「いろいろ世界を見てみろ」と言われ、それがきっかけで世界各国を巡って仕事をしてるのだそうだ。それからイタリアでのベニーニの話をしてくれた。ベニーニは俺が最も素晴らしいと思うコメディアンのうちの1人だ。興味深く話を聞かせてもらった。

 めちゃくちゃ雑なことを言うが、俺はイタリア映画を観るといつも、各作品に重奏低音のように流れる「ちょっと苦い人生観」を感じる。
 「せっかく生まれてきたんだから、遠回りしたり失敗したり苦しい思いをしたりしてみない? それから前を向いて、また歩いてみたらいいんじゃない?」と、そっと背中を押してもらえるような気持ちになるのだ。お母さんに励まされてるみたいな気分だ。

 タンクトップ着たマッチョの親戚の兄ちゃんがズカズカ部屋に入ってきて「人生は楽しいぞ! そうだ、俺と今からサッカーをしよう!」みたいなノリじゃないのだ。ロサンゼルスで映画作ってる連中がたまにそういうノリを見せてくるが、イタリア映画はその心配が無い気がする。もちろんハリウッド映画もそういうノリじゃない作品の方が多いが、たまにマッチョがズカズカ部屋に入ってくることがあるのだ。

 ところで俺のnote、なんか「爽やかさ」が足りない気がする。どうも見てると「爽やかな風」を感じるnoteを書く人がいる。それで自分のを見返したら、密閉した部屋でフライドポテトを揚げてるみたいなむさ苦しさを感じた。なんでだろうな。俺は小栗旬とドドリアさんを足して小栗旬を引いたみたいな見た目だから、本人はそれなりに爽やかなはずなんだが。
 わかった。外の写真が無いんだ。外に出よう。

少し前の俺

 これは「俺(現X)」ってやろうとして「ギリギリつまらないな」と思ってやめたときの写真。

越谷市 久伊豆神社

 神社に行ってきた。俺の家では毎年ここに来ないと酷い目に遭うというジンクスがある。喪中で行けなかったときに俺は交通事故に遭い、頭を何針も縫うことになった。またあるときは、おじいちゃんが倒れてきた木の下敷きになって年単位で入院した。完全に祟りを鎮めるために行っている神社だ。

 考えてみると、七五三から中学受験前や大学受験前、大学に行かなくなって絶望してたとき、働き始めたとき、人生のあらゆるタイミングでこの神社に近況を報告してきた。俺の悲喜こもごもは全部知っているはずだ。

 ここのおみくじはよく当たる。「吉」。うぇい。「何事も成功します」と書いてあった。うん。しかし書くことないな。「大凶」でよかったのに。

 普段写真撮らないから、ここの神社の写真が2枚あるだけになった。

 爽やかな話題で言うと、「新興宗教の勧誘」ってどうやるのかなと思って調べたことがあった。俺の部屋によく訪ねてくる人はそんなに上手じゃない。

 大学生の頃、「こういう人たちが勧誘してきます」的な注意喚起ビラがよく掲示されてたが、俺自身は勧誘されることは無かった。ちなみに言っておくが俺は別に何を信じてもその人の自由だと思っている。偏見も無い。ただ団体によっては財産の大半を喜捨することを求められたり、過激なイニシエーション(通過儀礼)で洗脳に近いことをされたり、辞めようと思っても自由に辞められない環境を作られたりすることがあって、入信する前に慎重に選ぶ必要があるのに入信する前には十分な情報を与えられないことが問題なのだ。

 というとこれは会社に入るのとそう変わらん気もする。「過激なイニシエーション」を強いてくる企業に入ったことある人もいるんじゃないか? 通過儀礼が強烈で辛いものであればあるほど、その組織への忠誠心が高まるらしい。TikTokで踊らされるのはイニシエーションの可能性がある。

 だいたい伝統宗教だっていつでも安心安全かは謎だ。数年前、俺の母親が亡くなったとき、お坊さんに戒名を付けてもらうんだが、戒名代をいくら払うかで家族会議になった。お坊さんは「何円です」とは言わないのだ。
 おばあちゃんの言葉が衝撃だった。

 「うちの本家が50万だったから、分家の我が家は『家の格』的に30万ぐらいが妥当だろう」

 「家の格」!? そんなワードを現代に聞くことがあるとは。こうやって価格決定されるものが日本にまだあるのか。霊感商法と違うのはお坊さんの側からの価格提示が無いことだが、結局は似たようなものとも言える。何文字かの漢字に30万だぞ。物価上昇率とかはどんなタイミングで反映されるのか気になるな。

 さて勧誘を受けたとして、俺の場合は強烈な自我が「アクマイト光線」を受けたぐらい膨らんでいて内部から崩壊しそうなぐらいなので、その俺が何かを崇拝するのは難しい話だ。俺の崇拝の対象は「俺より面白い人間」なので、なんか空中に浮くとか死者を蘇生するとか来世を豊かにするとか言われても全くなびかない。よくキャンパス内で勧誘を受けてコロッと着いていってしまう大学生はなんなんだろう。

 こんな感じで来るらしい。
 「科学と宗教について話しませんか?」

 ほう。ちなみに最初の誘い文句は色々あるみたいだ。「コンサートがあるから来ない?」とか「お菓子食べながらお話ししない?」みたいなのもあるらしい。相手を見てどんな話題を好むか選んでるんだろう。

 ここで重要なのは、たとえば春の入学式シーズンで、引っ越してきて1人の大学生というのは結構孤独であることだ。イチから人間関係を構築しないといけない。夜になると少し肌寒い3月4月の風は、話しかけてきた人をつい歓迎してしまうムードを作る。

 さらに重要なのは、周りの連中が体育会系の「新入生歓迎飲み」だのに加わり、「つまんねえ」を絵に描いたような学生たちと「コール」を覚えてもう飲み始めてることだ。俺の母校(京大)でもそういうつまんねえ奴らは掃いて捨てるほどいたので、大学のレベルは無関係だろう。
 そういうつまんねえノリに着いていけるつまんねえ奴は勝手にすればいいが、こっちはもっとアカデミックな感じを期待してここに来てるんだとツッパってしまうと孤独感が増していく。

 そこへ来て「科学と宗教について話しませんか?」は、なかなか良いところを突いている。おいおい、なかなかメタフィジカルな感じの良い話題が降ってきたじゃねえか。よっしゃ、存分に話し合おうぜ、と乗っかってしまうと向こうの思う壺だ。

 しばらく話すとこう来るそうだ。
 「科学と宗教を合一する新しい理論に興味はありませんか?」

 あるな。確実に興味はある。なんだよその面白そうな理論。よし、聞かせてくれ。
 そして着いていく。仲良くなる。次第にそこへ行くのが当たり前になる。入信する。

 一丁あがりだ。

 当時の俺に勧誘があったらマジで着いていってたと思う。危なかった。いや、別にそれはそれでよかったかもしれんが。まあなんとも言えんな。

 今は大学受験シーズンだが、春になったら気をつけてくれ。文化系のサークルには面白い人たくさんいると思うので、そっちに着いていくのがいいだろう。それはそれであの、「学生運動」という勢力が残ってるとこには残ってるが。宗教よりは辞めやすいんじゃない? 知りませんが。

 今回は爽やかな春の話題でお送りしました。どうもありがとう。



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